不確定な部分について 2

続きです

前回、自分で全て支配する人生に恐怖があると言いました。
その理由は、集団に自己の人生における一部の決定権を持たせることの効果をあまりにも軽視するスタンスに起因しているようです。


会社に入れば、転勤や部署移動、給与体系や勤務時間等に様々な制約を受けます。これが私の言う「集団に自己の人生における一部の決定権を持たせる」状態です。一見がんじがらめに見えますが、特に勤務時間なんて物理的に身体の位置を指定されるだけのことですから、他のことを考えていても勤務していることになりますし、むしろ結果至上主義よりも精神的負担やストレスが少ないという捉え方もできます。転勤や出張であれば、会社の金で普段いけない場所に行ったり、会えない人に会うことができます。
今あげた例はだいぶ極端ですが、捉え方次第という点で多くの人に当てはまってくると思います。


この偶然の積み重ねによって変わる人生は星の数ほど存在するだろうし、そのしなやかな生き方は必ずその人自身の魅力となって蓄積されるものだと思います。


この偶然に出会えないというデメリットは、あまりにも大きいのではないでしょうか。


自分で人生を支配するということは、自分の意思決定に全て頼るということです。もちろん自分が精通する世界について独力で世界を広げていける人にとっては願ってもいない環境だと思いますが、ほとんどの人がするであろう自分の予想する域を出ない経験ばかりを蓄積してたまる魅力は、たかが知れていると思います。また、結果至上主義にずっと身を置いておくことも体力や精神がよほどタフでない限りは足枷になってしまいます。視座が上がる経験を経ないまま年老いてしまったら、それこそ目も当てられません。おまけにどこにでもいると判断されでもしたら、自由競争や資本主義に押しつぶされてしまいます。一人の人として捉えたとき、誰一人として同じ人間はいないでしょう。しかし社会的な条件を付けられた瞬間に、その綺麗ごとは木端微塵にされてしまいます。そんな、残酷な世の中だと思います。


そうなるのであれば、集団や他人に決定権の一部を譲ってしまうというのも生きることを楽しむ有効な選択肢ではないでしょうか。


費用対効果で言えば悪くない、というのがわたしの感想です。



読んでくれてありがとうございました。
またどこかで。



日々是口実







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