冬が来る前に/「知的生活の方法」:本物の人文系学者の気概/古典を苦手としていたのは/「たま」の「さんだる」:80年代ニューウェーブと90年代文化革命

11月13日(月)曇り

急に秋が深まってきて、天気の悪い日には一日ずっと寒々しい感じになる。昨日は最高気温で12度くらい、寒さが染みてきた感じ。山もだいぶ葉を落として、晩秋めいてきた。今朝は雪という予報もあったから少し警戒したが、小雨で済んだようだ。洋服の入れ替えなど冬支度もしないといけないし、そういう意味でのやることも多い。

反射式のストーブ一つでは寒いので隣の部屋のファンヒーターも持ってきてつけたのだが、ピッピッと警告音が鳴って「清掃ドアお手入れ」というサインが点滅している。そうだな、冬になるとこういう仕事も増えるのだよな、と思いながらまだ手をつけてない。

昨日は長めのコートを出してきて朝出かけるときに少し着たりしたが、夕方岡谷に行ったときにはジャケットで行った。夕方はまだコートは早いかなと思うような気温。書店で「葬送のフリーレン」のアニメのガイドブックを買い、夕食の買い物をして、少し歩いて市役所の旧庁舎の写真を撮り、セブンイレブンまで行ってモバイルSuicaにお金を補充した。戻る途中で信号待ちをしながらスマホを見ていたらいつまで経っても信号が変わらないのでよく見たら歩行者用はボタンを押さないと変わらないということに気づいた。5分くらい時間を無駄にした。

昨日はなんだか何がどう疲れているのかよくわからない感じだったが、9時ごろ寝て3時ごろ目が覚め、トイレに行ってメッセンジャーの返信などしてもう一度横になり寒くて起きたら5時だった。3時に起きた時は体も割と暖かい感じがしたが二度寝して起きると体が冷えていてすぐ入浴したのだけど、時間だけ考えれば6時間は寝ているのでそのタイミングで起きた方がよかったかなと思うなど。なかなか体調のコントロールは難しいなとまた思う。

新聞が来てないので確認したら今日は休刊日だった。車で出かけてセブンイレブンに行ってジャンプとスピリッツを買う。飲み物は何を買うか迷ったが午後の紅茶のレモンティーにした。昨日は買ってきたボスのカフェオレ缶が冷えてしまったので湯煎して温めて飲んだのだが、カップに移してチンするという手もあったなと今思った。しかしまあ、缶コーヒーは缶で飲むからいい、という面もあり、どちらがいいかは迷うところだなと思ったり。今朝はなんとなく、昨日よりは元気がある感じだ。体が元気でないといろいろがうまく動かないので、やはり体が元気であることは大事だなと思う。


渡部昇一「知的生活の方法」第3章まで読んだ。以前からつまみ食い的に少しだけ読んだことはあったのだが、ちゃんと最初から読むのは初めてだ。

一章は本を読む喜びを感じる、その感じを誤魔化さないことが大事だ、ということを言っていて、二章は自分にとっての古典を作ること、何度でも読み返せるレベルの高い本を自分で見出すことが大事だ、ということを言っている。

著者は子供の頃はさまざまな捕物帳に夢中になって読んでいたが、今でも読み返しているのは「半七捕物帳」だけであると言っていて、これは江戸時代の岡っ引きの回顧を岡本綺堂が聞くという構成になっているらしく、実際の江戸期の様子が活写されている名作だというのはどこかで読んだことがある。野村胡堂の「銭形平次捕物控」は(その当時の)現代的な演出が強いそうで、半七とは書かれた趣旨が違うようだ。そういうものだけがずっと愛読するものとして残ったというのは、なるほどと思う。

三章は知的生活を続けるには貧しくて金がなくてもとにかく身銭を切って本を買い続けることが大事だ、ということを言っていて、これもまあそうだなと思う。

全体的に、ここまで読んだ感じでは「本物の人文系の学者の気概」のようなものが強く感じられる、と言ってたらいいだろうか。自分の「面白い」という感覚を信じること。英語の本も、古典も、「面白くなるまで読む」ことによって自分のレベルを上げるということ。「筋の良い本」をしっかり読み続けることで自分の知的世界を広げ、過去の知的世界の人々と自分を接続するということ。その過去も現在も身分も貧富の差も関係なく通じる、理解することができることこそが「知的世界の本質」であって、そこまでいけば怖いものなく「これは面白い」「これは私にはつまらない」と堂々と言える、ということを言っているのだと思う。

これは現代の人文系の学者の多くがwokeの動きに右顧左眄して自分の地位を確保するのに汲々としているのに比べると清々しいし、渡部氏がのちに保守系の論客として「堂々と」意見を述べていたことにも通じる。

まあ彼の言説はどうかなと思うところももちろんないわけではなかったが、ただその裏付けとなっている人文系の知的体系は揺るがぬものだったんだなということはよくわかる。ある種の「決めつけ」が多いのはまあご愛嬌と言えばそうなのだが、その背景にある知性と感性を感じればこそ、それはそれとして個性の現れと受け入れられる、というようなものだなと思った。

貧しくても、生活に追われていても本を買って読む、というのは確かに教養生活にとっては大事だろうなと思う。この辺りは、塩野七生さんが「わが友マキアヴェッリ」で書いていたマキャベリの読書の様子、フィレンツェの役所での喧騒に満ちた仕事を終えて帰宅した後に服装を整えて椅子に座り、ローマの古典を読むという姿勢を思い出した。形から入る、というようなことではあるが、つまり読むべき本を読むときには居ずまいを正して読む、という姿勢の表れで、これは江戸時代の武士の読書風景などを時代劇で見ると正座して読んでいるのと似ているなと思う。

いずれにしても渡部氏はこの本で、教養が後退しようとしている時代に「知的生活」という名前でもう一度教養を重視する人々を再度生み出したいという気持ちがあったのではないかという気がする。この本の初版は1976年、渡部氏が46歳の時のもので、当時42歳だった私の父が深い感銘を受けたということは何度も言っていたので戦争によって変わってしまった世界でどのように知的な世界を維持していくのかという問題意識のある人は少なくはなかったのだろうと思う。

私自身は一念発起して「源氏物語」を谷崎訳で読破したのは30歳くらいになっていたし、「カラマーゾフの兄弟」を読み切ったのももっと後で、そういう意味での人文系の古典が血肉になった、みたいな感じはあまりない。やはり歴史系のものばかり読んでいたなと思うし、それも「名だたる古典」みたいなものはあまり読んでいない。カエサルの「ガリア戦記」を読んだのも多分30を超えている。

まあつまりそれは考えてみるとそういう学生時代を送らなかったので古典に対するコンプレックスみたいなものがあるということだなと思う。学生時代には本はめちゃくちゃ読んだが、講談社現代新書のようなものを数時間で読破する、というような読み方で知識量は増えたのは確かだがそういう「知の重み」みたいなものが十分に自分の中にない感じで、それは今でも残っているなあとこの本を読みながら思った。

古典に共鳴しないのは何故だろうなあと考えてみると、それはつまり「思想が強い」「クセが強い」からあろうなと思う。それはまあ当たり前なのだが、読んでいるうちに嫌になってくるというか、自分と違う意見、違う感覚のものを読みたくないという感じで、これは逆に言えば自分に芯がない、ないしは弱いからだろうと思っている。昔は読めなかったけど今なら読める、というものもあって、それはつまりその方面において自分なりの考えができてくるとまあそういう考えもあるかなと思って読める、というようなことなのだと思う。自分の考えがあやふやなレベルの時に強い思想性のものを読むと良くも悪くも影響されたり拒絶反応や副作用が出たりする感じがする、ということなのだと思う。

これはまあ実際にそうで、自分がある本を共感しながら、感動しながら読んでいるときにその内容を友人に話すと嫌がられるということがよくあった。つまり、自分の中で未消化のものをそのまま人に伝えようとしても瘴気が強い、ということなのだろう。それはもちろん自分の中でも自分の何らかの体系が組み変わっていきつつある時なわけで、あまり自分自身にも近づかないほうがいい感じがするときでもある。まあそういう意味で、自分はそういう外部からの情報とか刺激とかにめちゃくちゃ反応するところがあり、そこが多分自分の弱点でもあり長所でもあると思うのだが、その辺をなかなか活かしきれていない感じはする。


昨日の夕方岡谷に出かけたとき、帰りにNHK-FMをつけていたら「サカナクション山口一郎ナイトフィッシングレディオ」をやっていて、歴史的名盤を取り上げるという趣旨で「たま」の「さんだる」を取り上げていたのだが、最初から最後までベタ褒めでへえっと思った。

「たま」は世間的には平成元年の「イカ天」で出てきたグループなのだが、当時それなりにライブハウスのバンドを聴きに行っていた状況では、インディーズでは結構知られた存在で、むしろ「何故彼らがイカ天なんかに出るのか」という感じで見られていた部分もあった。私自身はライブに行ったことはないのでテレビで見たり「さんだる」を買って聴いたりしたことしかないが、当時は何となく音楽ってこういうものだよな、みたいに思っていたところがあってあまりにベタ褒めなのでちょっと驚いたというのはあった。

ただ言われてみれば、その後たまみたいなバンドは全然出てきていないし、ある種の伝統として受け継がれてもいないわけで、なんというか突然変異的な存在として終わってしまっているところはある。そういう存在がいきなり売れたからこそ音楽史に爪痕を残しているとも言えるわけで、メジャーデビューしたことは日本の音楽にとっても良いことだったのだろうとは思った。

まあ当時の世間の雰囲気が、映画にしても音楽にしても演劇にしても舞踏にしてもマンガにしてもいろいろと実験的なことをやっていて、そういうものが面白かったから逆にそういうのが当たり前だと思っていたんだなと思うが、今考えるとそれは多分小劇場周りの小さい世界の話だったのだろうと思う(世間はいわゆるシティポップだった。それが今世界で受けてるというのも面白いとは思うが)し、マンガもいつからかそういうものがなくなってきて自分として栄養が枯渇してきた感があった。それらは「80年代ニューウェーブ」と言われていたけれども、90年代にフリッパーズギターや渋谷系が出てきて音楽の文法が全然変わってしまった感じがあり、私はそういうものにほとんど触れなかったので(フリッパーズギターを初めて聴いたのは多分2010年以降)まあいわば紀元前の話なんだろうなという気はする。

マンガもアニメも音楽も演劇も今考えると90年代にかなり変わってしまって、それらは後からだけど自分でもある程度は追いかけたからその変貌を自分なりには理解しているけれども、映画は日本のものはあまり見なくてヨーロッパ映画はときどき見てたがそれも90年代末には見なくなっていたのでその後はよくわからない。

フリッパーズギターが見せた渋谷系の方向がそれ以降音楽を聴く人の主流になった感があるが、「たま」の方向性はその音楽上のある種の革命が起こるその時期の、一つの開くべき可能性としてあったものの一つだったのだろうなと思う。

というようなことを考えた。「たま」はそんなにめちゃくちゃ好きなわけではないけど、確かに時々聴きたくなるようなものではある。

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