日本のエッチな漢文の話③『大東閨語』9-18段


9. 平将門の部下と平貞盛の婦


平将門、平政盛を襲ひて大いに勝ちたり。俘虜中、平貞盛(政盛が嫡子)が婦有り。年少くして色美なり。営中の軍士は之を挑めども婦は泣きて従はず。軍士強いて之を奸す。強陽奮然として鷹のごとく挙ぐ。深く入れ浅く出だす。攻撃甚だ雄壮なり。婦、此に於いて精神接せざることを得ず。腰を舞し尻を躍らし快適、色に形はる。既にして婦、先づ大いに精液を漏らす。軍士咲ひて曰はく「君が匪石の心、忽ち吾が㞗の為に転ずる所なり」といふ。婦、吁嗟として良や久うして対へて曰はく「身辱しめられて死すること能はず。屄弄ぜられて閉づること獲ず。紅涙白淫両つながら禁じ難し」といふ。

(現代語訳はちょっとまってて)

10. 和泉式部と藤原保昌


泉式部、藤保昌に嫁す。既にして寵寖移るに似たること有り。式部、之を憂へて貴船祠に祈る。保昌、其の詠ずる所の和歌を聞きて大いに感動し情好、殊に厚し。保昌、臥しながら式部が臀に附して曰はく「屄中の滋味、較や昔日に優るに似たり。」といふ。式部曰はく「唯だ是れ神明の恵を垂るる所ならん」といふ。保昌、咲ひて曰はく「神明、安くんぞ陰門の広狭を管せん」といふ。

和泉式部は藤原保昌に嫁いだ。しかし保昌の式部への寵愛はすでにやや移ってしまっていた。式部はこれを憂えて貴船明神に祈願をした。保昌は、式部が貴船において詠んだ和歌を聞き、大いに感動して関係は一層深くなった。(ある夜)保昌は寝ながらに式部の奥を突き、「女性器の中の良さは昔よりも優れたようであるな」といった。式部は「ただこれは神の恵みをうけたからである」と返した。保昌は笑いながら「神がどうして性器の広い狭いにも影響を与えようか」といった。




11. 藤原行成と清少納言


亜相行成と清少納言と情好和諧す。嘗て腹を合はせ股を累ねて臥す。行成、戯れて曰はく「玉門氤氳にして一に桃花源のごとし」といふ。清氏、声に応じて対へて曰はく「阿郎の偉き㞗、秦の時にも未だ聞かざる所なり。」といふ。行成、絶倒せり。

大納言藤原行成と清少納言とは仲睦まじかった。かつてお腹を合わせて股を重ね合わせて臥した。行成はふざけて「玉門(女性器)は気が盛っていて、ひとえに桃源郷のようである」といった。清少納言も声に応じて「あなたの大きなマラは秦のときにも聞かなかったことでしょう(『桃花源記』によると、桃源郷には秦の戦乱を避けた人が移り住んでいるといい、これを踏まえた行成の言に乗っかって、巨根の秦の嫪毐を引いた返事をした)」と返答した。行成は捧腹絶倒した。

12. 藤原教道、頼宗兄弟と小式部内侍


大二条藤公(関白教道)、小式部を愛す。公の弟堀河の右府(頼宗)、密かに之を挑み得て、与に私す。右府戯れに問ひて曰はく「我が㞗、兄の㞗に孰与れぞ」といふ。式部、羞渋して応ぜず。右府強ちに問ふ。式部咲ひて答へて曰はく「両㞗固より兄とし難く弟とし難し」といふ。

藤原教道は小式部内侍を愛していた。教道の弟藤原頼宗はこっそりと、教道に挑む機会を得て、式部と通じた。頼宗はふざけて「私のマラと、兄のマラとではどちらが良いだろうか」と尋ねたが、式部は恥じて答えるのを渋った。それでも頼宗は誤飲に尋ねた。すると式部は笑いながら「どちらのマラも元々甲乙つけがたい(ほどよいものです。『世説新語』を出典とする返事)」と答えた。

13. 赤染衛門と大江匡衡


赤染衛門、才色幷びに茂し。江匡衡に嫁す。一夜、匡衡仰ぎ臥して赤染を抱きて下より之を犯す。赤染咲ひて問ひて曰はく「知らず、此の拗体、何れの世に始むるを」といふ。匡衡曰はく「蓋し是れ大舜に権輿するか」といふ。赤染曰はく「何を以て之を知る」といふ。曰はく「舜、庶民にして帝女に婚す。敬重の状、当に此くのごとくなるべし」と。
赤染或るとき俯臥す。匡衡随ひて後より之を犯す。匡衡咲ひて問ひて曰はく「知らず、此の変体、何れの世に始むるを」といふ。赤染曰はく「蓋し是れ殷紂に権輿するか」といふ。匡衡曰はく「何を以て之を知る」といふ。曰はく「妲己は野狐の妖、交尾の態当に此くのごとくなるべし」

赤染衛門は才能が並はずれであった。大江匡衡に嫁いでいた。ある夜、匡衡は仰ぎ臥して赤染を抱いて下から挿入した。赤染は笑いながら「わからない、この体位(女性上位)はいつの世から始まったのか」といった。匡衡は「おそらくこれは大舜の頃に始まったのだろう」と答えた。赤染は「どのようにしてこれを知ったの」と尋ねたところ、「舜は庶民にして帝女に嫁いだから、女性が上の体位はこのようになったのだろう」と返した。
赤染はまたあるとき俯いて伏していた。匡衡はそれに沿って後から挿入した。匡衡は笑いながら「わからない、この体位はいつの世から始まったのか」と尋ねた。赤染は「おそらくこれは殷の紂王の頃に始まったのだろう」と答えた。匡衡は「どのようにしてこれを知ったのか」と尋ねたところ、「妲己は野狐の妖で、交尾の状態はきっとこのようであったでしょう」と返した

14. 常盤御前と平清盛


源義朝の妾常盤、国色無双なり。義朝、害に遇ふ後、平清盛之を納れ、甚だ寵して房を専らにす。清盛が㞗剛強にして通宵慾を恣にして英気撓まず。常盤已に疲れて汗、漿ごとし。勉強して臀を揺がし歔欷悽咽して連りに気を遣る。嘗て嘆じて曰はく「宜なるかな、先君の公の為に窘せらるるは。公の屪峰確乎として鋭し。先君の比に非ず。」といふ。(清盛時に年四十二、常盤時に年二十二)

源義朝の妾の常盤御前はこの上なく美人であった。義朝が殺されてから、平清盛が常盤を受け入れ、大層寵愛し、度々性交をしていた。清盛の男性器は硬く強く、夜通し欲望のままに交わっても精力は衰えなかった。常盤はもう疲労し汗が搾り汁のように溢れていた。励んで尻を揺らしすすり泣き、嗚咽しながら、しきりに絶頂に至っていた。かつて嘆息して「当然でありましょう、先君義朝が清盛に敗れることは。清盛の性器は硬く鋭うございます。義朝の比ではありません」と語った。

15. 藤原忠家とある宮人


亜相藤忠家(俊成の祖父)、夜に宮人と帳を隔てて語る。宮人辞気艶麗、忠家殆ど情に堪へず。遽かに入りて之を抱く。宮人羞渋して遁れ避けんと欲す。忠家縦にせず。宮人是に於いてりて尻を撒ず。其の音殊に大きなり。乃ち大いに恥じて俯伏す。忠家、惋愕して出づ。顧りみて謂ひて曰はく「佳人何の意ありて尻口、声を出だして人を呵す。」といふ。

大納言藤原忠家は夜に女房と帳を隔てて語りあっていた。女房の言葉遣いは綺麗で、忠家はほとんど気持ちを抑えきれなくなり、突然帳の内に入って女房を抱いた。女房は恥ずかしんで渋り、忠家から逃れようとした。しかし忠家は放そうとはしなかった。そこで女房はオナラをした。その音はとりわけに大きく、大層恥じて臥して顔を隠した。忠家は驚いて出ていった。のちにこのときのことを回顧して「美人はどんな心で、尻口から人を咎めたのだろうか」といった。

16. 祇園女御と平忠盛


白河帝、祇園夫人を出だして平忠盛に賜ふ。夫人、其の強陽を悦びて曰はく「壮なるかな、武臣の㞗は。今皇胤、子宮に在す。而して猛㞗恒に玉門に出入して之を衛護するを得たれば、賤妾、何の慮か之有らん」といふ。

白河天皇は祇園女御を出して平忠盛に賜った。女御は忠盛の強い性器に喜んで「強いことよ、武臣の性器は。今、皇子がお腹にいらっしゃる。そこでその強い性器が常に私の玉門に出たり入ったりをして守ることができれば、賤しい妾に対して何ら心配があろうか。」といった。(平清盛が実は皇胤であるという説から連想した話)

17. 二条天皇と藤原多子 


近衛帝の藤皇后(右相藤公能の女)、二条帝の為に節を屈し再び入内して新恩を承く。帝、后より少きこと数歳(二条帝十八歳、皇后二十三歳)なり。勁㞗煖頸、玉戸に填塞す。后、色動き気促す。乃ち玉臂を廻らして緊しく帝を抱き、繊腰は揺揺として玉屄は激昂す。交合快熟して窃宨矜持する能はず。娥眉を嚬して鼻息を麁くし、陰液は潮のごとく湧き、香汗は泉のごとく流る。興歇みて嘆じて曰はく「天威、妾を屈して妾が屄を弄す。妾が屄堪へず。妾が心を擾す。屄、若し縫うべく緘づべくんば則ち庶幾はくは此の憾莫からん」といふ。帝咲ひて益ます寵幸したまふ。

近衛天皇の皇后藤原多子は二条天皇のために意思を曲げて再び入内し新恩を受けることとなった。天皇は后よりも数歳ほど若かった。大きな性器にして暖かな亀頭を挿入した。后は顔色を変わり息が上がってきた。そこで肘を天皇の体に回して強く抱き寄せ、細い腰は振り、后の性器も揺れる。性交は快楽に至り、后が自身を美しく保つこともできないほどに乱れていた。美しい眉をひそめて鼻息を荒くし、淫液は潮のように溢れ、汗は泉のように流れる。楽しみは終わり、嘆きつつ「天皇の御威勢は私の意思を曲げ、私の性器を弄る。私の性器は耐え難く、私の心を乱してしまう。性器を縫って閉じてしまっていたら、性交が終わる恨めしさもなかっただろうに」といった。天皇は笑って一層寵愛した。


18. 小督局と藤原隆房


小督の局なる者は高倉帝の寵姫なり。藤隆房、密かに之に通ふ。小督、胯を張り膚を交はす。柔手、㞗を執りて陰戸に當つ。隆房咲ひて問ひて曰はく「窃かに聞くならく、主上の屪味、諸姫の為に懽ばるると。羞づらくは我が屪、君歯するに足らずと為さんや」といふ。小督、頭を掉りて答へて曰はく「君君たり。臣臣たり」といふ。

小督の局という人は高倉天皇の寵姫であった。藤原隆房は密かに小督のもとへ通っていた。小督は股を開いて肌を重ねた。柔らかな手は隆房の性器をとって自身の性器に当てた。隆房は笑いながら「恐れ多くも聞くところによると、天皇の性器はたくさんの姫を喜ばしているという。恥ずかしくも、私の性器は天皇には並ぶべくもなかろうな」と尋ねた。小督は頭をふって「君子は君子で、臣下は臣下です(君臣それぞれによさがありますということ、『論語』の引用)」と答えた。

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