見出し画像

カクブツカクブツ

私の最初の外姓の師は、吾妻黒岩氏の出で修験の法印をされていた方だった。


口数少なく、厳格な師だったが、たまにポツポツと語る言葉も、子供の私には難解で、決して馴染みやすいものではなかった。


しかしそういうコトバこそ、不思議と脳裏に焼き付くものらしく、意味もわからずなんとなく………という受容の仕方だっただけに、長じてからは色々考えを巡らせたのだから、法印の術はなかなかのものだったのかも知れない。


法印は共に旅をしながら、私に棒や柔を手ほどきしてくれた。

その都度、上手く出来ても上手くできなくても「カクブツチチだ、カクブツだぞ………」と、なにやら呪文めいたことを言っていた。


後にそれは、かの孔丘が『礼記』の大学篇で語った「致知在格物、物格而知至」のことだと解知った。


そしてそれは、思想的には多分に王陽明の流れを汲んだであろう法印にも拘わらず、朱熹の示した見解を、この言葉に関しては支持していたように思う。

曰く「理を顕らかにすることを御剱の徳と言う。御剱とは神代の剣で両刃である。理を窮めるには対象に刃を向けるように分析しなくてはならん。同時に自分に対しても刃が向く。自他を同時に斬る意。これを御剱と言う云々。」


大体そんなような話だったと思う。「忍=刃下之心」もまた同様のニュアンスで語られたと記憶している。

思えば祖母の「大刀之身(身之大刀)」もこの考えに基づいた工夫だったのかも知れない。


なんとなく厳しい話だな、位の感慨しか持たない子供時代の私だったが、後々このカクブツチチは、稽古だけでなく人生の経験を重ねていく上で大変役に立つ(呪文)となった。


技を施すには、対象に向ける意識だけでは我儘で一方的なものになってしまい成立しないので、必ず自分に対しても同様の技を掛けていく。

技は、先ず打たれ、切られる、と言う場に逍遥自若の態で入って行けなければ成立しないものなのだ。

これを私たちは掛待と言い、剣道等で「懸待一致」と言う概念に等しい。


他にも御玉の徳、御鏡の徳と、三種の徳について、焚火を囲みながら兀兀と語られていた。


ずっと後に「橘家神道軍傳」の「観心之傳・鎮心之傳」を正式に学んだ時、古文書の中に全く同じ言葉で、同様のことが記載されているのを見て、感動とも違うなんとも不思議な感慨を得た。

橘家神道の思想的根底には、少なからず山崎闇斎の垂加神道の影響が見られる。幼い頃から聞かされた朱熹のカクブツが、ここに及んで腑に落ちた、と言う話でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?