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【短編】赤い傘

自宅は高台にあって、2階の角に設けられた窓からは、川とその両端に広がる田んぼを望むことができる。成長すればするほど、この景色を自宅から見られるのは、結構贅沢ぜいたくなことだと気づいた。夏には、最寄り駅の更に奥にある河原で行われる花火大会も、自宅からそれなりの大きさのものを見られるのだ。

とはいっても、自分はまだ成人を迎える前のしがない高校生でしかないのだが。高校生活は、大きなトラブルもなく、過ごせている。つまり、特に変化のない毎日だ。
家に帰ってくると、ここから外を眺めることにしている。今日は雨だから、待っている人物に会える可能性も高まる。

川を横断している遊歩道のところに、見覚えのある傘が見えた。
僕はやっていた宿題を一時中断し、少しためらった後、手に袋を持つと、家を出て、傘のところに歩いていく。

「こんばんは。」
声をかけると傘の主はこちらを振り向いた。
そして、僕の姿を認めると、頭を軽く下げた。
「こんばんは。」
そう言って、川の水面が雨に打たれているのを眺めている。

長い黒髪を後ろで一つにくくり、制服を着た彼女は、中学の時の同級生だった。同じ高校には進学しなかったが、ここは彼女の通学路に当たるらしく、特に雨の日にはここで立ち止まって、遠くを眺めていることが多い。

「本当に雨が好きだな。」
「そうね。雨の日は誰にも邪魔されないから。」
彼女は僕を見て微笑んだ。
「若竹君みたいに変わった人は、そうはいないから。」
「同じ時間帯に、同じところで、同じ人物が立っていたら、さすがに気になると思うけど。」

「そうかしら?」と言って、彼女は首を傾げる。
「だって、ここからの景色は変わらないから。見ていて飽きないわ。私の家はもうすぐ取り壊されるし。周りの家もみんな引っ越していなくなってしまった。」
彼女は寂しそうに呟いた。
「もう引っ越し先は決まっているって、言ってなかったっけ?」

「ええ、引っ越したら、もうここには来れない。だから、今のうちにこの景色を眼に焼き付けておかないと。若竹君はいいわね。自宅からこの景色をいつでも見られるのだから。」
「いつかは自宅を出て、一人暮らしなりすると思うけど。」
「それでも、帰ってくれば、見られるでしょう?」
まぁ、自宅が引っ越しすることはないだろう。彼女の言うことは間違ってない。

「森さんも、見たくなったら、ここに帰ってくれば?」
「ただ景色を見たいが為に、帰ってくる人はそうはいないでしょうね。」
彼女は寂しげに笑った。年齢の割には大人びた笑みだ。何となく、そんな笑みは見たくなくて、僕は彼女に言った。
「じゃあ、僕に会うために戻ってくるのは?」
僕の言葉に、彼女は目を丸くした。

「私にもう一度会いたいと、思ってくれるの?」
「僕は毎日森さんがここにいないか、あの窓から確認しているんだよ。」
「暇なの?」
「暇じゃないよ。」
彼女は僕の答えを聞いて、楽しそうに笑った。
そう、いつもそうやって笑っていればいいのに。
「じゃあいつかまた貴方に会いに帰ってくる。」

「僕はそれを待ってる。」
「でも一人暮らしとかは気にせずにしてくれて構わないからね?私はいつ帰ってこれるか、分からないのだから。」
彼女は慌てたように言い募った。そういうところは彼女らしいと思う。
「分かった。自宅にいる間だけ気にするようにしておく。」
「やっぱり、若竹君は変わっているよね。」

僕は彼女に手に持っていたものを手渡した。
「これは?」
「引っ越しの餞別?みたいなもの。」
「傘ね。開いてみてもいい?」
「もちろん。ちょうど雨だし。」
彼女が差していた傘を代わりに持って、隣に立つと、彼女は付けられた簡易包装を外して、傘を目の前で開いた。

「なぜ、赤なの?」
「これなら遠くからでも、森さんだと分かるから。」
彼女は僕が渡した赤い傘を差したまま、今まで差していた傘を僕から受け取って閉じた。
「私に似合う色とかではないところが、若竹君らしいね。」
「森さんは青のイメージがあるけど。普段身につけているものも全部青系だから、たまには赤もいいかと思って。赤も似合ってるよ。」

こちらを見た彼女の顔が赤くなったように見えた。でもそれは、赤い傘が映りこんだせいかもしれない。
「私は何もお返しを用意してないけど。」
「・・今度会った時でいい。」
「いつ会えるか分からないのに?」
「それでいいよ。お願いがあるとすれば、ここに帰ってきた時に、もし僕がくる様子が無かったら、自宅を訪ねてほしいんだけど。」

「・・そうするとは言えないけど。心にはとめとく。」
「元気でね。森さん。」
「若竹君こそ。元気でね。」
僕たちは手を振って、お別れをした。
自分が彼女に伝えたかったことが、これで全てだったのか。彼女の後ろ姿を見つめながらもよく分からないままだった。

その後、彼女が差した赤い傘を見ることなく、また、彼女が自宅に訪ねてくることもなく時は過ぎ、僕は20歳になった。大学は自宅から通える距離にあったから、未だに一人暮らしもしていない。

今日は、市の成人式が行われる。市民ホールで開催されるから、そろそろ自宅を出なくてはならない。着慣れないスーツ姿で、直ぐに肩が凝ってしまいそうだ。
「あら、雨が降ってきたわね。」
「まぁ、嫌いじゃないから大丈夫。」
「気をつけて行ってらっしゃい。」

母に見送られ、自宅の玄関を出る。外は小雨が降っていた。
取り合えずバス停まで傘を差して・・。
玄関前の坂の上から、川の方を見やって、僕は目を見張った。
赤い傘が見える。
僕は赤い傘の持ち主の姿を確認するために、足を速める。

「森さん。」
黒いコートを着た彼女は、こちらを見て微笑んだ。
「若竹君。会いに来た。」
「おかえり。」
「ただいま。」
僕たちは見つめ合って、再会の挨拶をする。雨のおかげで2人の再会を邪魔する者は誰も現れなかった。

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