エスネコ@数学と教育

今噂の高専生/20歳/不登校の経験から全ての人が楽しめる学校を作ろうと思い勉強中⇒理想…

エスネコ@数学と教育

今噂の高専生/20歳/不登校の経験から全ての人が楽しめる学校を作ろうと思い勉強中⇒理想は暗殺教室/なりたいものは数学者とAIエンジニアとYoutuberと発明家と教師を足したもの.目標:日本の選択性のない教育界を変えること

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  • 足尾探索記

    • 10本

    足尾エリアをエスネコと香風音の2人で探索してきた。その様子をお届けする。

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エスネコの自己紹介

皆さんこんにちは、エスネコと申します。 僕はまだ何者でもない学生です。 この記事は、『エスネコ』の過去話を中心とした自己紹介となっています。 ■何者なのかまずは簡単な概要です。 ・2022年2月現在は日本のどこかにある高専2年生。18歳。 ・人生最大の目標は日本の古き教育を変えること。今は教育の何をどのようにどうやって変えるのかを考えるために基礎教養を勉強中。 ・理学(主に数学)が好きで人間に興味がある。 ここから過去を話しながら詳細を書いていきます。 ・なぜ高専に

    • 進まなくちゃならない.

      昔から自分のことで涙を流してきた. 自分の不満,自分の無力さ,自分の不甲斐なさ. 全部自分が原因だった. それがいつしか誰かが傷つくこと,居なくなってしまうことに変わった. 居なくなってしまうことはただ自分の手の届かない世界で生きているでもなく,命が絶えて完全に同じ世界から居なくなってしまうときだけだった. 生きていれば最悪ではないと, またやり直せると心のどこかで思い続けていた. でも,幸せも挑戦も恵まれた者だけに与えられる. なにを捨てても守りたい何かに出会

      • 狂気の年輪

        今年は本当に早かった.学校の有志グループで電気エンジニアとして働いて,ホロライブにハマって,推しの子で最高に盛り上がって,コミケに行って,20歳の誕生日を迎え,進学の壁にぶち当たって精神を病んで発熱して,今これを書いている瞬間は学校での広島旅行で素晴らしいピアニストと遭遇して,美味しいお好み焼きを食べた後カフェでゆっくりカフェオレを飲んでいる. 本当は進学のために起きているすべての時間を勉強に捧げなければならないのだけど,僕の心に従って今を楽しみながら全力で前に進み続ける方

        • 反省と後悔,そして期待へ

          エスネコです.久しぶりの投稿となります.ここ数ヶ月くらいまともな文章を書いていなかった.やっぱり書くことをやめると思考が曖昧になって自信が持てなくなってくる. 僕は高専に通っている学生(2023年現在4年在学)だ.入試前後の状況は次のnoteで紹介してると思う. これの最後を と締めました.あれからもう3年が経った. この3年間は自分にとってとても大きな意味を持つことであり,大切な時間でもあったはずだけど,なかなかその本質を掴めないでいた.だから今までの3年間を振り返

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        記事

          愚かな少年でありたい

          成長を感じられない.変化はしている. しかし,その変化が良いことであると確信が持てない. 大切なものが増えてきた.生きてほしいと思える人が多くできた. 好きなことをやり続ける努力が要ることは分かるが,楽しむと決めた人生に我慢があることが気に食わない. 自分ができることを特異であると考えるのは傲慢だ. だから自分にできないことができる人たちに憧れ,尊敬し,羨ましくなって自分の無能さに嫌気がさしてくる. なにかをつく作りたい.何かを成し遂げたい. 楽しいことをしたい.笑ってい

          愚かな少年でありたい

          テックエンタメに付随する過剰期待

          誰にも伝える気のない雑記. クリエイターの想像力と技術力全てを利用して作られるものが作品だとすると,今世の中にあり社会の人々に影響を与えている作品は人類の最高到達点だ.しかし,映像の世紀と呼ばれた20世紀にグラフィックがアカデミックやミリタリーの領域を飛び出し,経済的影響力を持ったエンタメコンテンツとなった.グラフィックによる質量のない情報共有が最大のエンタメコンテンツとなった現在において,一般人(非クリエイター)の質量世界にたいして適応される自身の予測にグラフィカルな華や

          テックエンタメに付随する過剰期待

          (-∞,∞)に存在する音波

          x,y,z方向に3次元.時間t方向に1次元. 人間の聴覚は渦巻菅の毛の時間あたりの変化量によって,強さ高さ音色が決まる.ある質量の位置が周期的に変化すれば,それは振動となり広義的な音になる. 動きがあれば,すなわちそれは音となる. Musicircus空間と時間の交点に在る音. ウルトラマンを"見て",敵の"音"と合わさり物語が生まれる. 光だけでも,音だけでも成り立つそれは,時間の中にある問答を持ってして人に文脈として理解される. 次のMusicircusでは,統一

          (-∞,∞)に存在する音波

          「自由」と「多様性社会」

          自由が何にも束縛されずに自らの欲求を満たすことであるならば,それは多様性を受け入れるという,その許容性は,一見”自由な”と形容したくなり,多くの人がその本質を取り違えているように思える. 確かに,自由に生きることは自分のあらゆる欲望を制限なく満たすことができる.しかし,不条理なこの世界では数多くの制限がある.それは時間だったり予算だったり.ここで取り上げるのは”他人”だ. この社会で個々の人が自己利益追求のための最大自由を求めるとなると,どうしても衝突がおこり,自由の拡大限

          「自由」と「多様性社会」

          参議院議員の選挙

          総務省のHPで参議院議員通常選挙と投票方法について解説されている. ページの最下に候補者・政党等情報があり,リンク先には全国各地の選挙区と各政党の概要が確認できる.各自治体HPでは,それぞれの選挙区の候補者情報(PDF)が見れる. 自分が投票権を持つ自治区の候補者を確認してみたところ,個人でのHP作成が確認できた.そのHPも予想よりも高いクオリティでかなりまともだった.インターネットリテラシーは一定以上あるかどうかは現代社会での立ち回りに大きく影響するだろうから,ネットの活

          ”人を見る”才能

          僕たちは人間だ.これは生物学的でもあるし,精神的でも有る. 人間は人間とは何かを問い続けてきた.形になって残っている著名な例はソクラテスらの哲学者だ. 人間は生きるために生きている. これは生物学的理由だ. けれど現代社会あるいは人類史上において一定数の者たちはさらなる意味を見出してきた. それは運命であるかもしれないし,使命や義務,はたまた娯楽かもしれない. しかし,そんな風に生きる理由というものを何千何万何億という人達が見出したとしても,全ての人にとっての最適解とはな

          ”人を見る”才能

          ウクライナ侵攻〜この世界を生きる権利と責任

          誰もが生きる権利を持っている.しかし,生きる上では頼ったり縋ったり助けてもらったりできる誰かが必要だ.そんな誰かを,人は時に傷つけ,壊し,殺してしまう.権利はどこまで行っても内発的にしか存在し得ない.けれど責任は己に課すことも他者に掛けることができる.人は誰もが生きる権利を持っている.同時に,誰かと一緒に生きる責任ももっている. 人類共通の究極理想は,ただ一人の例外無く,全ての人が良いと言える人生を全うできることだろう.そしてその理想は果て無く遠い. 良い人生は長く生きる

          ウクライナ侵攻〜この世界を生きる権利と責任

          継続、習慣、環境、無意識。

          継続するには習慣化する。習慣化するには環境を変える。環境を変えて意識せずに実行する。 ピアノを始めて2年が経ったが未だ誰にも享受していない。好きな曲を覚えて後は自分が楽しめるまで練習する。 好きなピアニストの配信を聞いてはピアノを弾きたくなる。モチベーションの維持が自分の嗜好的な習慣によって環境となっている。 環境と習慣は完全な同値ではない。ないからこそ、可能性があり心の大切さが増す。 今年の目標は従容不迫。 変わり続けることを日々の常にする。

          継続、習慣、環境、無意識。

          「個」の追求 〜普遍と特出〜

          個=人+固。独立性のかたい人、ひとりの意味をさす。引用:鎌田正:「新漢語林 第二版」,大修館書店 生物には,組織ネットワークを構築する種がいる.一方,個体で生きる種もいる. 猫は同居人として縄張り内にいる他の猫や人間を見ている.つがいになった所を見たことがないが,少なくとも人間社会での「他人」という存在に対してwin-winな関係を構築したりとかはなさそうだ. 蟻や蜂は,自己が所属するコロニーの仲間に対しては無害だが,一度同種の他コロニー出身の個体とアチ合わせると戦闘に

          「個」の追求 〜普遍と特出〜

          人の選択に自身が介入することで起こる未来の変化

          Twitterのリプ、YouTubeのコメント、学校での生活、仕事。これらは社会(特に日本国内)での活動において人間が他者と関わりを持つ場だ。 人は有りと凡ゆる場面で他人の領域に踏み込む機会がある。 また、人が認知可能な世界には限りがある。 これら有限の世界の中で人間は経験的に物事を学習し、独我(この世界に物自体が存在すると仮定したとしても、その物に対する自分の心象はどのような場合においても独我にならざるを得ない。)の中で他者の思考と感情を推測する。 だから、ある物事を好

          人の選択に自身が介入することで起こる未来の変化

          命の常なるもの

          上手に思い出すことは非常に難しい。だが、それが、過去から未来に向かって飴のように延びた時間という蒼ざめた思想(僕にはそれは現代における最大の妄想と思われるが)から逃れる唯一の本当に有効なやり方のように思える。成功の期はあるのだ。この世は無常とは決した仏説というようなものではあるまい。それはいついかなる時代でも、人間のおかれる一種の動物的状態である。現代人には、鎌倉時代のどこかのなま女房ほどにも、無常ということがわかっていない。常なるものを見失ったからである。(小林秀雄「無常と

          「時間を掛ける」ということ

          どうも、エスネコです。つかみ所のないような気がする文章ですので、暇つぶしにでもどうぞ。 今日は土曜日だけど、部活動的なもので学校に用事があった。 と錯覚していた。招集時間が16:00~17:00だった。 学校についてか気づき、時間を無駄にするのも気が引けから運動がてらサイクリングをすることにした。 自分の住んでいる町の中だが、やはり用事のない場所にわざわざ行くことがないため、新鮮味が味わえる。20分ほど走り続けふと湧いて出た考え。 ものを作ったり、技を磨いたりと、情緒的根拠

          「時間を掛ける」ということ