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いまよりも優しい世界へ

 来る2月26日に磔磔で開催する涌井大宴会というイベントに向け、稽古に励んでおります。主に私の一人芝居のようなものをお見せするわけでして、「カラオケの男」「専門家の男」「祇園の女」の三本立てプラス、友人でミュージシャンの片山尚志さんにご協力いただき、何曲か歌うこともやってみようと思っております。近頃のライブはチケットが高くて困っており、不法に高い料金設定を眺めては「さすがにそれは見に行けへんで」とため息をついておった身としては、自分の企画のチケットを高くは設定できませんから、今回、当日券のみ1500円ということにいたしました。ハリウッドの大作映画を2000円で見られるのに涌井大宴会が2000円を越えたらあかんでしょう。

 さて。
 そんなわけで現在稽古に励んでおるわけですが、どこで稽古をするのかといえば、自宅から職場まで歩きながら稽古をするのです。「専門家の男」は専門家の吉林佳史が会場にお越しの皆さんに向けて専門的なお話をする、というお話なんですが、今朝はその吉林佳史になり、磔磔の壇上で行う講演を通勤途中に再現しつづけました。

 朝の7時台から8時台にかけて。
 日曜なので会社員の方などはお見かけしませんが、それでも地域のおじいちゃんおばあちゃん、自転車で疾走するおっさん、若いカップル、その他いろんな人たちが稽古中の私を通り過ぎていきます。
 独り言(セリフ)を発しながら歩く私は異常に見えるらしく(当たり前か)、誰もが私を通り過ぎる際、いくぶん早足になるわけですが、それでも数年前に比べれば、社会が私のような人間を許容する素地はできあがりつつあるような気もする。

 いろんな職業が世の中にはあり、平日のお昼には自宅にいる人だって多くいるはずなのに、ひと昔前はマンションで平日お昼に主婦とみられる方に鉢合わせすると、「あそこの人、仕事もせずに何をしてるのかしら、怪しい」というような空気が漂ったものですが、さすがに今、そういう空気を感じることは少なくなりました。

 多数派が少数派を蹂躙し、駆逐する世界から、「まあ、そういう人もおるわいな」と寛容な世界への過渡期を生きていて、その「過渡期さ」が今、稽古中の私を通り過ぎる人の早足となって顕れているのです。
 あの早足がどんどん鈍足になり、やがて普通の足並みになる頃には、いまよりも優しさに満ちた世界が広がっているに違いない。

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#涌井大宴会 #磔磔

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