「七人の侍」野武士考⑭映画は写真の連続体

(「七人の侍」を見た前提で書いてます)

捕捉事項です

全体的に解釈については、荒唐無稽な妄想にならぬよう、線引をしています。

映画とは、物理的には写真と音声の連続体です。見る側がそれを脳内で行間を埋めて笑ったり、感動したりしているわけです。誰もがやっていることですが、人間にしか出来ない高度な知的作業といえます。(話は逸れますが、AIには出来ないことです)

野武士考は、奇をてらった論を提唱しているのではありません。

ただ、くだんの野武士のカット、その存在から行間を論理的に埋めようとすると、どういうことが見えるのか?それを突き詰める「作業」を展開しています。

それにしても「七人の侍」が容易でないのは、非常に行間が豊かで、幅広い解釈ができそうでありながら、要所の設定が緻密で、うかつな事が言えないところです。

しかし新しい見方を提示できたら、この作品の深みは増すのではないか、と期待しています。


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