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【短編小説】かげおくり

10月29日につぶやいた140字小説を元に書き上げた短編です。

『かげおくりをしてみた。
地面の影を10数える間見つめて、その後青空を見上げる。影が白く浮き出る。
夏ほどではないけど、白く浮かび上がる影を見て、これがあの人の元に届いて、私の気持ちを代わりに伝えてくれないかと、夢想する。
でも、相手が見たら、驚いて逃げ出すかも。』

明日は土日。休みだ。
平日5日の仕事により、たまった疲れで、重い身体を引きずるようにして、自宅に帰った。今日はサブスクサービスで、好きな映画でも見ながら、夜更かししようと決めていた。おつまみやお酒も買ってきたし、準備は万端だ。休み前くらい、このような贅沢ぜいたくな時間も許されるだろう。

そう思っていた私だったが、その予定は、ある出来事によって打ち砕かれてしまった。

お風呂から上がって、リビングでくつろいでいた私の耳に届いたのは、インターフォンの音。思わず壁時計に視線を送ってしまう。もう、深夜0時をいくらか過ぎていた。私の家を訪ねる人物に心当たりはない。室内のインターフォンモニタを見ると、そこにはスーツ姿の男性が、所在なさげに立っていた。モニタ越しにこちらを見つめるおもては、見覚えのあるものだった。

白透はくと・・。」

思わず、彼の名前を口にしてしまう。
だが、彼が私の自宅を知っているはずがないのに、どうやって突きとめたのだろうか?私の実家に電話して、住所を聞き出したのだろうか?両親がそこまで考えなしではないと思いたいが、友達だとか嘘をつけば、それを信じて話してしまうかもしれない。

このまま黙っていれば、彼は諦めて帰ってくれるだろうか。今更なぜ私を訪ねてきたのだろうか。私たちが別れてから、もう2年は経っているのに。

伊音華いおか。いるなら応えてほしい。」

彼は、モニタ越しにこちらを見つめながら、問いかける。

「話だけでも聞いてくれないか。」

声に含まれた真剣な色を汲み取って、私はその場で大きく息を吐くと、インターフォンの通話のボタンを押した。


彼は、辺りに視線を走らせつつ、私が示した椅子に腰かけた。着ているのはスーツだが、なぜか通勤バッグは持っていない。彼はネクタイに手をかけ、少しだけ緩めた。私は彼の前に入れたお茶を置くと、向かいの椅子に腰を掛ける。2年ぶりに会った彼は、あまり変わっていないように見える。ただ、スーツ姿は、ほとんど見たことがなかったので、違和感が付きまとう。

白透は、私が勧めたお茶を飲むと、ほっとした様に表情を緩めたが、緊張しているのか、まだ硬い。私に向ける視線も、おどおどした印象を受ける。

「で、話って何?」
「久しぶりに会ったんだから、もう少し世間話でも。。」
「話があってきたんでしょ?どうやって、ここが分かったの?それになんで今更私に会おうなんて思ったのよ?」

彼は、私の質問攻めに、口元を引きつらせる。しかし、諦めたように口を開いた。

「伊音華。かげおくりって知ってる?」
「・・・天気のいい日に、地面に映った影を見つめる、あれ?」
「そう。小学校の国語の教科書に載ってた、ちいちゃんのやつ。」
「それがどうかしたの?」

彼は、その続きを言うのを躊躇ためらっていたが、思い切ったように言葉を紡いだ。
「自分は、そのかげおくりでできた『かげぼうし』なんだ。」
「・・・何を言っているの?」

彼はどこからどう見ても人間だ。私は彼に手を伸ばし、テーブルの上に置かれた握りこぶしに触れた。彼は、それに気づいて、握っていた手を開き、伸ばした私の手に、自分の指をからめた。
ほら、ちゃんと手の感覚もある。かげぼうしであるはずがない。

「俺が、伊音華の元に来たのがその理由。本当の俺だったら、伊音華がどこに住んでいるか分からなかった。」
「私の実家に電話して、聞いたんじゃないの?」
「違う。付き合っている時も、君の実家に電話したこと、なかっただろう?」

それは、彼が言う通りだった。私たちが付き合っていた2年前、彼が私に連絡を取る時は、直接、私の携帯宛に連絡をしてきていた。私はその時、実家で暮らしていたが、彼は実家に来たことも、実家に電話してきたこともない。

「本当の俺は、君に会いたかった。会って伝えたいことがあった。でも、君の居場所が分からない。だから、かげおくりをした時に、空に白く浮かび上がる影、つまり、俺を見て夢想した。俺がここに来て、本当の俺の気持ちを代わりに伝えてくれないかと。」
「そんなこと、あるわけない。」

彼の手と絡めた指は、外せなくなっていた。久しぶりに感じる感覚とぬくもりに、わずかなりとも心地いいと思う自分がいた。相手もそう思っているのか、繋いだ手を外さなかった。

「言いたいことは、本当の俺に会って、伝えてくれないか。」
「貴方はここにいるじゃない。」
「だから、俺は、かげぼうしなんだって。目的が果たされれば、消えてしまう存在だ。」
「目的?」
「先ほど言ったように、俺はメッセンジャーなんだ。本当の俺の気持ちを代わりに伝えに来た。」

彼は、繋いだ手に力を込めた。真剣な眼差しで私を見つめる。

「俺は、今でも君のことが好きだ。」
「・・他に好きな人ができたって言ったよね?別れる時に。」
「俺には、君がまぶしかった。やりがいのある仕事を得て、忙しいけれど楽しそうに働いて、話を聞く度に、自分は何をしているんだろうと思った。その時の俺は、仕事がうまくいかなくて、職場の人間関係も悪くて、体調も崩して、君にたくさん心配をかけてただろう?」

確かに、2年前は彼が話した通りの状態だった。彼は心の余裕がなくなって、会う時はふさぎ込んでいるか、逆に当たり散らしていた。私は彼に転職を勧めていたが、彼は転職活動をする余裕すらなく、何とか日々を過ごしていくのに精いっぱいの状態だった。私が、実家を出て、彼の家に住み、彼が仕事を辞め、回復するのを待つことも考えたが、そこまでさせられないと、彼から猛反対をくらったのだ。

「俺は、君にはふさわしくないと思った。それにそのまま一緒にいたら、君を傷つけるばかりだ。だから、俺は嘘をついて、君と別れた。」
「なんで、嘘ついたの?」
「そうすれば、俺の知っている君なら、きっと俺のことを思って、別れに応じてくれると思ったから。」
彼は苦しそうに、顔をゆがめた。

「君と別れてから、俺は何とか転職して、自分の生活も、気持ちも安定させた。全ては、君の側に、また並び立てるようになるため。結局2年かかった。そして、やっと君に自分の気持ちを告白しようと、電話をしたら、既に連絡先は変えられていて、君と連絡が取れなかった。」
「・・・私は、白透のことを忘れようとしたんだよ。だから、連絡先も変えたし、実家も出て一人暮らしを始めたし。」

「当たり前だよな。別れを切り出したのは、俺なのに。」
彼は諦めたような乾いた笑いをする。
「俺は、まだ伊音華のことが好きで、好きで、たまらない。できることなら、俺ともう一度付き合ってほしい。今度は結婚を前提として。」
「・・・白透、私。」
私が言葉を続けようとしたら、彼は大きくかぶりを振った。

「答えなくていい。俺は、この思いを伝えに来ただけ。答えられても、君の答えを、本当の俺には渡せないんだ。」
そう言って、彼は私に微笑みかけた。彼の輪郭りんかくがぼやけているように見えた。いや、実際にぼやけている。
「俺の目的は、果たされた。ありがとう。伊音華。」

私の視界もぼやけていく。彼と繋いでいない方の手で、溢れる涙を拭った。彼の体が全体的に薄くなり、背景が透けて見えるようになった。繋いでいる手の感触や力、ぬくもりも徐々に抜け落ちるように分からなくなってゆく。

「ダメだよ。私、貴方に自分の気持ちを伝えたい。」
「俺は、君のかげぼうしじゃないから。本当の俺にどうか伝えてほしい。それがいい返事でも、悪い返事でも、構わない。」
「白透。」
「伊音華。俺は、いつでも君の幸せを願ってる。」

彼はそう言って、笑って姿を消した。


川沿いのコンクリートで舗装ほそうされた遊歩道を、のんびりと歩いていた。いい天気で、空は高く、目が覚めるような青空が広がっている。自分の前には、夏と比べて薄い影ができていて、歩くのに合わせて、俺の前を進んでいる。

それを見ていたら、この間、かげおくりをしたことを思い出した。
前回も、この遊歩道を歩いている時に、目の前に影が伸びて、それを目にしてやってみようと思いついたんだった。
そして、白く浮かび上がる影を見て、別れざるを得なかった彼女に、自分の気持ちを代わりに伝えてくれないかと、考えたんだった。

この遊歩道は、自宅の近くにあって、彼女が俺の自宅に泊って行った時に、よく散歩に来ていたところだった。川沿いだから風が気持ちいいのと、景色が開けていて、気分転換にちょうどよかったのだ。

どうせだから、もう一度、かげおくりをしてみようか。
俺は、その場で立ち止まり、目の前の地面の影を見つめる。瞬きをしないように。1、2、3・・・。

10数え終わる前に、自分の影の頭の部分を、向かいから歩いてきた人が踏んでしまった。かげおくり失敗。
軽くため息をついて影を見ていたら、影を踏んだ人が、自分の影を踏んだ後、そのまま立ち止まっていることに気づいた。

白透はくと。」

自分の名前を呼ばれ、弾かれたように顔を上げる。相手の顔を認めた後、思わず涙が出そうになって、唇を噛みしめた。

ずっと会いたいと願った元恋人、伊音華いおかの姿が、そこにはあった。

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