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【短編小説】我のできることは少ない。

『【短編小説】僕のマフラーには尻尾がある。』の続編です。

せっかくの休みの日だというのに、今日は一日雨だという。
洗濯や家の掃除が済むと、途端にやることがなくなった。
普段は本屋に行くことが多いが、このところ買う本が多くて、家の本棚に本が収まらず、床にも積みあがっていた。その中に、読もうと思っていた本、つまり積読本もそれなりの数があるはず。

雨で外に出るのもためらわれるから、それらの積読本に手を出すかと、飲み物や軽食も準備して、本棚の前に立った。
こちらに向けられた背表紙を眺めていると、床に積まれた一番上の本が、音もなく開かれた。もちろん、自分は手を触れていない。

エアコンが付いているわけでもなく、雨が降っているので窓も開いてないから、風が本を開いたわけではない。それに本の表紙は厚いもので、風で開くには到底無理な代物だった。

閉じようかと手を伸ばしたら、目の前で本のページがめくられる。
まるで、その場に見えない人がいて、本を読んでいるかのように。
僕は伸ばした手の方向を変え、その隣にある本を手に取った。
すると、本のページをめくるスピードが速くなり、あっという間にひっくり返され、床に落ちた。

「読んでいていいですよ。」
「いや、今日はそなたに用があって足を運んだのだ。」

おかしな動きをしている本に向かって声をかけると、それに対して可愛らしい声で返答がある。その声の主は目に映らない。

「何かありましたか?」
さちが体調を崩して、寝込んでいるのだ。裕一郎ゆういちろう。助けてはもらえないか。」
「え、高瀬たかせさんが?」
「うむ。我は裕一郎に助けを求めればよいと進言したのだが、聞き入れてはもらえなんだ。」

その声には、心配の色がにじむ。

「どんな様子ですか?」
「咳をして、鼻をすすり、熱がある。」
「風邪ですか?」
「薬を飲んで、寝ていれば治ると、かすれた声で言っておった。」

聞いた症状からすると、普通の風邪らしい。
食べられそうな物と飲み物を持って、看病に行けばいいだろうか。
看病に行くほど仲がいいかと言われると、どうだろうかと思ってしまうが、心配は心配だ。
それに彼女はこちらに、家族はいなかったはず。声の主が自分に助けを求めるくらいなのだから、他に彼女が頼る人もいないのだろう。

「でも・・僕は高瀬さんの家知りませんよ。」
「我が教えるから問題ない。」
「なら、途中で買い物して行きましょう。高瀬さんはこの事は知ってますか?」
「寝ているところを出てきたから。我の独断だ。」

それは、僕が行っても大丈夫なんだろうか。
逆に気を使わせてしまいそうな気もするが。
まぁ、元気そうなら、買ったものを差し入れて帰ればいいか。

「それにしても、どうやってここへ来たんですか?」
「外を眺めてたら、猫が通りかかった。」
「・・猫についてきたのですか?」
「かつお節をやる代わりに、ここまで連れてきてもらった。雨だったから大分ごねられたが。」

「どうやって、僕の家を知ったのですか?」
「前に幸が教えてくれた。」
「・・なんで、高瀬さんは僕の家を知ってるんだろう?」
「それは元気になったら、本人に聞いてくれ。」

大いに聞きたい。自分だって、彼女の家の場所とか教えてほしかった。

質問している間に、身支度は整え終わる。
僕は宙に向かって声をかける。

右近うこんさん。行きますよ。」
「感謝する。裕一郎。」

僕の首元にフリンジのついたマフラーが現れる。
思わずフリンジに手をやる。相変わらずとてもいい手触りだ。
手を触れていると、くすぐったがるように、マフラー全体が震えた。


玄関に出てきた相手は、僕の姿をぼうっとした様子で見とめると、ハクハクとその口を動かした。何か話したいけど、言葉にならないといった感じだ。

高瀬たかせさん。体調大丈夫ですか?」
「・・猪俣いのまたさん。なんでここに。」
「我が呼んだのじゃ。」

彼女が発した問いに、僕の首元で、可愛らしい声が応える。
それを聞いた高瀬は、低い声でいさめるかのように声の主の名を呼んだ。

右近うこん。」
さちは一人で頑張りすぎなのじゃ。たまには人を頼った方がよい。」
「でも、猪俣さんに迷惑がかかるじゃない。」
「迷惑じゃないよ。むしろ頼られて嬉しかった。早く布団に戻った方がいい。外は寒いから。」

僕の言葉に、彼女は不承不承ふしょうぶしょうといった様子でうなずく。その顔は赤い。額に手を触れると、外を歩いてきた冷え切った手に、熱い体温を感じる。彼女は一瞬目を見開いたが、手を振り払う気力はないようで、おとなしく額に手を当てられたままでいる。

「かなり熱が高そうだね。」
「39度くらい。」
「何か口にした?」
「食欲ない。。」
「何か食べたほうがいいよ。温めるだけでいいもの買ってきたから。」

彼女は頷いて、僕を家の中へとうながした。
一人暮らしの1DK。自分が住んでいるところと、そう変わらない。
買ってきたものを冷蔵庫に入れたり、電子レンジで出来合いのスープを温めたりしていると、足元をタタッと歩く音が聞こえる。

目を向けると、モフッとした小型犬のような生き物が動いている。
一見するとポメラニアンっぽいが、よくよく見ると、子ぎつねだった。フサッとした尻尾は、マフラーについていたフリンジや、以前本に化けた時のしおりそっくりだ。

「それが右近うこんさんの本来の姿なんですね。」
「幸がこの部屋以外では、この姿を取るなというのでな。」
「可愛らしいですけど、確かに子ぎつねは身近にはいないですし。ペットにもしないから、目立ちます。」
「何かに化けるのは体力を使うのだが、仕方あるまい。」

子ぎつねが、あの可愛らしい声でしゃべっている。
この姿を見られたら、速攻で連れて行かれて、見世物みせものにされるか、解剖かいぼうされるか、少なくとも、ただでは済まないだろう。

「右近さんはどうやって高瀬さんと知り合ったんですか?」
「・・行き倒れてるのを拾われた。」
「それは・・仲間とはぐれてしまったのですか?」
「我は気づいた時には一人だった。我の住処すみかに足を踏み入れるものが多くなり、それから逃れたら、次は食料がなくなった。空腹で倒れてたら、作り物と思われたのか、ごみ集積場?に運ばれ、収集される前に、幸に救われた。」

僕が子ぎつねに目を向けると、相手もその黒々とした目で見返してきた。

「幸は我の命の恩人だ。だから、助けになりたいが、我のできることはこの世界では多くない。」
「人間には化けられないのですか?」
「化けられるほどの体力がない。それに幸はあまりそれを望まない。」

その時、電子レンジの音が響いた。温まったスープとスプーンを持って、高瀬が寝ている部屋に入る。僕が入っても、彼女はベッドに横になったまま動かない。顔を覗き込んでも目は閉じられている。寝ているようだ。

テーブルにスープを置くと、ベッドの横に座り込んだ。その横で、子ぎつねも座る。先ほどと同じように手を額に当てると、彼女の表情が少し柔らかくなった。手を冷たい水で洗ったせいで、濡れタオルのような役割を果たしてるのかもしれない。彼女が食事を取ったら、濡れタオルを準備しないと。

「裕一郎。」
「何ですか?右近さん。」
「幸を助けてくれて、感謝する。」
「・・高瀬さんは、大切な友達ですから、当然です。」

起こさないように手を頬に滑らせると、彼女がその手に顔をすり寄せた。

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