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捨てられるものについてのお話。

めちゃくちゃびっくりしたんです。

中國新聞デジタルの記事。
新聞の記事はすぐに読めなくなるのでスクショで貼っておきますね。

中國新聞デジタル2023年7月20日

有料購読していないので記事自体は読めてないのですが、それでも「2020年の同ビル建て替え工事に伴い廃棄されていたことがわかった」というのは読めた。
「市民からは残念がる声が上がっている」とのこと。
しかし、それどころではないと思いました。
記事にも書いてあります。舟越保武といえば、昭和の日本を代表する具象彫刻では佐藤忠良と双璧をなす本物の彫刻家。おそらく、このくらいの作品が美術市場に出れば、どう安く見積もっても1000万は下らないはず。
彫刻はどんどん鋳造すればコピーできる複製芸術だと考えている人もいると思いますが、砂型鋳造は繰り返せば繰り返すほどどんどん造形が甘くなっていくので、大抵の場合は作家自身が鋳造して良い数を決めているのです。
実はこれはロダンが始めたことで、ロダンが日本に来て勝手に沢山コピーを鋳造されていたのをみてめちゃくちゃ怒って決めたことと言われています。以後ロダンは20基まで、佐藤忠良先生は15基までっておっしゃってました。

失われたものは、二度と取り戻せないんです。

そのころの日本を考える。

55年前。1968年として考えると日本は高度成長期真っ只中。まだ新幹線は広島まで来てなかったようだけれども(岡山ー博多間は1975年開通)、それでも1964年の東京オリンピックに始まり国自体が相当に元気だった時代というのはよくわかる。今調べたら「三億円事件」もこの1968年でした。
経済的に豊かになってきた国に、文化的豊かさの希求が生まれることは自然に想像できます。ツタンカーメンの来日が1965年、モナリザの来日が1975年というのをみても頷けます。また成長の反面、環境意識が高まったのもこの頃です。水俣病やイタイイタイ病が公害病認定されたのも1968年でした。

その頃の金持ちを考える。

「経済の向上」、「文化への希求」、そうして「公害問題から端を発する環境意識」。
この三つが折り重なることが、美術・文化意識を国をあげて盛り上げていくことに繋がったのではと推察し、そうしてその一翼を担ったのがこの時代の「金持ち」だったとではないかと僕は考えています。

言い方は悪いですが、「お金儲けした人たちが社会に文化として還元、公害を出してきたお詫びに環境改善」というのが「社会・文化を牽引する金持ち」の役割だと考えたのではないかと。マイケル・コルリオーネがバチカンに寄付するような(本当に言い方悪いですが)。でも実際高度成長期の中「工業」で財を成した「石橋美術館」も「出光美術館」もこの時期が一番繁栄していますし、ロータリークラブやライオンズクラブの活動が活発化したのもこの頃なので、あながち間違ってもない気がしています。

さて旧広島駅ビルの話に戻ります。

こんな時代背景ですから「国鉄」が自ビルに彫刻をつけたことは当たり前だったと考えてもおかしくありません。国だしお金あるし、新幹線そこまできてるし、移動手段の顔として文化的な「彫刻」を、50代で東京藝代の教授になりたて(1967年に藝大教授に就任している)の舟越保武に発注したのだと思います。広場に置かれるわけではなく、壁にレイアウトされているところをみても、また平和のシンボル的なモチーフをみても、明らかに舟越保武はできる建築と取り付けられる場所を想定してつくったのだとわかります(ちなみに舟越作品の最大の特徴であるシンメトリーで女神のような作品はもうあと10年くらい後になります)

色々調べているうちに増田裕さんの「廣島ぶらぶら散歩」というページに辿り着きました。こちら
設置から移設、廃棄の経緯も大変詳しく記載されています。
素晴らしいのは設置当時の写真まであること。ぜひご覧になっていただければと思います。

さてところでなんで捨てちゃったのか

一気に2005年の話になります。
増田さんのページによるとその時点でもうすでに駅ビルの専門店街「アッセ」のエスカレーター付近の下り壁に移設されていたとのこと。作家の意図が反映された移設ではないと僕は思います。そうでなければこんなに窮屈なレイアウトになるわけがない。

本当の作品って高密度ですから、壁一面に一枚の絵だけでもその空間が成立したりするのです。彫刻はなおさら、その天井を大空間にしなければ彫刻自体が死んでしまう。それを商業ビルの隅っこの下り壁に移設した時点でやはりその美意識を疑います。もはや首が折れそうに見えるくらい。
しかしながらその「アッセ」を運営していた広島ステーションビルも中国SC開発に吸収合併され、2025年に開業予定の新駅ビルへの建て替え工事の中、2020年ごろ廃棄された。とのこと。

おそらく(間違いなく)「壁についていた装飾を邪魔になるのになんで置いてるの?」ってなったんだと思います。商業ビルの装飾なんて長くて10年ですものね。

廃棄を選択してしまう事情もある。たぶん。

ところで建築の建て替えに伴う廃棄というのは実は知らないだけでたくさん勿体無いことが行われていると思います。小倉の玉屋が建て替えられる時もスーパーポテトがデザインした見事な床がもったいなくて現場事務所に行ったけどダメだと言われました。で、僕が東京に来て唯一救った手すりがあって、(詳しくははこの記事の後に載せようと思います。)その時に取り壊し工事の担当の方から聞いた話です。実はその時も「転売しない」「譲渡しない」という宣誓書を書かされました。

その時ゴミになるのから救い出した手すり


その所長いわく「そういう業者がいるんですよ」「他の人の財産なのに、金銭化されては問題になる」とのこと。

おそらく、この舟越保武も僕が欲しいと言ってもくれなかったと思います。
その理由は「誰の財産なのか?」という点です。特に「国鉄」が買ったものだとしたらその財産は共有のものであって個人がもらうことはできない。
ちなみに公立の高校や大学で机やら機材やら廃棄してあるのもアレもくださいと言っても絶対くれません。「公」のお金を出して買ったものを「私」に譲渡することは基本的にはできないのです。市が他人に売って利益を出したら「え、俺らの血税で買って、お前が儲けるの?」って言われても仕方ないからです。最近ではヤフオクで役所のものが売られたりするようになりましたがあれはちゃんと役所が財産手続きや売り上げたお金の用途開示も行っているのだと思います。
でも通常では、その手続き自体がめんどくさいはず。所有者が権利を放棄しなければ、第三者が勝手に他人に譲渡することはできないですから。
今回の場合は「所有者・誰の財産か?」が国鉄の民営化に始まり運営会社の吸収合併ともはや誰のものかわからない。人にあげると後々問題になるかもしれない。
なので古いビルの壁や天井と一緒に廃棄となったのだと思います。

しかし平成令和には金持ちの使命を果たす金持ちはおらんのか?

最初に話題にあげましたが、「石橋」や「出光」は自らも審美眼を持ち、それを趣味としていたことは有名です。
でもそれより前の明治の時代、松方幸次郎や大原孫三郎や大倉喜八郎がその自らの財から金を出し、ヨーロッパ・また日本の美術作品を買い、紹介してくれたおかげて日本は「近代文化国家」になったという経緯もあります。
彼らのすごいところは現代のように事前情報がない、しかもここの作家の評価もまだ不安定な状況で気に入ったものを購入し、それがちゃんと現代世界の評価と変わらないところです。(贋作もたくさん買っちゃってるようですが・・・)

「金持ちの使命」として磨かれた審美眼。それが結果的に国全体の財産となった。
JRの社長だって何とか開発の社長だって、僕から見れば金持ちです。でも「今の金持ちってなに?」って思ってしまいます。
審美眼を磨くことが「嗜み」だったはずなのに、ベンツやらエルメスやらスタンウエイやら何もかもが情報のブランドのみで自分の美意識を試す、高めるということに努力している金持ちを僕はほとんど知りません(ひとりだけアート好きすぎる人を知っているけど伏せます)だから今の金持ちにとっては情報(ブランド)のないものはゴミに見えるんです。
まあ今はオオサカが文楽潰そうとしたのみても、国博が光熱費不足なんて言ってるのをみても、本当に情けない国に成り下がったものだと思います。

もしも、誰か一人でも審美眼を持っていれば、この作品は廃棄されることはなかったと思います。埃にまみれても良いものは良い。もっと言えばブロンズっていうだけで「良いカネ使っとるねえ」と気づくのが「審美眼」を持っている人ですから。

「旧駅ビルの財産リストになかった」「作品の存在と芸術的価値について認識できず、作品を失う事態を招いた」「再発防止策を徹底したい」と言っているけれども、これって完全に作品を「舟越ブランド」としてしか見てないということで、ブランド価値がなければ捨てますって言っているのと変わらない。

「見たらわかるやろ!」と、声を大にして言いたい。

願わくば廃棄業者の中に僕みたいなのがいて、「勿体無いから持って帰ろ」ってなっていたらいいなあと思います。もちろんこれだけ問題になったから今は言い出せないとは思うけど、10年20年経って「親父のゴミの中から銅像が出てきた」というような事件があって欲しいです。そうしたらひろしま美術館にでも寄贈してくれれば、その時は僕が責任持って洗浄・修復に行きますんで。

参考
・「戦後の彫刻作品設置事業における目的の変遷」竹田直樹著 1994年:こちら

・「廣島ぶらぶら散歩」増田裕氏「舟越保武・牧歌ー廃棄」:こちら







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