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留学で学んだ人生を好転させる15のコト

留学から学んだ君に伝えたい15のこと

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英語が大の苦手科目、留学なんて自分には不可能だと思っていた。

そんな僕が工業高校卒業後、海外へと渡り、気づき、そしてそこから学び考えたこと。
これを君にも伝えたい。
そう思っていると、気づいたころにはこの本を書き始めていた。



※このnoteは電子書籍としてAmazonにて980円で出版しているものをnoteに写したものです
現在期間限定でnoteで無料配信しています



さー、さっそく君に伝えさせてほしい。

1.自分に感謝する

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感謝することの重要性について書かれた本はたくさんある、だが自分に感謝することについての本を僕はまだみたことがない。みなさんも「ありがとう」と家族や友人や親切なことをしてくれた他人、つまり自分以外の人に感謝するだろう。


それはあたりまえのことであって、それができなければ良い人間関係など築けるわけがない。

「ありがとう」という言葉が持つ力は計り知れない。

それだけで人を幸せにできることだってある。人に何か良いことをしてあげたとき、素直に「ありがとう」と言われるとやってよかったと充実感を味わえるはずだ。


それなら、自分に「ありがとう」と感謝してみたらどうなるだろう。結論から言うと自分に自信がつく。


私の場合は、留学を決断したときの自分、高校受験のために必死になって勉強していた自分など、決断を下したときや行動したときの自分に感謝している。高校卒業後、英語がまったくしゃべれなかったにも関わらず留学を決意した、だから今英語が喋れるようになっているし、いろんな国の友達をつくって海外での有意義な生活が送れている。


高校受験のために一日に8時間勉強した、だから勉強の楽しさに気づけたし、自分もやればできるということに気づくことができた、なにより第一志望だった工業高校に進学することができた。


今この瞬間の自分があるのは、数分前、数時間前、数日前、つまり過去の自分がいるからだ。数分前の自分の決断や行動が違っただけで、今の自分ではない自分がいるかもしれない。


パチンコに行くのを我慢した、昼寝をした、朝十五分早く起きたなど、ほんの小さなことに思えるかもしれないが、その小さな決断と行動が未来の自分をかえる。


パチンコに行かなかった、だから無駄なお金を使わずにすんだ。昼寝をした、だから昼寝のあと仕事がはかどった。


朝十五分早く起きた、だから気持ち良い朝日を浴びながらのんびりコーヒーを飲むことができた。


今や未来は過去の延長線上にしか存在しない。


もしも今の自分がいつもと変わらず平和な一日を送れたり少しでも幸せを感じたりしているのなら自分に感謝しよう。


過去の自分の決断や行動のおかげでそう感じることができているのだから。こうやって自分に感謝していると、本当に自信はついてくる。


自分に感謝することは、自分がやったことが正しかったと認めることになる。それを繰り返しているうちに自分に自信がついてきて、これから先になにか決断を迫られたとき、自信をもって決断することができるようになる


少し話はそれるが、今僕はカナダに住んでいる。そして、「ありがとう」と言う回数が日本と全く違うことに気づいた。


バスを降りるとき、落としたものを他の人が拾ってくれたとき、または自分のためにドアを開けてくれたときなどだ。


日本との回数の違いは、二つ目や三つ目のような場面で生まれると思う。たとえば日本だと、落とした物を通りかかった人が拾ってくれたとき、「すみません」と言ってしまう人が多いのではないだろうか


。三つ目のドアを開けてもらったときも同様だ。こういった環境の中で生活していて日本人はもっと感謝してもいいのではないかとつくづく思う。


「自分に感謝をすると自分に自信をもてる」
You can have confidence when you thank yourself



2.どれだけ恵まれた環境か

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僕は日本人の僕たちが本当に恵まれているということを最近つくづくと感じている。一番初めに気づいたのは高校生の頃、祖父と韓国に行ったときのことだ。道を歩いていて変な臭いがしてくるし、道がとても汚かった。


日本の環境がどれだけいいのかと言うことに気づき、日本をでて気づける日本のことがあることを知った。


今カナダで生活を送っていて日本の良さや、日本人として生まれてこれた幸せを感じている。


日本のコンビニや自動販売機の品揃えの良さ、公衆トイレの数(カナダは駅にさえトイレが設置されていない)、治安の良さやサービスの良さなどなど日本の素晴らしさを感じる瞬間は多々ある。


僕は自信を持って言える、「あなたは恵まれている」。なぜなら、あなたは日本人だからだ。


以前、僕がカナダ人と話していると、その人の家はホームステイを受け入れているといったが、日本人だけしか受け入れていないらしい。その理由は、マナーを守るし、きれいだからだと教えてくれた。


もちろん日本人全員がそういうわけではないが、日本人はそういうイメージらしい。それに、海外の友達にアメリカに旅行に行くと伝えると「ビザは?」と言われることがよくあり、そこで僕が「日本人はビザの申請は必要ないよ」と言うとみんな驚くのだ。


僕たちが日本人だということは、日本のパスポートを持つ権利がある、これは以外に知られていないことだが、日本のパスポートはとても凄いのだ。


日本のパスポートはビザの申請をすることなく170か国に入国できる、世界的に見ても稀なパスポートだ(ちなみに一番すくないのはアフガニスタンで28か国にしかビザなしで入国することができない)。


これは素晴らしいことで、海外旅行に行く際、ビザ申請の手数料もいらない、ビザを申請してから許可がおりるまで待つ必要もない。


行きたいと思ったらすぐに行けてしまうのだ。こんな強力なパスポートを持つことができる権利があるのに、一生日本の中だけに居るのはもったいない気はしないだろうか。


そして海外にでて日本の外の世界を楽しむと同時に、日本で生まれて良かったと、自分が恵まれた環境にいることを再確認してはどうだろう。


もう一度言おう「僕たち日本人は恵まれている」。

「外にでて気づける何かがある」
There is something that you can realize when you go out




3.人間は変化を嫌う生き物、それでも変化を求める大切さ

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人間は変化が嫌いだ。ホメオスタシス、恒常性とも言うが、人間は血液や体温などを外部の変化に応じて一定に保とうとする性質を持っている、だが人間はこういった細胞レベルだけではなく、日々の行動などの変化も嫌うのだ。


そして人間は知っている範囲でしか行動したがらない。


理由は簡単で、自分の身の回りの変化が恐いのだ。


僕が日本の大学への進学を考えていたころ、佐賀県で生まれ育った僕は、九州内から出たくなかった。それは、最低でも知っている土地だし、家族からそんなに離れた場所でもない、友達だっている。


僕にとって安全な場所のように思えたのだ。みなさんも自分が変化を嫌っていることに気づいた体験はないだろうか。


たとえば、会社員で「こんな会社やめたい」や「自分でビジネスを始めたい」と言っている人はたくさんいると思うのだが、実際にその会社をやめたり、自分のビジネスを始めたりする人は少ない。


その理由はいろいろあると思うのだが、結局は変わることが恐いのだ。会社を辞めたら、収入がなくなるし、収入がなくなるのは危険だ、そして最低でも今のままでいればお金は入ってきて今まで通りの生活が送れる。


そしてこの今まで通りの生活(なにも変わらない)が続いて気が付いたときには、年老いているだろう。


僕は自分が70歳や80歳になった時に過去を振り返って「ふぅ~、何も危険を冒さず普通に生きてこれたな~。よかったよかった」とは思いたくない。


僕は、人は変化をきらい、ほとんどの人は行動しないことを知っている。


だからこそ自分で意識していろんなことにチャレンジしていろんなことを経験したいし、変化を受け入れる人間でありたいと思っている。


世界でただ一つ変わらないこと、それは「変わる」ということだ。


時代は流れ、移り変わっていく。周りに立ち並んでいる店も家も変わっていく。気温や天気ももちろんのこと、流行や株価、その日食べたいものや体調も変わる。

そして、今僕たちが生きているこの時代はテクノロジーの発達に伴い今までにないスピードで変化している、ならば変化を恐れている暇などないのではないだろうか。

「みんなと同じでいたいなら、変化を恐れ行動せずにいればいい」
If you want to be normal, be afraid of change and don’t take action




4.一歩目の難しさ~一歩を踏み出したあとの次の一歩は簡単~

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一番初めの一歩は重く、踏み出すのに一番力を使う。それは難しく、恐く、そして変わるということだから。


僕が留学を決意するときもそうだった、初めて海外の大学に進学するという話を聞いたとき、自分には不可能だと思った。


それは、自分でそう思い込んでいたからにすぎない。それに自分では友達は多い方だと思っていたし、このまま日本に留まり、日本の大学に進学すれば、それなりに楽しい生活を送れるだろうと確信していた。


最悪東京や北海道など新しい土地に行き生活することになったとしても日本語でコミュニケーションがとれるし、友達もすぐ作れるだろう。


だが日本をでて生活するとなったらどうだろう。友達は一人もいない、コミュニケーションもとれない、文化も周りにいる人の人種も違う。変化があまりにも大きすぎて、この一歩を踏み出すのは簡単ではなかった。


だからこそ、その一歩を踏み出して身をもって気づけたことがある。

「一歩を踏み出した後の次の一歩は簡単」ということだ。


一度日本をでて生活をしてみると、どこで生活しても大丈夫だろうと思うようになった、僕がまだカナダの語学学校に通っていたころ、カナダを出てオーストラリアやイギリス、アメリカへの編入も選択肢の中にあった。


もう住む国をかえることへの恐怖などなくなり自分から変化を求めていた。留学なんて自分には無理だという思い込みや、変化に対する恐怖心が、はじめの一歩を踏み出す邪魔をしていたのだ。


ここで思い込みに関する面白い話を一つ紹介しよう。


一匹の子供のゾウが鎖でつながれ育てられた。その鎖は大人のゾウの力で引っ張ると壊れてしまうような鎖だったが、その子供のゾウの力ではまだ壊すことができない。ゾウは逃げ出したくて、何度も逃げようと試みるが子供の力では鎖はビクともしない。そのゾウが成長して大人になった時に、逃げることができただろうか。


答えはノーだ。


そのゾウは子供の頃の「自分にはこの鎖は壊せない」という思い込みによって支配されている。


だから、十分にその鎖を壊し逃げることができる力があるにも関わらず、鎖を壊そうともしないのだ。


もし思い込みによって一歩を踏み出すことを躊躇しているなら、勇気を持って踏み出してみていいのではないだろうか。

「その一歩は恐くて難しい、だが同時に大きな意味を持つ一歩でもある」
Taking that step is scary and difficult, but it has great significance as well.




5.得るは、捨つるにあり 何かを得るためには何かを捨てなければいけない 

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「得るは、捨つるにあり」うるはすつるにありと読み、意味は「何かを得るには何かを捨てなければならない」という意味だ。

この言葉に出会ったのは高校生の頃、ある有名なドキュメンタリー番組を見ているときのことだった。


その番組の中で、日本を代表する靴職人の山口千尋さんがこの言葉を言っていた。彼は靴メーカーの会社に就職して働いていたが、もっと靴作りを学びたいと思い25歳のころ靴づくりの本場イギリスへの留学を考えた。


会社に留学をしたいということを伝えると「退職ではなく一年間の休職にしてはどうだ」と会社側は言ってくれたらしい。山口さんは悩んだ結果、会社の申し出を断り、退職してイギリスへ渡った。


帰国後は靴職人として日本の靴業界をリードしテレビなどにも取り上げられるほどになった。僕はこの言葉を知った時に特に感動したりしたわけではないのだが、なぜかこの言葉は僕の頭の中に留まっていた。


そして、今この言葉の意味をカナダで実感している。前のページで僕は留学せずに日本にいれば、何事もなく楽しい生活を送れると確信していたと書いた。だが僕は日本を飛び出した、それと同時に日本での当たり前の生活を捨てたのだ。そのおかげで今は日本に留まっていては得ることがなかったであろう沢山のものを得ることができた。


海外の友達、英語力、貴重な経験、そして何より自分自身が成長できたと実感している。「得るは、捨つるにあり」この言葉は単になんでも捨てろと言っているわけではない。


何か選択をせまられたとき、この言葉を思い出せばいいと僕は思っている。

失うことが恐くなかなか決断できずにいるとき、その決断は何かを失うと同時に自分に新しい何かを与えてくれるということを再確認させ、決断する勇気を与えてくれる。


今年の全米オープンで準優勝を果たした錦織圭選手はこの言葉を理解するのにいい例となるだろう。


彼はたった13歳の時に留学を決意したことはテニス好きの方なら知っているかもしれない。だが彼はただ英語を学びに留学したわけではなく渡米後フロリダ州の名門テニススクールに通い、世界中から集まる有能なテニスプレーヤーと切磋琢磨しながら日々生き残るために戦った。


彼はたくさんのものを捨てたはずだ、新しいものを手に入れるために、自分の道を切り開くために。家族との生活、日本の友達、住み慣れた土地、それに13歳なんて遊び盛りのはずだ。


並大抵の子供ではできない決断なのは明確だろう。だが新しいもの、それは彼自身の成長やテニスのスキル、英語力だったと思うが、それを得るための決断が今の世界ランキング6位という彼の偉業を成し遂げるための大きな第一歩だったことは間違いない。

「捨てることを恐れているなら、それによって得られるものを考えてみろ」
If you are afraid of throwing it away, think about what you will get.




6.人生と言う名のゲームをプレイすることに必要なこと

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人生という名のゲームをプレイするのに必要なこと、それはルールを知ることだ。


テレビゲームやボードゲーム、カードゲームといったゲームをプレイする時と同じようにルールを知らなければならない。


ゲームをするときにルールを知らなかったら、負けたり、うまくプレイできなかったり、楽しくなかったりする。


生きていく中でもルールを知ることは重要で、知らなかった場合、失敗したり、損をしたりするだろう。


ここで言うルールとは決まり事のことだ、そしてテレビゲームなどのゲームのルールは始める前に説明書を読めばいいのだが、私たちは人生という名のゲームが始まる前、つまり生まれる前にそれを知ることはできない。


先生や親、友達から教わったり、本を読んだり、インターネットを使って調べたりと言ったようにプレイしながら学んでいくしかない。


私が語学学校に通っているときの話だ。クラスメイトでアイザックという中国人の友達がいたのだが、彼は17歳ながら頭もよく知識も豊富で英語も上手だった。彼はクラスでも成績トップで、他のクラスメイトにも頼りにされていた。


ある日、ライティングのクラスで先生が採点し終わったエッセイを返却してくれた。僕は、ライティングは得意な方だったのだが、点数でアイザックに勝てるわけはないだろうと思いながらも彼の点数をみると、以外にもそんなに高い点数ではなかった。


その理由は明確で、先生はエッセイの書き方や文章の構成の仕方などを教えてくれたのだが、彼のエッセイはそれにしっかりと沿ってはいなかったのだ。それによって彼はかなり点数を引かれていた。


一方僕は彼ほどいい内容のエッセイではなかったがしっかり先生がいったことに従い、つまりルールに従い書いたことでクラスの中で一番良い点数を取ることができた。


アイザックのように知らないことにより損をしたりした人を今までたくさん目の当たりにしてきたし、自分がルールを知らず損してしまった経験もある。知らないのと知っているのでは天と地の差がある。


知らない方がいいことももちろんあるかも知れないが、知らないと自分が損をしていることにさえ気づくことができない。


結局自分が損をしていることに気づかないで人生を送っていくことになる。実にもったいないことだ。無知ではゲームに勝てない。

「知ることの重要性を知る必要性がある」
You have to know necessity of knowing importance of knowing.



7.結局は人間力

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2014年8月、語学学校を卒業して9月に大学入学を控えていた頃、僕は大学で何を学べばいいのかについて考えていた。


友達と話したり、先生や先輩に相談したり、ビジネス書を読んだり、Youtubeでいろんな人の講演会をみたり、インターネットで調べたり、実際に自分のお店を開業した方にお電話してお話を伺ったりしてビジネスを成功させるために自分が学ぶべきものを模索していた。


日本をでる前から将来は起業し自分のビジネスを持ちたいと思っていてビジネス学部に入ることは決めていた、だがビジネスの中にもマーケティングやマネジメント、ヒューマンリソース、アカウンティングなど様々なものがある。


考えた末、僕はマーケティングを学びたいと思った。理由はどんなビジネスにもマーケティングは必要不可欠で、どんなに良い製品があったとしても、マーケティングができていなければしっかりとした収入を生むことは難しいと思ったからだ。


8月下旬、僕は買い物に行くために近くのスーパーへ向かって歩いていた。その時ふと頭に浮かんだ、「結局は人間力なんじゃないか?」


人間力と言う言葉を初めて知った人もいるかもしれない、人間力とは、文部科学省によると、「社会を構成し運営するとともに、自立した1人の人間として強く生きていくための総合的な力」と説明されていて、それは知的能力的要素、社会・対人関係力的要素、そして自己制御的要素で構成されている。とても堅苦しい説明だ。


僕は、人間力は一言で言うと、「他の人と良い関係を築く力」だと解釈している。


ビジネスというのは人と人との間で行われる、お金儲けのことしか考えていなかったり、自己中心的だったり、他人を思いやる心がない人とビジネスをしたいと思う人がいるだろうか。逆に誠実で、自己中心的ではなく他の人を思いやることができ、本当にいい価値をお客様に提供しようと務めている人となら一緒にビジネスをしたいと思えるはずだ。


そして、お客様に「あなたがいるからこの店から買うのよ」と思ってもらえたら他の店や企業に劣っている部分があったとしても成功できるだろう。


私生活でも同じことだろう、人間力が低い人が本当の意味で周りの人に好かれるのは難しいはずだ。


僕が至った結論はこうだ、「大学で何を学ぶかがその人の成功を決めるのではなく、人間力がその人の成功を決める、人間力について学び、それを伸ばせばいい」。

人生で君が成功したいなら良い関係を築く力は必要不可欠だ
Power of creating good relationship is essential if you want to succeed in your life




8.英語をしゃべれる人なんていくらでもいる、英語は道具

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「英語をしゃべれる人なんていくらでもいる」これは本当だ。僕がまだカナダに来る前、まだまったく英語が話せなかった頃、「英語が話せるなんてすごい!」と思っていた。


しかし、片言の英語なら話せる人、まるでネイティブスピーカーかのような英語を話す人、様々だが日本を出てみると英語が話せる人なんていくらでもいる。大学の授業を受けれるレベルの英語力を手に入れた今、それでもこの英語力があまりすごいとは思わない。


なぜなら、そんな人なんて自分以外にもいくらでもいるということに気づいたからだ。日本を出る前、僕は友達にこう言っていた「英語ぺらぺらになって帰ってくるからな!」。


だが今思うのは、どれだけ話せるようになれば「俺英語ぺらぺらになったよ!」と言えるのかがわからないということだ。


結局ぺらぺらかどうかは、自分以外の人が僕の英語を評価してぺらぺらかどうかを決めるということだろう。僕の英語を他の誰かが聞いて、その人がぺらぺらだと思えば僕の英語はその人にとってぺらぺらだし、カナダで何年も暮らしている人が僕の英語を聞いて、まだまだだと思えば僕の英語はぺらぺらではない。


もし、今この本を読んでいるあなたが英語を学んでいたり、英語に興味があったりしているなら、僕からあなたに一つアドバイスをしたい。


そのアドバイスとは「あなたがなんのために英語を使えるようになりたいと思っているのかを明確にする」ということだ。


つまり学ぶ理由をはっきりさせること。英語は単なる道具にすぎない。どんな道具もなにかをするために存在する。


ハンマーは釘をうったりするため、ナイフはモノを切るためといったようにあなたの英語もなにをするために必要なのかを考えてほしい。


僕の英語は、海外の大学に入学するために必要だった、だから語学学校に通ってアカデミックな英語や、リーディングスキル、エッセイの書き方や、文法を学んだ。


もしあなたが海外旅行に行ったとき不自由しない程度の英語力がほしいのなら、ライティングスキルを鍛える必要はない、片言の英語でも話せれば問題ないだろう。


もし高校入試や大学入試のための英語だったらスピーキングスキルは必要ないだろ、入試単語や文法といった基礎的なところをおさえ過去問を解いたりすればいい。


理由を明確にすると、無駄なことや、やるべきことが見える。だからあとは、インターネットで調べるなり、実際に英語ができる人に相談するなりしてどのように勉強すればいいのかを知り行動すればいいだけだ。


学ぶ理由を明確にすることは英語に限らず何かを学ぶときには一番初めにやるべきことなのかもしれない。

「あなたはなんのためにそれを学ぼうとしていますか?」
What are you trying to learn it for?




9.解釈の仕方を変える

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世界的に有名なドイツの哲学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェはこんな言葉を残している。” There are no facts, only interpretations.” 日本語訳にすると「事実など存在しない存在するのは解釈だけである」と言う意味だ。


つまり、どんな物事も考え方次第で変幻自在に形をかえるということだ。


僕はこの言葉が好きだ、そして彼の言う通りだと思っている。何事も考え方しだい、どんなことでもだ。


どんな物事にも必ずなん通りもの解釈の仕方がある。たとえば、受験勉強をしなければいけない時期に風邪を引いたとしよう。


「やばい!勉強しないといけないのに風邪引いてしまうなんて最悪!」と苛立つ人や、「受験当日じゃなくてよかった。


これで健康管理の大切さに気づけたな」と健康管理の大切さを再確認する人、「風邪を引いてしまった、最近頑張りすぎていたから体を休めろってことなのかな」と気楽に考える人、風邪を引くという一つの出来事でも様々な解釈の仕方がある。


このように僕たちは毎日一つ一つの物事を自分なりに解釈して生きている。同じ出来事が二人の人に起こったとしても、そこには違う解釈の仕方が存在するだろう。


あなたの目の前に壁が現れたとしても、あなたがその壁に対する解釈の仕方を変えるだけでその壁は低くなったり、薄くなったり、高くなったり、ひびが入ったりするのだ。

「解釈の仕方を変えてみると、違う何かが見えてくる」
After you change how to interpret, you can see something different.




10.行動したからこそ見える景色があり、気づけることがある

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立ち止まっていても、何も気づくことはできない。そこから見える景色は変わらないからだ。

行動してみると、成功するか失敗するかはわからないが、最低でも何かに気づくことができる。


今あなたは見知らぬ土地で、ある道に立っている。行ってみたい店に行こうとその店の看板を探しているのだ。


遠くにそれっぽい看板が見えた。今あなたがいる場所からは遠くにあるその看板はよく見えない、あなたは見えるところまで近づくはずだ。そこに留まっていても看板のほうから近づいてきてくれるわけがない。


そして近づいていくにつれて、その看板が探していた店の看板ではないことに気づくかもしれない、もしくはその看板に向かい歩いている途中で、細い路地に探していた店があることに気づくかもしれない。


それは歩かないと、つまり行動しないと気づけないことだ。


僕がまだ語学学校に通って4ヵ月の頃、大学のサッカーチームの監督に「来週、入団テストがあるから君も受けてみないか?」と誘われた。カナダでもサッカーをしてみたいとは思っていたが、その当時の僕には不安もあった。


英語もうまく話せないし聞き取れない、それに海外選手の体はやはり日本人と比べると大きさが違う、それにもし入団テストに合格したとしても語学学校の勉強や宿題に加えて毎週の練習と試合をこなさないといけない。だが僕は緊張や不安もあったが入団テストに参加することにした。


久々に体を動かしたのでとてもきつかったが楽しかったのを覚えている。二日間の入団テストの最後にコーチから合格だと伝えられ、それから練習とリーグ戦に参加した。


そしてサッカー部の友達もできたし、たくさんのことに気づくことができた。このレベルのサッカーだったら自分のレベルでも通用すること、日本人よりボールタッチが雑なこと、そんなに英語が話せなくてもサッカーはできるが戦術をしっかり理解できないことなどなどだ。


こうやって気づけたことは、参加を決めて(決断)実際にテストに参加(行動)したからこそ気づけたことだ。


不安や緊張、英語がまったく話せないから恥ずかしいという理由で、起きて勉強して遊んで寝てを繰り返す毎日を送っていては気づけなかったことであり、経験できなかったことだ。あなたの人生の中にもやったから気づけたという経験はたくさんあると思う。僕もたくさんある。


工業高校にいったから留学という選択肢が見えた、プログラミングに興味があったがやってみたら自分には向いていないことに気づいた、語学学校に留学してどれだけ自分の英語力がひどいか気づけた、自分は勉強できないと思っていたが、本気でやってみるとそうではないことに気づけた。


留学もそうだ、はじめに留学を父から勧められた時、「英語ができない自分には無理だ」と思った。違った。自分にできないわけがなかった。


それに留学を通してたくさんのことを経験したくさんのことに気づくことができた。留学してみると気づいた。留学は難しいものだと思っていた、英語ができないと思っていた、だが留学は決断すればできるものだった。最近、自分でまったく行動できていないと感じる人は、やってみないと気づけないことがあることに気づき、実際に動いてみるべきだ。

「当たり前だが、自分が動けば周りの景色はかわる」
It is natural that scenery around you changes when you move.




11.夢は変わっていいもの 夢を見つけるために必要なこと

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自分の将来の夢が変わった時に「お前、夢コロコロ変えすぎだよ」などと言う人たちがいる。


僕はコロコロ変わることが悪いことだとは思わない。

夢は変わる。

夢とは将来実現したい願いという意味だ。

そう、将来実現したいことは変わるものだ。


そもそも保育園や幼稚園に通っている頃から一度も夢が変わっていない人などいるだろうか。ほとんどそんな人はいないはずだ


。例えば、子供の頃の夢で「ウルトラマンになる」や「プロサッカー選手になる」などはありふれた夢だろう。


しかし、子供の頃の僕たちの知っている世界は狭く、自分のことすらよく理解できていない、だから成長するにつれてウルトラマンになることは不可能だと気づき、プロサッカー選手になることが自分に向いていないことに気づいたり、プロサッカー選手よりもっといい夢を見つけたりする。


小学校に進学すると、一つ世界が広がる、中学そして高校と進学していく中で一つまた一つと世界が広がっていく。


いろんな人に出会ったり、本を読んだり、テレビを見たり、海外に行ったりして外の世界を感じていくたびに僕たちの世界は広がっていく。広がれば広がるほどいろいろなことを感じることができ、新しいことに気づくことになる、「世界にはこんな場所があるのか~!行ってみたい!」、「プロサッカー選手になるのってこんなに難しいのか」、「こんな職業もあるんだな」、など、どんなことを感じ、気づくのかは人それぞれだ。


子供の頃の僕は、ウェブデザイナーや、システムエンジニア、プログラマーなどの職業があることを知らなかった、知らなかったのだからそれになりたいと思うことなどできない。だが、自分の世界が広がるにつれてこういう職業があることにも気づくのだ。


夢が変わるということは自分に正直で、気づく力があるということだと思う。


自分の心の変化に気づき、その気持ちに正直になることで夢は変わる。例えば、ある少年が海外の貧しい地域でボランティアをしている人たちが輝いているのをテレビで見たとき、彼の心は何かを感じるかもしれない。


それが彼の海外でボランティアをするという夢の始まりかもしれない。しかし、もし彼が海外でボランティアをしている人たちをテレビで見たときに彼自身の心の変化に気づかなかったら、彼の夢は違うものになっていただろう。


このように自分が将来やりたいことを見つける瞬間はあっさりやってくる、それに敏感になればなるほど夢が変わる瞬間は多くなるだろう。


「将来のやりたいことが見つからない」という学生はたくさんいると思うが、僕がこの用に考えていて思うのは、夢を見つける一番の方法は自分の心の変化に敏感になること、そしてその気持ちに正直になることだと思う

「自分の心の変化に敏感になる」
Become sensitive to realize changes in your mind.




12.余裕を持つ

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少し時間をとって考えてほしい。あなたは人の話を真剣に親身になって聞いてあげることができているだろうか。


あなたは自分以外の人のことを気にかけてあげることができているだろうか。もしできていないのなら、あなたは心に余裕がないのではないだろうか。


自分のことばかり考えているのではないだろうか。今の僕がまさにこの状態だ。


やらないといけないこと、やりたいこと、考えていることが多くて人の話をしっかり聞けていないと感じる。


人と会話していても、相手の話は聞いてはいるのだが、相手の気持ちまでは聞けていないと感じることがある。


つまり、話を頭では理解しているのだが心では理解していないのだ。そうなると、相づちも適当になり、会話もうまく続かない。


だから心には自分以外の人の気持ちを理解するためのスペースを常に作っておかないといけない。


聞く力に関する本はたくさん出版されており、デール・カーネギーの著書であり世界的ロングセラーの「人を動かす」の中にも聞く力の重要性が説かれている。


その長年重要視されてきた聞く力を最大限に発揮するには、話の内容だけではなくその人の気持ちまで汲み取ることが必要になってくると思う。話し手は話を理解してもらいたいだけではなく、そのときの気持ちも理解してほしいのだ。


相手の話を頭と心で理解するには、自分に余裕があることが大前提となる。例えば、あなたの家族が亡くなったとき、あなたは車好きの友人が運転中に車を壁にこすってしまったという話を真剣に頭と心で聞けるだろうか。おそらく無理だろう。


あなたは、悲しみや悔しさ、これからの生活、葬式などの準備や遺産相続の問題で頭も心もいっぱいのはずだ。


自分に余裕がないときに、相手の気持ちを汲み取り、共感することはできない。

「自分の中に相手を理解するための場所を持っておく」
“Have a space to understand others in your mind”




13. 先を考える

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もしあなたが将来のことを考えていないのなら、僕はこう言いたい、「今すぐ考えろ」。


学生であってももうすでに社会にでて働いている人にもだ。僕は先のことを考えずに生きている人が多いと感じる。


それは僕が高校生だったころから感じていたことだ。工業高校に通っていた僕は高校一年生の頃から自分の高校卒業後の進路について考えていた、常に先を見据えて行動していた。


工業高校なのでほとんどの生徒が就職という進路をとる。就職となると、その就職した会社で一生働くことになる可能性だってあるにも関わらず、僕の目には他の生徒は自分の進路なんて考えていないように見えた。


「高校一年だからまだ考えるのは早いだろう」という意見もあるかもしれないが、僕は先を見たら今が見えると思っている。


つまり今自分に何ができるのかがわかるということだ。なにも進学先を決めろや就職先を決めろと言っているわけではない、あくまでも考えたほうがいいといっているのだ。


僕も高校一年生の頃に自分の進路を決めたわけではない。考えることに意味がある。なぜなら考えると見えてくるものがあるからだ。自分がどんなものに興味があるのか、今自分がなにをした方がいいのか、どんな企業や大学があるのか。

陸上競技のハードル飛びをしようとしている人が先を見ないで走るだろうか?下ばかりを見て走っていると、先に立っているハードルが近づいてきているのが見えない。


ハードルが見えたときに急に飛び越えようとしても、歩幅がうまく合わなかったり、助走がうまくできていなくて飛び越えることができないかもしれない。


でもしっかり前を向いて走り先にハードルが立っていることがわかればしっかり心の準備をし、助走をとって歩幅をしっかり合わせて飛ぶことができる。さらに、走る前に自分がハードル飛びをやることを知って入れば、いい記録を残すために練習をしたりして自分を見直すはずだ。


持久力は十分にあるか、強化すべき筋肉はどこか、体調管理はできているか。あなたの先(未来)はあなたにとって大切なものだろう。


ならその大切な未来のために今何ができるだろうか。未来への準備はできているだろうか。

あなたが生きている今は大切な未来のための今
The present that you live is the present that is important for your future.




14.振り返った時に気づけること

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僕たちは自分たちの人生を歩みながら点をつくっている、一本の線をつくっているのではない。


振り返った時にその点が繋がっていることに気づくことができる。アップル社の設立者であるスティーブ・ジョブズは2005年に出席したスタンフォード大学の卒業式で卒業生に向けてスピーチをした。そのスピーチは伝説のスピーチと呼ばれるようになるのだが、そのスピーチの中で彼はこう言っている。

“You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future”

「先を見て点をつなげることはできない。振り返った時に点を結ぶことができるのだ。だから信じなければならない、点と点はつながるということを」

意外に思うかもしれないが彼は大学を中退している。


理由は、高いとは言えない親の収入はほとんど彼の大学の高い授業料に使われており、親が生涯かけて稼いだお金を使ってまで大学に通う価値を見出すことができなかったからだそうだ。


だが実際は「大学を辞めるときはかなり怖かった」とスタンフォード大学でおこなったスピーチの中で語る。しかし彼は続けてこう言いうのだ「いま振り返ると、これが人生で最良の決断だったのです」と。そしてもう一つ彼はスピーチで彼の人生の中で点と点が繋がった話をした。


彼が大学を中退したあと、彼は大学に残り興味のある授業を受けていた。その中の一つがカリグラフィ(文字を美しく見せるための手法)の授業だ。ただ興味があるという理由で受けていたこの授業が将来役に立つなんて思ってもいなかったと彼は言っている。


だがそれから10年後、それは確かに役に立ったのだ。彼が最初のマッキントッシュを制作する際、彼はカリグラフィの知識を詰め込み、様々な美しいフォントを持つコンピュータを作り上げたのだ。


大学を中退したからこそ今のアップル社がある、そしてカリグラフィの授業に参加したからこそ彼は美しいフォントをマッキントッシュに組み込むことができた。彼が大学を辞めた時やカリグラフィの授業を受け始めたとき、誰一人として、彼自身でさえ、それらの点が繋がるかどうかわからなかった。時が経ち、振り返った時にそれがいい決断だったこと、先に繋がったこと、がわかるのだ。


あなたにもこういった経験はあるのではないだろうか。過去にやったことが思いもよらない形で役に立ったや、過去に下した決断のおかげで今の自分がいると感じたとき、それが点と点が繋がった瞬間だ。


少し自分の人生を振り返ってみて欲しい、そして点が繋がっていることに気づいてほしい。

「今が未来につながることを信じる」
Believe that the present will connect to the future.




15.当たり前を疑う、そして幸せに気づく

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あなたが感じている当たり前、それは本当に当たり前なのだろうか?学校に通えていること、住む家があること、部活ができていること、毎日3食たべれていること、恋人がいることなどだ。


それらは本当に当たり前なのか?と自分に問いかけてみて欲しい。


そして気づいてほしい。自分が当たり前だと思っていることでも、他の人から見たそれらは当たり前ではないかもしれないということに、そして自分が恵まれているということに。


考えてみて欲しい。世界には学校に通いたくても通えない子供たちがいること、家がなくどんなに暑くてもどんなに寒くても路上生活を強いられている人々がいること、部活をしたくても家庭を支えるため、授業料を払うためにバイトをしている生徒たちがいること、僕たちのように十分に食べるものが手に入る人口は世界人口の約20%しかいないということ、そして事故や災害、病気などで恋人を失ってしまった人たちがいることを。


疑問を持ってあなたが思う当たり前を見直してみると、自分が恵まれていることや、感謝の気持ちが芽生えることに気づくはずだ。


幸せに生きる秘訣は当たり前を疑うことにあるのではないかと思う。当たり前を当たり前だととらえず、自分が恵まれていると感じて感謝する。そうするとおのずと幸せを感じることができる。


高級車、高級なジュエリー、高級ブランドの服などではなく、日々の生活の中から小さな幸せを摘み取って幸せを感じることができる。つまり僕たちは幸せを感じるハードルを下げることで幸せになれるということだ。


だが僕は妥協しろと言っているのではない。もっと自分に満足感を与えそれにより幸せを感じたいのならそれを追及すればいい。


僕が言っているのは、今の自分の状況を見直し、感謝の気持ちや恵まれていることに気づくことで幸せを感じることができるということだ。つまり考え方次第だ、そしてこれは誰にでもできる。

僕は中学生くらいの頃から、持病を持っているしよく怪我をしていたが自分は世界で一番幸せなのではないかと感じていた。もちろんそんなわけはないのだが、そう自分に言い聞かせていた。


ある程度ほしいものは手に入り、学校に行き友達と遊んで楽しい毎日が送れる。それだけで幸せを感じていた。「それだけで幸せなのか?」と思う人はまだ幸せを感じるハードルが高いのだろう。


本当は幸せを感じることは簡単なのだ。

自分がもうすでに幸せなことに気づけ
「realize that you are already happy」



あとがき

この書籍を最後まで読んでいただきありがとうございました。20歳で本を出版することになったのですが、出版してよかったと思っています。こうやって自分が思っていることや考えていることを書き出すことによって自分の中でいろいろ再確認できたからです。(2018年現在 24歳)

この本を読んでくださったあなたは、僕より年上の方でしょうか、年下の方ですか、いや同い年かもしれないですよね。あなたは20歳のときどんなことを考えていましたか?まだ10代の方なら20歳になったとき、どんなことを考えるでしょうか。



ご購入していただきありがとうございます。心より感謝申し上げます。



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