しめ飾りを買う/ジェンダー論を跳ね返す哲学の強さ/テュルクの始祖の系譜とオスマン継承国家としてのエルドアン・トルコ

12月30日(土)晴れ

今朝の最低気温はマイナス4度。よく晴れている。朝焼けというか、空のグラデーションが美しい。お正月ということもあり、昨日は下の妹が来ていろいろ掃除などやってくれてありがたい。普段は私一人だとなかなか手が回らないので、こういう時に手を借りていろいろ負債を返済している感じである。

昨日はタイヤ交換に行ったのと、鯉の餌がなくなってきたのでそれを買いにホームセンターへ。それからTwitterで君塚直隆さんが書評しているのを読んだ高坂正堯「歴史としての二十世紀」を買いに書店へ行ったのだが、あったことはあったのだが新聞の書評欄を切り抜いたのを片手に熱心に立ち読みしている人がいて、本を手放さないのでカウンターで在庫がないか聞いたらそれしかないとのこと。しばらく観察していたが買うでもなく戻すでもなくただ読んでいるので仕方なく諦めて書店を離れた。それから車を湖畔に近い方に回して農協の専売所にしめ飾りを買いに行ったのだが、自分が認識していた店は農機具とかの専門で、その他の専売は別のところだということがわかり、とりあえず行ってみたらいつもよく行く塩尻市の専売所と同じような建物があってああここか、と思った。

しめ飾りは最後の一つになっていて、割といい値段がしたのだが鯉の餌を買ったホームセンターで見たしめ飾りがどうもちゃちいのしかなかったのでこれでいいやと思って自宅用に一つ買った。近くの地元の小規模スーパー、というか八百屋があってそこでもしめ飾りが出ていたので職場用に一つ買った。値段は1700円くらいがついていたがまあそんなものかと思って買ったら990円。もう時期も終わりだから安くしてくれたのか。新聞で締め飾りを巻いてくれたのだがその新聞が日刊スポーツの「安倍派議員四人聴取」という記事だったからちょっと笑ってしまった。


谷口一平さんのジェンダーに関する哲学論文がリジェクトされた話、ジェンダー派の哲学者みたいな人たちからの批判もいくつか読んだがほぼ谷口さんや永井さんに論破されていて、ある種哲学の強さみたいなものを感じた。普段から物事を根本から考えている人たちはやはり強いなと思う。「社会をこういうふうにしたいから哲学を手段として使って」みたいな人たちでは根本のところの議論になると太刀打ちができない。ジェンダー理論の成り立ちの根本をなぜ疑わない、少なくとも批判的に取り扱わないのか、と言われて答えられないのは社会学や運動の力学からすればともかく、哲学者の立場ではみっともない感じになる。というか哲学のような根本の学でなければそういうところは押し切られてしまうところがあるというのが日本のアカデミズムの現状なんだろう。歴史学などを見ても実に弱かった。こういう「強さ」は哲学のような根本的な思考のみに依拠するものにあるのだなと改めて思った。


読みたいものはいくつもあるが昨日は「テュルクを知るための61章」(明石書店、2016)を少し読んだ。最初はテュルク民族の初期の記憶という形で「オグズ」の人々の伝承、オグズというのは草原の道=ステップロードを通って西に広がったのではなく、シルクロードを通って西に広がった人たちで、彼らの中からセルジューク朝やオスマン朝が出てきたのだという。彼らの伝説的な始祖がオグズ・カガンで、 何世紀ごろの人と設定されているのかよくわからないが、ヴォルガ川に出征する話が出てくるので突厥と戦って西進した後のことと考えると唐の時代くらいのことだろうか。彼らは「蒼き狼」を始祖とするとの伝承を持ち、これはもちろんモンゴルのチンギス・ハーンの伝承を思い出させるわけだが、これはモンゴル側がテュルクから取り入れられたものだろうという。確かに時代を考えればテュルクの方が先に文献に出てきているわけであるし。

セルジューク朝もオスマン朝もオグズ・カガンの六人の息子と二十四人の孫たちの一人の子孫ということになっていて、これらの二十四人が二十四氏族の祖ということになっているわけだ。この辺は聖書のユダヤの氏族の記録などと似ているが、日本でも古事記に出てくる各氏族の始祖伝説が皇室と結び付けられているわけで、氏族社会の秩序はそのように恐らくは擬似的な血統によって結び付けられていたのだなと思う。オスマン朝はオグズ・カガンの長男のギュンのさらに長男のカユ・ハンの血を引くカユ氏族の出身だと「公式には」言われていたということで、イスラム世界帝国になってからのオスマン朝もルーツとしての意識はオグズのテュルクというものがあったということだというが、一方で人間の祖・アダムからの系譜も作られたりはしているようで、イスラムのカリフに相応しい系譜もまた用意されたということなのだなと思う。

オグズ・カガンの伝説というのは初めて知ったし、Wikipediaで見ても日本語版にはなく、日本ではあまり紹介されてこなかった話なのだなと思う。ただ、昔中央アジアに関心があったときに護雅夫氏の本は何冊か読んだので、その中には出てきているのかもしれないなとは思う。少なくともすっかり忘れてしまっていたことは事実だなと思う。

日本との関わりからモンゴルは関心を持たれてきたし、またイランもアケメネス朝やそれ以前から教科書にも掲載されているけれども、トルコとその民族性を共有するテュルク世界についてはあまり深掘りして紹介されてこなかったのだなと改めて思う。トルコ国家もケマル・アタテュルクのトルコ革命以来、西欧的近代化・世俗国家化を進めてきているのでそういうイメージが強かったが、エルドアン政権になってからオスマン朝の後継国家たることを意識したりなど、イスラム的・トルコ的な意識も強まっているように感じられ、その辺りでロシア・ウクライナ戦争にも単にNATOの一国としてではない独自の存在感を示し、イスラエル・ガザ戦争においてもネタニヤフ首相をヒトラーになぞらえて非難するなど、パレスチナの旧宗主国としての発言とも取れるものがあって興味深い。

イランの世界戦略もいろいろと知りたいところはあるし、トルコもまたそうなので、この辺りのところを歴史の方から深掘りしてもう少し理解していけると良いなと思った。

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