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人生が停滞していた頃、重たい身体を引きずって「ポレポレ東中野」で観た映画のこと。

私が世界でいちばん尊敬している人は、人生最大の失恋をしたときにひたすら映画を見続けたらしい。それで、私も生活がどうにも立ち行かなくなったときはいつも、逃げ込むように映画を見に行く。

一年と少し前の十二月、私は人生が停滞してるような気持ちになっていた。三年半付き合った恋人に自分から別れを告げたばかりだった。社会人三年目にもなって幼い頃からの夢が諦めきれなくなり、なにか一歩を踏み出さなきゃ、という焦りから、唐突に恋愛が面倒になった。

いざ別れてみたら、辛くてしょうがなかった。自分の身体の一部を引きちぎられたみたいだった。考えや生き方がよく似ていて、私の拙いしゃべりでも楽しく聴き続けてくれる数少ない存在だった。何度も考えて出した答えだったし、後悔はなかった。それでも、それほどまでに大事な存在をみずから切り捨てた自分は、本当に愚かだと思った。

夢のためにとか大層なことを考えていたくせに、いざ別れると悲しみで身体が動かなくて、何もできずに布団でうずくまるだけの無駄な一日を、何度も何度も繰り返した。

自分が心底しょうもない人間に思えた。もう夢とかどうでもいいし、仕事も恋愛も面倒だし、人と関わるの全部疲れたし、もう何もしたくない。でも、日当たりのいい部屋の中、重たい布団かぶって引きこもってるだけの自分はあまりに惨めで、こんなことを続けていたら自分はこの部屋で腐ってしまってもうこれ以上生きていけなくなる、と思った。そのときに、あの人の言葉を思い出したのだ。映画でも観るか。それで、やっと布団から出られた。

東京都の下落合には、歩いて行ける範囲に映画館がふたつあった。ぱっと浮かんだのは、名画座「早稲田松竹」だったけれど、そこには以前にも何度か行ったことがあったし、そもそも早稲田通りは歩き慣れすぎた土地だから、その日はなんとなく足が向かなかった。あまり行ったことのない場所に行ってみたかった。それで、もうひとつの「ポレポレ東中野」に行ってみることにしたのだ。

存在は知っていたけれど、一度も行ったことがなかった。東中野にはとても仲の良い友達が住んでいて駅前で何度かいっしょに飲んだことがあったけれど、彼女はその前の月に、婚約して川崎へ越したばかりだった。引き払われてしまった彼女の家へ向かう道順を辿って、私は駅前の「ポレポレ東中野」に着いた。居酒屋だとかバーだとかが入った雑居ビルのあいまにしれっと建っていた。白地の長方形に、黒のゴシック体で「映画館ポレポレ東中野」と矢印とだけが書いてある粗雑な看板を見て、私はなんだか嬉しくなった。

その日上映されていたのは、黒川幸則監督の「にわのすなば」という作品だった。私は黒川監督のことも、主演のカワシママリノさんのことも何も知らなかった。でも、ポスターがすごく良かった。カワシママリノさんのうつろな横顔、暗い色彩の写真の上にとても純度の高い黄色で「にわのすなば」とタイトルが刻まれていた。「見失った行き先でもう少し遊んでいたい」というキャッチコピーが付いていた。きっと良い映画だと思った。

チケットを買って、開場までロビーで一人待っていた。大型劇場みたいに、華やかなレッドカーペットなんかが敷いてあるような場所じゃない。壁には上映映画のポスターがセロテープで貼り付けられていて、隅っこに置かれた手作り風の木の棚には原作本とかサウンドトラックなんかのちょっとしたグッズが並べられていた。少しだけ暗めの照明にほんの少し心が凪ぐ心地がした。

開場の時間になって、ソファの香りが充満したシアターに通された。劇場の席にはゆとりがあって、両隣には誰も座っていなかった。姿勢を正して座る気になれなくて、脊髄が溶けてるみたいな不自然な姿勢で腰掛けた。映画が始まった。

不思議な映画だった。主人公の女性は、友人の誘いで知らない街までアルバイトの面接を受けにきたのだけれど、面接官から仕事内容の説明を受けると事前に聞いていた話とまるでちがっていて戸惑う。バイトを断り、友人に文句を言ってすぐに帰宅しようとするのだけれど、なんとなく去りがたく街を徘徊しはじめるのだ。

道を歩いていたら、不意に二階の窓から布団が落ちてきて、小さなバーに招き入れられ、そこからするすると地元の人々の輪の中に巻き込まれていく。心地いいような逃げたいような、気持ち悪さがずっと続いた。「なにか起こる」気配だけが満ちていて、その波がおしては引いていく。途中、間違えてホラー映画を見にきてしまったのかもしれないと何度も思った。けれど、ついに何事も起こらなくて、ただゆるやかな二日間を過ごした主人公は二日酔いから覚めてバスに乗り、家へ帰っていく。それだけの映画だった。

映画に出てきた人たちは、みんな三十歳前後と思われた。私よりも少し先を生きている人たちで、けれど、彼らは「過去」とか「未来」みたいなものをあまり強く滲ませていなかった。仕事だとか過去の恋愛だとか、現実的なことも作中で語られるのだけれど、どこかそうした概念とは切り離されている気がした。なんだか、それがとても嬉しかった。

面白かったのかと言われると、よくわからない。最後まで掴みどころのない映画だった。でも、何も用事のない街で、何の未来にも繋がらないことをして過ごしている彼らの姿は、少なくとも私を救った。別に、何もいらないのかもしれない。夢なんてどうでもよくて、仕事も恋愛も何もしたくない、このままでもまあ、別に生きていけるのかもしれない。それがなんとなく虚しいような気がするのは、毎日のように目に映る眩しい蛍光色の広告とか、逆説的な言い回しの強い言葉とか、輪郭の確かな部分だけを切り取られたSNSのタイムラインとか、そういうのにあてられてるだけなのかもしれない。私は傲慢だったのだ。毎日に意味がほしかった。けれど、意味を定義づける価値基準は大体誰かが作り上げたビジネスだ。必ずしも自分が舵を取る必要はなくて、行き先は、たとえば偶然、頭上にふりかかってくる布団に委ねてもいいのだった。

「ポレポレ東中野」を出ると、もう外は真っ暗だった。空気がとても冷たくて、吐く息はもれなく白かった。深く息を吸うと喉の奥までつんと冷えた。「にわのすなば」の彼らみたいに、地に足付けずフラフラ歩いた。上を向いたら意外と星が見えた。久しぶりに泣かずに眠れる気がした。

あの日から一年が経って、私には新しい恋人ができた。仕事を辞めて、八年すんだ東京をはなれた。夢に向けてのごく小さな一歩を踏み出すこともできた。結局「ポレポレ東中野」で映画を見たのは、あの一度きりだった。もうしばらくあの場所に行くことはないだろうから、あの日、東中野で映画を見られて本当によかった。

いつか「ポレポレ東中野」のことも「にわのすなば」のことも、その名前はすっかり忘れてしまうと思う。それでも、あの冬に映画を観たということは忘れない気がする。あの薄暗い劇場の雰囲気、不気味で清々しいあの映画の強さ、その印象だけは人生に深く刻まれていて、もう二度と失われないと思う。人生であともう一度くらい、そんな劇場と映画に出会ってみたい。


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