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私のカルチャーショックと私の慢心をさらけ出して伝えたい

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本記事の本文はWEB天狼院書店に掲載されたものと同一です。

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2024年に突入した。

幸いなことに私は、紅白歌合戦で寺尾聰さんのカッコよさに痺れた余韻の中で年を越し、暖かい部屋でお節をゆっくり食べ、お雑煮を食べ、初詣に出掛け、お神酒を飲み、とても平穏な時間を過ごしている。

 

新年早々、国内外で心が痛むニュースに溢れている。

私にできることは、募金とお祈りすることくらいだ。

まずは自分が今ここでできることをやろうと、1月2日の夜に世界平和を願いながら、自宅で今年の写経初めをした。

 

平和を祈りながら300文字近くの文字を書く中で思い出された出来事が、いくつかある。そのうちの1つ、私の受けたカルチャーショックとその時気が付いた自身の慢心を、是非伝えたい。

 

私にできることは、募金とお祈りすること、そして私の経験を伝えることだ。

 

 

 

「人の死体は見慣れているから何とも思わないけど、動物の死体は無理だ……」

 

15年前、友人が発した言葉だ。この時に感じた衝撃は、私の人生で1番大きい。

この言葉に出てくる『人』も『動物』も、天寿を全うできなかった。

 

当時の私は大学生で、マウス(ネズミ)を使い実験をしていた。マウスを育て、子供を産んでもらい、産まれた子供の多くは生後7〜9週で大切に実験に使わせていただいていた。

事前に動物実験に当たっての倫理を丁寧に学び、指導教官からも、命を使わせていただくからには本気で実験しなくてはならないことを習った。

命を無駄にしないためには、実験の成功率を上げなければならない。丁寧且つスピーディーに臓器を取り出し処理を行い、正確なデータが収集できるよう努力した。

亡骸は包んだ上で冷凍し、学内に専門の業者さんが来られる日に指定場所へ運ぶ。それがルーティーンな日々を過ごしていた。

その、亡骸を運んでいる時に友人に出会い、あの発言の場面となった。

私は普段着で、大きな箱を台車に載せて、一人で学内を歩いていた。運んでいるものが何か、ほとんどの人には分からない状況だ。

 

旧ユーゴスラビアの、激しい内戦が長く続いた共和国から来た留学生の友達に、「何をしているの?」と聞かれた。

 

「動物実験で使ったマウスの死体を……」と、彼に説明した。

 

彼の顔が、みるみる曇っていった。

「人の死体は見慣れているから何とも思わないけど、動物の死体は無理だ……」

 

その言葉を聞いた瞬間、一気に色々な思いが私の頭の内で爆発した。

 

私は、なんてことを言ってしまったのだろうか。

彼はとても日本語が堪能なので、どのような表現でも通じただろう。それなのに安易に『死体』なんて言葉を使ってしまった。

私は悪い意味で動物実験に慣れきってしまっていた。命を使わせていただくことへの感謝の気持ちを、もっと深く持たなければ。

いつも明るい彼が、人の死体を見慣れていたとは。彼から少し祖国や戦争の話は聞いてはいたが、そこまでの状況を私は想像していなかった。知ろうという行動も、していなかった。なにも、していなかった。

 

人生で最大のカルチャーショックを受けた瞬間だった。

あの日、晴れた昼の空の下で感じたあのカルチャーショックは、たぶん、死ぬまで私の中で人生最大級だと思う。

 

 

当時の私は留学生交流サークルに属し、留学生が住む寮に住み込んでいた。多国籍の人たちと触れ合い、たくさん話し、理解し合いながら過ごしているつもりだった。

その寮には出身地域ごとにサポーターとして留学生のお世話係が住み込んでいて、あの発言をした彼も私も、そのサポーターだった。サポーター仲間でウェルカムパーティーを企画したりゴミ捨て方法の伝え方で悩んだり、恋バナをしたり、人前でイチャイチャすることへの葛藤の有無や学校の授業の違い、靖国神社や自然崇拝などについて話しながら、深く関わっているつもりだった。

 

そんな『つもり』を積み重ねた気になり、『宗教、民族、文化の違いを個人レベルで分かり合うことが広がっていけば未来は明るくなる』と、異文化交流を分かった気になっていた。

 

「人の死体は見慣れているから何とも思わないけど、動物の死体は無理だ……。そのへんに人が死んで転がっているのは国で見慣れている。動物が死ぬほうが、悲しみが深く涙が止まらない」

あの言葉に絶句し、当時の私は、自分自身を見つめ直した。

 

 

15年経った今、写経を経て、あの時のカルチャーショックと、あの時気が付いた自身の慢心を思い出した。

そして、『あの時、私は自分の受けた衝撃で手一杯だったが、母国とはかけ離れた、平和ぼけした思考の日本人と毎日を過ごす彼は、私のあの発言や態度をどう受け取ったのだろうか? あの発言だけでなく、きっと色々な場面でカルチャーショックを受けていたのではないだろうか?』と、初めて彼側へ思いを馳せた。旧ユーゴスラビアは、今もなお不安定な情勢だ。私は相も変わらず、知ろうという行動もしていないではないか。

 

 

ご遺体が周囲に転がっているのを見慣れている人が、この地球上にいる。そんなの、嫌だ。嫌だけど、事実だ。

年をまたいでも終わっていない戦争が、この地球上にある。そんなの、嫌だ。戦後78年以上経ち戦争を知らない私も、「嫌だ」と言うだけではなく、その事実を忘れずに過ごしたい。

 

 

令和6年、大変な幕開けだ。元旦に掲げた今年の目標に、3つ追加しよう。

 

神社仏閣へ出向き、私の幸せだけではなく、平和を、復興を願おう。

様々な現実を、知ろうと努力しよう。

1日1日の大切さを確認しながら過ごし、私が受けたこのカルチャーショックと、私が気付いた自身の慢心を、伝えよう。

 

私にできることは、募金すること、お祈りすること、知ろうと努力すること、そして私の経験をさらけ出して伝えることだ。

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