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東京で持ち歩く自宅の鍵

 日曜日に京都を出て東京新宿で一泊、月曜日は向こうで仕事を終え、京都へ帰ってきました。新宿のホテルにて、荷物を整理しておりましたら自宅の鍵が出てきました。持ってきたんだから出てくるのは当たり前なんですが、これを東京まで持ち運ぶ意味について考えこんでしまいました。
 東京にあったところで絶対に必要のないものなのに、わざわざ誰にも盗られたりしないよう心掛けながら東京で持ち歩く自宅の鍵。ホテルで見つけたときにその滑稽さに笑ってしまいました。
 自宅の鍵だけではありません。今回の東京出張は、いったん京都のラジオ局に立ち寄ってから出発したため、局に入るのに必要な入局証も持っていったんですが、これも東京には全く必要のないものです。でも、絶対に無くしてはいけない大切なものでもあります。自宅の鍵にしろ、入局証にしろ、絶対に自分で持っておかなければならないものだけど、東京にはまったく必要のないものという点が共通しています。こんなものをどうして私はわざわざ東京まで持って来なくてはならないのか。
 自宅の鍵は仕方ないとして、(まあ、これも自宅のポストに入れておくなどの対策はできますが)入局証も局を出たあと、いったん帰宅して置いてから改めて出発するということができなくはないのですが、京都駅へのアクセスが便利すぎる地下鉄四条駅に直結するビルの八階にある局から、三十分ほどかけて歩いて帰宅する、あるいは二百円ほどの電車賃で最寄り駅まで行ってから帰り、改めてそこから東京へ向かうべく出発することと、入局証を東京まで持っていくことと、果たしてどちらが非効率的なのでしょうか。
 新宿のホテルにある入局証の無力さときたら、そんなことを考えさせやがるんです。

 少し大きな話になりますけど、政治家の皆さんはよりよい社会を目指すため、無駄を削減し、予算を有効活用しようと頑張っておられるわけですが、上記のようにA案を通せばB案の無駄は目をつぶらなければならず、逆もまた然り、という案件が必ずあります。そういうときに、果たしてどっちの無駄を通すのか、なんですが、なんかいつも私が思うのと逆の方の無駄を選んで胸を張ってるイメージです。具体的に何というのはわからないんですが、そんなイメージ。

合理化を目指す政事が削ぎ落とす無駄を集めて踊るお祭り

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