「自由」と「多様性社会」

自由が何にも束縛されずに自らの欲求を満たすことであるならば,それは多様性を受け入れるという,その許容性は,一見”自由な”と形容したくなり,多くの人がその本質を取り違えているように思える.

確かに,自由に生きることは自分のあらゆる欲望を制限なく満たすことができる.しかし,不条理なこの世界では数多くの制限がある.それは時間だったり予算だったり.ここで取り上げるのは”他人”だ.
この社会で個々の人が自己利益追求のための最大自由を求めるとなると,どうしても衝突がおこり,自由の拡大限界がくる.
それでもなお自由拡大を求めなければ,人の住む世界はより良くはならない.よって,衝突の起こらない拡大が必要になる.

そのために造られるのが秩序だ.それは法律だったり権利だったり,暗黙の了解だったり.秩序は一定の信頼の下に成り立つとても脆い代物だ.そしてもし自分たちがこの世界に生きより大きな自由を求めるのならば,そのガラス細工を守る責任が要る.
この世界が理不尽なのは,秩序を壊す輩が居ることと同時に,生きるために責任を負う必要があるからだ.

今の社会の秩序は,限界が近いように感じる.衣食住すらままらなかった社会から,必要最低限度の保証によって明日が来ると信じられる社会となった.けれど,そこには自由の衝突が生まれてしまった.人がどんどん多様化しているからだ.そこで,新しい秩序を作ることが僕たち——これからの世界を生きるものたちの”責任”であるように思える.

自由である権利が自分に与えられていようとも,秩序を乱すのならばその者は淘汰される.
今を受け入れ自分の行動に責任を持つ.これができていない人があまりにも多い.もちろん,人間は完璧ではないから,時に失敗をしてガラスにヒビを入れてしまうかもしれない.それでもそのヒビを周りの人と修復できる,自由拡大を制限なくできるようにする.これが僕の理想だ.



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