見出し画像

デザイナーズウィーク。【2008年11月3日】

せつなくなってしまった。

地方の人間の憧れの的、
デザイナーズウィーク。

たくさんのものがある。

最先端のデザインが、あるはずだ。
けれどもどうしても
感動できなかった。

正直な話、雑誌やWebで見る「印象」と
かわらないものがほとんどだった。

僕が知っている
彫刻や
絵画や
家具や
建築は

本物を見たときの
圧倒的な存在感に
たじろぐほどのものだった。

ただ、その会場にあるものは
ほとんどがメディアを通したものと
変わりなかった。

なぜだろ。一所懸命に考えました。

多くの製品は
ギジュツに裏打ちされていた。

レーザー技術の進歩や
素材の再現性の高さが
デザインに強く反映されているようだ。

けれども、そこには「手」の
不在があった。

おそらくで申し上げることだけれども、
きっとほとんどの製品は
コンピューター上で計画されている。

自由に見える美しい曲線も、
華やかな色も、

僕には数値に見えた。

手の迷いがない。

現場からの声がない。

デザイナーはデザインを主導する。
当たり前のことだ。

でも、その軌道は
気がつけば一本線になってしまったのでは
ないだろうか。

仕事が進む中で、現場の中で、戻る。

デッサンの迷い線の様に、
積み重ねられるはずのラインが
どうもいなくなった気がする。

もちろんコンピューターの成果によって、
デザイナーは自由を手に入れた。

けれどもその自由は
画面の向こうの自由のようで、

どうしても僕にはなじまないのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
久しぶりに古いブログからの転載です。
ちょっと改行が多すぎて。改行あった方が読んでもらえたポイントが高くなると言うようなブロガー的なやましさはなかったんですが、どちらかというとこの頃は詩集の方がよく読んでいたからこんな書き方になっているんだと思います。
それを考えると転載するのやめようかな?と、思ってずっとこの古いブログからノートへのお引越しをやめていたんですけど、やっぱ無くなったら無くなったで後悔するのでまた始めることにしました。

15年前、まだレーザーカットも丸を切るだけでも高かったです。Adobeのソフトも高くて買ってもらえなかった、そんな頃。とにかく行列に並んで入ってみたらアクリルレーザーカットの商品とガラケー周辺のものがすごい多かった印象で、夕方だったから外の展示は暗くて見えないし、散々な感じでした。
おそらくこの頃ようやく、イラストレーターで書いたベジェ曲線がそのまま変換してレーザーカットに使えるようになったんです。
それまではCADに置き換えると曲線は点の集合とかになっていて、CAD上でもう一度書き直すという作業もよくやってました。レーザー持ってる機械屋さんにはイラレ入ってなかったですし、ほんとようやく早い会社だけがその変換をできてって頃でした。

まあメディアを利用したデザインの見え方を構築し始めた時期で、テレビや雑誌もまだインターネットよりも力があって(しかし「日経デザインに騙された!」って本気で思った)、iモード全盛期で、スプツニ子とか出てきてって考えると転換期だったのかもしれないですね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?