Kouta Y

勤務先 出版社(法律、実用、ビジネス) 大学 では演劇、映像論専攻 気に入ったものを何…

Kouta Y

勤務先 出版社(法律、実用、ビジネス) 大学 では演劇、映像論専攻 気に入ったものを何度も繰り返し読んだり見たりして、自分のものにしていく。好きな言葉「教養とは、思いやりである」

最近の記事

「七人の侍」野武士考 反省

①「なぜ生き残ったか」という問いと、と「野武士=侍だから」という結論を結びつける根拠が「同情、憐れみ」というのはいささか結び付きが弱い。これは今後も映画を見ながら、考えたいと思います。 ②生き残り人数が増えたなど、調べるなかで想定外のことが出てきて、そこに引きずられ、なかなか本論に入れず、とっちらかった。 よかった点 ③映画の裏話やゴシップに引きずられることなく、純粋に映画を論じる事に集中することは出来たと思う。 ④最後まで取り敢えず書けたこと

    • 「七人の侍」野武士考㉒ 全文まとめ

      結論 黒澤明監督映画「七人の侍」をご覧になったことがありますでしょうか?私は10代の頃に初めてこの映画を見て、以来30回以上は見ています。何度見ても新しい発見があり、世界的な傑作映画だと思います。  この「野武士考」は映画の悪役、野武士達に焦点をあて、「侍」と「野武士」と「大戦時の日本兵」がニアリィイコールの存在ではないかという仮説のもと、Noteで21回に書き分けたものです。今回、とっちらかった部分を修正しながら1本にまとめました。  論じ尽くされた感のある映画ですが、野

      • 「七人の侍」野武士考㉑資料編 41人の野武士 死亡/生存者全一覧

        まとめました。 1人目 00:18:50 物見 久蔵 太刀 2人目 00:18:52 物見 久蔵 太刀 3人目 00:19:00 物見 菊千代 村で百姓 4人目 00:25:44 山塞 久蔵 太刀 5人目 00:25:54 山塞 平八 太刀 6人目 00:26:03 山塞 平八 太刀 7人目 00:26:03 山塞 菊千代 太刀 8人目 00:33:16 水田 五郎兵衛 弓矢 9人目 00:42:27 夜襲 菊千代 太刀 10人目 00:42:48 夜襲 

        • 「七人の侍」野武士考⑳番外編 五郎兵衛・七郎次・勝四郎・平八

          (七人の侍を読んだ前提で書いてます) 本論であまり触れることのなかった侍について書きます。 五郎兵衛 初登場「御冗談を」のシーン。このエピソードからも危機察知能力の高さが伝わっていきます。守備の要の侍。「守るのは攻むるより難しい」といった勘兵衛ですが、彼の死は大誤算だったことがうかがえます。 野武士「7騎」と引き換えで高くつくと言ったのは、決して過大評価ではなく、残り13騎をすべて村に入れて最終決戦に持ち込むしかなかったのは、彼の頓死によるものが原因だったのではと考え

        「七人の侍」野武士考 反省

        • 「七人の侍」野武士考㉒ 全文まとめ

        • 「七人の侍」野武士考㉑資料編 41人の野武士 死亡/生存者全一覧

        • 「七人の侍」野武士考⑳番外編 五郎兵衛・七郎次・勝四郎・平八

          「七人の侍」野武士考⑲結論

          娯楽作品であるために、作品のカタルシスを守ったほか、私の考えるもう一つの理由が、先の戦争です。 「野良犬」「酔いどれ天使」「静かなる決闘」「素晴らしき日曜日」など、昭和20年代の黒澤作品は戦争の影響が色濃く出たものが多い。のみならず反戦は黒澤監督の生涯のテーマといえます。ですがこの「七人の侍」に関しては、エンタメ作品として位置づけられ、戦争の影響はあまり指摘されてません。 それでも恐らくこの映画にも戦争が影を落としています。特に兵站(へいたん・ロジスティクス)関連です。

          「七人の侍」野武士考⑲結論

          「七人の侍」野武士考⑱なぜ、野武士の生き残りは隠されたか?

          (「七人の侍」を見た前提で書いてます) 問いの後半、 Q2  なぜ、わかりにくい表現なのか? にたいしては、 A2 あくまで大衆娯楽映画として描くため。 結論はシンプルです。 以後、2回に分けて私なりの考えを提出し、この野武士考を締めくくります。 とにかく娯楽映画として大満足させる。映画そのものの爽快感を重視する。カタルシスです。 官兵衛が野武士を仕留めるたびに、一騎一騎 ✖ していくことに爽快さを感じた人は多いと思います。正義が悪を完膚なきまで叩きのめすさま

          「七人の侍」野武士考⑱なぜ、野武士の生き残りは隠されたか?

          「七人の侍」野武士考⑰野武士に最も近い侍は誰か?

          (「七人の侍」を見た前提で書いています) この映画で異彩を放つ侍、菊千代。もともと百姓の出です。 (01:36:39) 平八「これは田んぼのたの字、つまり百姓達。この村だな。」 菊千代「はーん、この丸は」 平八「俺たちだ」 菊千代「なんだ、六つしかねえじゃねえか、俺は のけものか」 平八「いや この三角が 菊千代様だ」 (一同 笑) 百姓に最も近い存在である菊千代のおかげで、侍と百姓はつながっています。彼なくして百姓と侍の共闘はあり得ませんでした。 冒頭か

          「七人の侍」野武士考⑰野武士に最も近い侍は誰か?

          「七人の侍」野武士考⑯野武士の組織分析

          (「七人の侍」を見た前提で書いてます) 41人の野武士は組織として、高度に洗練された戦闘集団です。組織としても充実しており斥候がおり、全員騎馬持ち、種子島を3丁保持しています。 少なくとも2部隊制です。実際、野武士の最初の襲撃の時、垣根を見た野武士たちが即座に二手に分かれています。 「小道を通って北へ20騎、南へ13騎」 (後編00:32:15) 頭目自身、40人もの猛者をまとめるからには、なかなかの統率力とカリスマの持ち主といっていいでしょう。 個々人の剣術の実

          「七人の侍」野武士考⑯野武士の組織分析

          「七人の侍」野武士考⑮ 落ち武者狩り

          (「七人の侍」を見た前提で書いてます) 野武士と侍を結びつけるキーワードとして「落武者狩り」があります。 落武者狩りは敗軍の武将を百姓が竹槍で追い回して、殺すか身ぐるみ剥いで金品に換える、と言った行為で、戦国時代の日常です。 この映画でも自分達が護ろうとしていた百姓達が、実は日常的に落武者狩りをしていたことが判明します。侍たちの表情が一変します。 (01:28:30) 何があっても動じない、加東大介演じる七郎次が、 「貴様、それでも侍か!この鎧は百姓が侍を突っ殺し

          「七人の侍」野武士考⑮ 落ち武者狩り

          「七人の侍」野武士考⑭映画は写真の連続体

          (「七人の侍」を見た前提で書いてます) 捕捉事項です 全体的に解釈については、荒唐無稽な妄想にならぬよう、線引をしています。 映画とは、物理的には写真と音声の連続体です。見る側がそれを脳内で行間を埋めて笑ったり、感動したりしているわけです。誰もがやっていることですが、人間にしか出来ない高度な知的作業といえます。(話は逸れますが、AIには出来ないことです) 野武士考は、奇をてらった論を提唱しているのではありません。 ただ、くだんの野武士のカット、その存在から行間を論理

          「七人の侍」野武士考⑭映画は写真の連続体

          「七人の侍」野武士考⑬虜となった侍の末路

          (「七人の侍」を見た前提で書いてます) 尋問を終えた物見の野武士、百姓たちが収まりがつかずになぶり殺しにしようとするシーン。 ここは、百姓たちの野武士への憎しみが特に際立ちます。 目も見えず、足腰の立たない老婆に鍬を持たせ、長老が「よし、せがれの敵(かたき)、討たせるだ!誰か、手をかしてやれ!」と叫ぶ。気圧されたように、侍たちは彼らを止めるのをやめてしまう。 それほど彼らの憎しみは深いのだ!と思わされるシーンです。 ですが、このシーンを野武士・侍側からみて見ると、別

          「七人の侍」野武士考⑬虜となった侍の末路

          「七人の侍」野武士考⑫野武士と侍は同じ元武士

          (「七人の侍」を見た前提で書いてます) 野武士と七人の侍達はもとは同じ戦乱の武士。 利吉、万蔵、与兵衛の3人が村を代表して、侍を探しにいくシーン。 (前半00:10:00) 街には戦国の世に主を失った浪人が、大量に溢れています。 家中に召し抱えられたいと誰もが思っていたでしょうが、そのようなものは一握りでしょう。多くは傭兵的な侍、戦国の世では重宝されていました。 一方で野武士となったものは無法を働いていました。不法ですが、自分のキャリアを最大限に活かしやすい道であ

          「七人の侍」野武士考⑫野武士と侍は同じ元武士

          「七人の侍」野武士考⑪ 時代背景 天正14年(1586年)結論

          (「七人の侍」を見た前提で書いてます。ご承知おきください) Q1 なぜ、野武士は生き残ったのか? 野武士に対しての憐みや共感が野武士の生き残りとして表出。 ではその憐みと共感はどこから来たのか。 それは彼らが生きた時代背景から見えてきます。 まずは年代特定から。 菊千代が自らの出自を偽装するために、どこからか盗み出した家系図を見せる場面(前半00:57:30)、 官兵衛が 「天正2年甲戌2月17日生まれ、、、ははは、おぬし13歳には見えぬが」 というシーン。

          「七人の侍」野武士考⑪ 時代背景 天正14年(1586年)結論

          「七人の侍」野武士考⑩本論と結論 作品に通低する野武士への憐れみ・共感

          (「七人の侍」を見たことがある前提で書いてます) 本論です。問題提起を Q1 なぜ、野武士は生き残ったのか? Q2 なぜ、それは分かりにくい表現なのか? の2つに分け論じます。2は1の検証がすべて終わってから移ります。 1は結論から言うと一番根底には、野武士に対する「憐み、共感」のようなものがあるのではないでしょうか。 憐れみや共感は同情や友情のようなものも含まれているかもしれません。とにかく野武士に対するシンパシーが、映画全体に通底し、全滅させるには忍びなかった

          「七人の侍」野武士考⑩本論と結論 作品に通低する野武士への憐れみ・共感

          「七人の侍」野武士論⑨斃れざま太刀を投げて、野武士を仕留めた久蔵

          (「七人の侍」を見た前提で書いています。) 本論前の脇道です。 久蔵の必殺技?パンフに謎の解説私がこの映画を初めて見たのは、高校生か浪人生の頃の1991年、「最後の劇場公開」と銘打たれての上映でした。 今回は物語のクライマックス、孤高の剣士・久蔵(宮口精二)が銃弾に倒れるシーンについてです。 撃たれた久蔵は刀を虚空に投げつけ、再び斃れます。侍としての美学、最後の魂の叫びといったものが、その挙動に表れており、心をうたれました。 ところが後に劇場で購入した公式パンフレッ

          「七人の侍」野武士論⑨斃れざま太刀を投げて、野武士を仕留めた久蔵

          「七人の侍」野武士考⑧野武士死亡カウンター 最後の決戦前まで

          官兵衛が「残るは13騎」というところまでに、きちんと27騎倒されているか、確認しました。 官兵衛が野武士を仕留めるごとに✖を付けていく図面。「官兵衛カウンター」をひきあわせながら検証しました。 後半DVD 物見の野武士(3人) 1人目 00:18:50 待ち伏せ 久蔵 太刀 2人目 00:18:52 待ち伏せ 久蔵 太刀 3人目 00:19:00 樹上からの不意打ち 菊千代→村で百姓により殺される 野武士の山塞(4人) 何人も倒しているのかと思いましたが、意外

          「七人の侍」野武士考⑧野武士死亡カウンター 最後の決戦前まで