「七人の侍」野武士考⑲結論

娯楽作品であるために、作品のカタルシスを守ったほか、私の考えるもう一つの理由が、先の戦争です。

「野良犬」「酔いどれ天使」「静かなる決闘」「素晴らしき日曜日」など、昭和20年代の黒澤作品は戦争の影響が色濃く出たものが多い。のみならず反戦は黒澤監督の生涯のテーマといえます。ですがこの「七人の侍」に関しては、エンタメ作品として位置づけられ、戦争の影響はあまり指摘されてません。

それでも恐らくこの映画にも戦争が影を落としています。特に兵站(へいたん・ロジスティクス)関連です。

戦争で最も重要なのは戦略とともに兵站です。それは現代でも変わりません。

戦国時代、兵站とは何であったか。菊千代が百姓を作ったのは侍だ!と叫んだ後に言います。

菊千代「戦のためには村を焼く 田畑踏ん潰す 食い物は取り上げる 人夫にはこきつかう 女はあさる 手向や殺す 一体百姓はどうすりゃいいんだ!」(01:31:59)

要はそういうことです。これは野武士の行為ではなく、レッキとした侍たちのやってきたことです。おそらく官兵衛たち七人の侍達も、ある程度は関与せざるを得なかったでしょう。だから彼らは黙った。

当時の日本にも、まだアジア・太平洋戦争の記憶は残っています。映画論ですから、多くは述べませんが、思い出したくない記憶もあると思います。

特に兵站といえば「糧を敵に借る」と無謀な作戦を展開し、最後は現地調達すら難しいまま、多数の犠牲者を出した戦争末期。そういえば七郎次役の加東大介はニューギニア戦線の生き残りです。ほかにも私が引き合いに出すまでもなく、多くの優れた文芸作品や史料が残っています。

野武士は侍のもうひとつの姿でもありましたが、さらに旧日本軍の姿も重ねているのではないでしょうか。しかし戦争の生存者、当事者の方も沢山いる。目立って描けばかえってこれは自分たちの事だと思われ、辛い記憶を蒸し返してしまうかもしれない。

これは娯楽映画だ。おおいに楽しんでくれ。百姓の勝利に、戦の終結に快哉を叫んでくれ。

そういうことではなかったかと思います。

決論です。

Q .なぜ野武士は生き残ったのか。なぜ、それはわかりにくい表現なのか?

A .(1)七人の侍と野武士は元は同じ境遇の人間、哀れな戦乱時代の犠牲者である野武士にも同情の余地があり、全滅させるには忍びなかった。

(2)あくまで娯楽映画とするためだった。一つは作品としてのカタルシスを守るため。もう一つは侍と野武士は、先の大戦の旧日本軍とも重なる存在。その凄惨な記憶を蘇らせないよう配慮した。

以上を以て野武士考を終わります。粗々なので、多少お時間を頂いて、整理しなおし、別で上げていこうと思います。

野武士の生き残りのたったワンカットから、長々と解釈分析をしましたが、新しい作品の見方を提示できたなら、幸いです。

番外編を書いて一区切りします。

ありがとうございました。


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