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俺、金閣に住んでるねん

故あってここ数日、学生時代のことをやたら思い出すのです。

学生の頃 四年間、住んでいたのは金閣寺を北へ少し上がったところにある「ハイツ金閣」というアパートでした。当時 家賃3万3000円也。

実家から母と亡き父と三人で滋賀から車に荷物を載せてやってきました。世間知らず甚だしい私は、「一人暮らしに必要なものリスト」の一番上に、つまり、一番最初に書いたもの、つまり、一人暮らしするうえで何よりもまず必要なものとして「孫の手」と書いたのを覚えています。

孫の手を含む一人暮らしに必要な荷物を全て部屋に入れ終えると、父がどういうわけか、ユニットバスの蛇口をマックスひねり、水をじゃぶじゃぶ出し続けました。延々出し続けました。さすがに意味がわからず「何してるん?」と尋ねてみたところ、「ここは水道いくら使っても定額やねん」と言うのです。いくら使っても同じ値段なんやから、使わんかったら損やろう?という理屈で無駄に水を出し続けており、私の世間知らずは父譲りのDNAマターなのだと確信しました。

そんな波乱含みの一人暮らしの始まりでしたが、「ハイツ金閣」に住んでいて何がよかったかといえば、「俺、金閣に住んでるねん」って言えること。思えば住む部屋を決める時、決め手になったのは、この名前だったように思います。

大学の四年間をここで過ごしました。今、思い返してみるだけでも、いくらでも思い出が蘇ってくるのですが、一つ忘れられない思い出をあげるとするなら、卒業して部屋を引き払う日のことです。隣におばあちゃんが住んでいて、最後の日に挨拶へ行くと、「やかましくすることもあったから迷惑やったと思います」と おっしゃいまして。

あ、これは完全に、私が夜な夜なサークルの後輩やらを呼んでは呑めや歌えや大騒ぎしていたことに対する京都っぽい返しなのだろうと思っていますと、「少ないですけど、お世話になったお礼です」と、封筒をいただきましてね。もちろん固辞はしたんですけど結局は「ありがとうございます」と、いただきまして。そしたら五千円札が一枚入ってたんですよ。なんか知らんけど 泣けてきましてね。

あの五千円札だけは、いまも使わずに置いてるんです、ってことなら私にも『北の国から』みたいな話が書ける気がするのですが、何に使ったかは忘れました。

#令和3年8月19日  #コラム #エッセイ #日記
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