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疎外感と寂しさを分け合い疎通したい イ・チャンドン監督トークイベントの感想

本の刊行と映画の上映を記念して韓国映画界の巨匠イ・チャンドン監督が来日し、8月8日代官山ツタヤにて開催されたトークイベントに行ってきました。


私にとってイ・チャンドン監督とは

2005年、韓国への語学留学を控えていた私は、渋谷文化村で上映された「オアシス」を観に行き、非常に大きな衝撃を受けました。障碍者を正面から描いたこの作品にはトップスターであるソル・ギョングが主演していました。また相手役となるムン・ソリは脳性麻痺の障害を持つ女性という役を完璧に演じ、女優として大きな成果を出しました。ムン・ソリを知らなかった私は、本当に障害のある方が演技をしているのかと途中まで思ったほどです。

そして、日本だったらこのテーマを商業作品として製作する会社があるだろうか、トップスターが出演するだろうか、日本の社会が作品を受け入れるだろうか等々、様々な問いが頭の中によぎりました。

このような作品を作り社会に送り出すことができる韓国という国に、それまで以上に興味を持つとともに信頼感を持ちました。また、韓国語をこれから本格的に勉強していくことに対して確信を得ることが出来たのです。

前置きが長くなりましたが、私にとってイ・チャンドン監督とはそれほど大きな存在です。生きている伝説、偉大な芸術家、偉人ともいうべき方なのです。

そんなイ・チャンドン監督に実際に間近で会える機会が訪れるなんて信じられないことでしたが、チケット発売当日、ドキドキしながらパソコンに貼りつき無事オフライン参加をすることが出来ました。

そして会場は巨匠を迎えた

イベント会場には一般参加者のほかに、多くのプレスも来場しているようで、緊張感のある雰囲気でした。さすが、巨匠の来日は違うなと思いつつ着席し、監督の登場を待ちました。

時間になり登壇した監督は、皆の期待と緊張が満ち満ちた空気の中、常に穏やかで会場を包み込むように優しくゆっくりと丁寧にお話してくださいました。

通訳込みで60分程度と短い時間ながらも非常に濃いお話をうかがうことが出来、これは夢か現実か?と思うほど幸せな時間でした。(通訳は根本理恵さんが担当されました。区切りの無い長いトークを完璧に訳されて感動しました)

監督に小説を書かせた出来事

小説を書き始めたきっかけは?という質問に対して監督は、幼かった頃は韓国が戦争から抜け出した頃で誰もが非常に苦しい時代だったこと、家が貧しかったこと、数多くの引っ越しにより幼いながらも幾度も新しい環境に直面し適応が難しかったこと、さらに7歳年上の実のお姉さんに脳性麻痺の障害があり、いじめられたりからかわれたりして、常に疎外感を感じざるを得なかったこと。
そうしたことから、文章を書くことによって、どこかにいる、自分のように疎外感を感じている人と疎通をしたくて、かなり幼いころから小説(子供の頃は落書きのようなものだったそうですが)を書いてきた、ということを話してくださいました。

以前より、イ・チャンドン監督の作品を観るとなぜ慰められる気持ちになるのだろうと思ってきたのですが、小説を書く理由を聞いて、納得することができました。誰もが疎外感を感じることがあると思いますが、私は映画を観て監督と疎通していたんだ。監督がわけてくれた疎外感を私も受け取って慰労されていたんだと。

例えばこんな表現があります。
「オアシス」の主人公ジョンドゥは刑務所から出所しても誰も迎えに来ない、一人で小さなスーパーに行って豆腐を買って食べる(それも黒いビニール袋に入ったままで、お皿もなく味もない豆腐)、被害者の女性に会いに行くが会えず時間を持て余してアパートの上からつばを吐いて落ちていくのを眺めている、というシーンがあります(ほかにも疎外感を感じさせるシーンはたくさんありますが。。)。どうやったらこのような寂しさを作り出すことが出来るのだろうかと思っていました。
単純に人間観察、洞察に優れているからといって、それだけでは発想できないような、切実な寂しさは監督自身が疎外された人だったことから生まれた表現なのだと。

また、「オアシス」ではジョンドゥが恋をする脳性麻痺の女性コンジュ(コンジュとはお姫様という意味)とデートするシーンがたくさんあります。チャジャンミョンを一緒に食べたり、電車に乗ってふざけたり、多くの人が当たり前に思っている光景です。それらは監督のお姉さんが出来なかったことを、映画の中で実現したのかもしれません。監督のお話を聞いて、作品のディティールは非常に個人的な体験から生まれてきているのだろうと思い、改めて監督の作品をすべて見直したいと思いました。

どこかに自分と同じ考え、同じ感情を持っている人がいると信じて

イベントの最後に監督はこうおっしゃいました。

どこかに自分と同じ考え、同じ感情をもっている人がいると信じて、寂しさと疎外感を分けあって疎通したいです。

具体的にはこのようにおっしゃいました。
韓:외로음과 소외감을 나누고 소통을 하고 싶습니다.
日:寂しさと疎外感を分けて疎通をしたいです。

나누다(分ける)という単語は「分け合って」とか「分かち合って」と言ったほうが日本語的には自然な響きですが、私個人のイメージとしては、このように感じました。

たとえば監督が寂しさという名のビスケットを一つ持っていたとして、それを半分にして(あるいはいくつかに分割して)、どこかにいるであろう自分の寂しさをわかってくれるだれかに渡して、一緒に食べたいんだ、一緒に味わいたいんだ、そういうコミュニケーション(疎通)をしたいんだ、という風に感じました。

また、このトーク中で監督は何度も소통(疎通、コミュニケーション)という単語を使われました。どこかにいる誰かに自分の疎外感、寂しさをわかってほしい、という思いの切実さを受け止めました。

世界的な称賛を浴び、巨匠であるイ・チャンドン監督の心の中に今もあり原動力となっているものは、疎外感と寂しさなのだということは大きな驚きでした。大きな成功を手にした人間は、疎外感など解消されて次のテーマに進んでいくものかと勝手に思っていたからです。

今回、発刊になった本は30年前に韓国で出版されたものがようやく日本でも翻訳されたものです。映画のモチーフとも関連がある話もあるということなので、大切に読んでいきたいと思います。

イベント後には、直接監督の手からサイン本を渡していただき、一人ひとり握手をしていただきました。大きなやわらかく温かい手はひたすら優しかった。。。本当に参加してよかったと思いました。

今回来日のきっかけとなった映画の上映情報はこちら。
監督の全6作品の上映と監督が作品について語るドキュメンタリー映画が上映されます。

本の情報はこちらです。翻訳は「Lの運動靴」の翻訳者である中野宣子さん。長らく日本では読むことが出来なかった作品を翻訳・出版してくださった中野さん、アストラハウスさんには本当に感謝です。(アストラハウスさんは良質な海外文学を出版されていて大好きな出版社です)

最後に、、まだイ・チャンドン監督の作品を観たことがない方、見逃した作品がある方、スクリーンで全作品を見られるこの機会を絶対に逃してはなりませんぞ!!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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