性転換は、恥ずかしいか?

元記事:http://blog.livedoor.jp/kozuesug/archives/52332392.html

1. スティグマ(烙印)

ド直球で問いたいです。
でも話のマクラは、伊藤文學氏のオハコの思い出話ですからゲイの子の話ですけども、

悲劇的な出来事もあってね。九州の高校生がデパートの本屋さんで『薔薇族』を万引きしちゃって、親を呼ばれちゃったの。万引きしたっていうことよりも、『薔薇族』だということを親に知られた事がショックだったんだろうね。その高校生はトイレに行かせてくれって言って、屋上のフェンスを乗り越えて自殺しちゃった。

1983年の悲劇だそうです。有名ですねこの話。

つまり「同性愛=スティグマ」だから、恥ずかしがって、ついつい「薔薇族」を普通に購入できなくて、万引きしてしまい、しかも捕まって親にバレ、自殺...という「スティグマ」の話です。「恥ずかしい」「恥ずかしいと思わせる」というのは本当に罪作りなことです。

とくに性とセクシャル・マイノリティにかかわる話は、スティグマがやはりついて回る側面が、今でもゼロではないでしょうね。もちろん本題は、トランスの話、とくに MtF ですよ。まあ、狭義のトランスヴェスタイトの女装家の方だと、

バレるか、バレないか、その瀬戸際のあたりのスリルがサイコー!

という方もいますが、こういう方の話はまた別。やはり、私でも葛藤ありましたからね....これがタダの年寄りのグチ話になってくれれば、ホントそっちの方がいいから、思い切って、ね。

2. 女の子になりたい

やはり「男に生まれたのに、女になりたい、なんてね....」というのは、「オトコから脱落する」というニュアンスも感じないわけじゃないです.....誰かに謝りたくなるような気持ちもね。長男&一人っ子でしたしね。やはり親としては、「跡取り」という感覚はあったでしょう。いやホント小さな子供の頃から、「女の子になりたいな...」って思ってました。仲良しはほとんど女の子たちでしたしね。でも、親とか、言えませんよ、そんなこと。性別がゆらぐ系の話は「もしそういうのに興味があるのを(親を含む)他人に知られたら、弁解できない!」と完璧に避けてました.....ヒミツの多い子ですよ、親にしたら厄介ですね。

「女っぽい男」というのは、それだけで十分「弱者」扱いですからね....オトコの価値観、とくに小学生男子なんて単純なものですから。ですから、これがセクシャル・マイノリティ系のスティグマでもなかったとしても、やはり差別を受けることにはなるわけです。小学生男子の人気順なんて、「スポーツができる」能力の順でしかないわけですよ。まさに底辺、ということにはなってしまいます。屈折...

中学にでもなれば、勉強で十分これは「挽回」できます。で、うまく「孤高」ポジをとって、余計なことをしなければ、そうひどくもないわけでした(昔ですからね...)。ほとんど男グループとは関わらず、女子とばっかり遊んでしましたが....どうなんでしょうね。女の子たちからはほぼ男扱いされませんでしたね....「女の子になったらいいのに!」とか面と向かって言われてました。そりゃ、屈託はありますけども、居心地はいいんですよ。「女の子になったらいいのに!」にとくに反論もせずに、スルーしていたわけですけども.....何も言えないんです。実際、そう思ってたし。

さすがに大人になったら、「スカートはいたら絶対似合う!」とか女友達に言われても「え~はいてみようかな~」と切り返す余裕はやはりできます。社会人になれば金銭的余裕もありますからね、内緒でスカートもいろいろ購入してましたから、図太くなれるのかな。どうせ体格的には男性サイズがどうにも大きすぎるのもあって、レディスを着る習慣が付いちゃってましたし。レディスの服着ていると、女性には完璧バレますからね。「サイズないもん、仕方ないじゃん?」で切り抜けます。

やはり一番最初にスカートを買ったときとか、心臓バクバクものだったのは、確かです。案外すんなり売ってくれるものだな、とあっけなかったですね。まだ昭和の頃の話ですよ。まあ、ご商売ですからね、お金さえちゃんと払えば、売ってくれるわけです。アタリマエですね。そういえば「映画の小道具です~」というような偽装をして領収書をわざわざでっち上げのプロダクション名でもらったこともありますが......見るからに女っぽい男がスカートを買いに来ていれば「あ、自分用(お察し)」になるほうが当然でしょうね。

でも、このアタリマエが、冒頭の自殺したゲイの高校生みたいに、「恥ずかしさ」でアタマ沸いている分からなくなることもあるわけです。やはり「女性の服装をするのは、犯罪でも何でもない!」という開き直りと、「万引きとか、犯罪でしょ?」というモラルだけが、やはり自分を守ってくれるわけです。「恥ずかしい」とか、そういう問題ではないわけです。万引きをしちゃったら、それこそ「自分が女になりたい思いは、犯罪だ!」と自分で認めちゃうようなものです。意地でも、悪いことはできませんよ。

3. 女だから恥ずかしくないもん

で、女性で外出するようになって、自分が男性なことが誰にも見抜けない(完全パス)のが分かってくれば、「恥ずかしさ」はかなり薄らぎます。女性だったら、女性の服や下着、化粧品を買うのって、アタリマエ以外のなにものでもありません。逆に、男の時に着るレディスの服を、男で買う方が、なんかずっと「恥ずかしい」と感じてました....屈折のし過ぎですね(苦笑)。最終盤は当然女性で「男モード用レディスの服」を買いに行きましたよ(あ~ややこし)。「自分って事実上、女なんだ...」というのが、こういう外出体験でしっかりと強められます。「女だから、恥ずかしくないもん!」というノリですね。

私って「ロールモデル」みたいなものを持ったことがないんです。女装クラブにお世話になったことはありますが、女装者とその文化には全然馴染めなかったです。お酒飲めませんし水商売のガラじゃないからニューハーフとかしようと思ったこともない。実際、今に至るまで行ったこともありません。私なんかお客で行ってもお店に御迷惑でしょうしね。ですから、こういう外出体験で形作られる「女性アイデンティティ」が、ロールモデルの代わりになっていたようにも思うんです。

私はホントは女だから、女で外出するのが、アタリマエ。それで問題が何もないのが、私が女なのを証明している!

ですから、「恥ずかしさ」は薄らいでくるのですが、それでもやはり、社会的には大変マズイことだというのも承知していたわけです。男であるのがバレることは脅威ではありませんが、自分を知っている人に「女装」がバレは本当に困るわけです。

こんな状況で国内性別適合手術(SRS)解禁から性転換特例法へ向かう流れが起きたわけです。そりゃあねえ、飛びつきますよ。当たり前でしょう。
そこで、G-フロント関西というセクシャル・マイノリティ団体の「トランス・サロン」という交流会にお伺いして、いろいろ教えてもらいました。特例法の話題の真っ盛りの頃です。たまには特例法を主導した法学者の大島俊之先生もお顔を見せて...なんて頃でしたね。得た情報から自分もいよいよ「社会的にも、女性になる!」と決意して、大阪医大のジェンダー・クリニック受診になります。

4. 精神科医療とスティグマ

さて、ジェンダー・クリニックです。当然精神科外来です。そりゃ精神科=スティグマ、と思う方もいるわけですが....いや、「GID脱医療化」を言う人の方が、逆に「精神科にかかる=スティグマ、だから脱医療化しよう!」なんて言い方をされるのを目にもします。ちょっとコレ、いくら何でも問題なのでは? 精神医学に対するスティグマを再生させてどうするんです? さすがに時代遅れもいいところの感性なのではないのでしょうか。もはや「うつ病」だって罹患率高いですから、スティグマ扱いにしたら世の中回りません。統合失調症だってよく効くお薬がある時代なんですよ.....

私もあまり「性同一性障害」って病気の感覚ではありませんし、医療サポートを受けるためのタダの口実みたいなものだ、と思ってるだけです。それでも医者に初診で「貴方は女性です!」と断言されてしまったら....ボロ泣きしますよ、ほんとに。ですから、「ジェンダー・クリニックにかかる=恥ずかしい」という感覚は、私はまったくありませんし、そういう感覚の方は間違っていると思ってます。

「病気」というのは「恥ずかしい」ものであってはならないと思います。ですから、逆に「性同一性障害」という「病名」が付くことによって、「恥ずかしさ」から逃れられる、と感じる方がいるのも当然だと思います。「病気」なら本人の責任ではないし、誰でもかかる可能性があるわけだから、それをスティグマにするのは、人権的な問題だ、というのが社会的な了解事項なのだと思っていますよ。
「病気は恥ずかしいが、ライフスタイルなら恥ずかしくない」というのも転倒しています。世の中にご迷惑をおかけするようなライフスタイルというものだってあるわけですし、ライフスタイルは「自分でそれを選んでいる」以上、ダメなところ、ダサイところ全部選んだ方の自己責任ですよ。さらに

あたらしいライフスタイルを先進的に取り入れる自分、カッコイイ!

とかそういう自意識過剰な気どりがあったらね、そっちの方がわたし顔から火が出そうですわ。

5. カミングアウトは恥ずかしい...でも

男から女に社会的な性別を変更することは決めましたが、最初から人間関係をリセットする「埋没」の方針ではありませんでした。アート活動がありましたからね。完全にそっちから手を引いて埋没したら、「なんて水臭い...」と叱られそうでしたもの。ですから、積極的に皆さんにカミングアウトする、ということにしました。結構策を練ったんですよ。理解のありそうな長老に根回しするとか、問題児に対する対策をどうするか考えておくとかね。恥ずかしい、とか思っちゃ、やれないです。やはりそれが正解でしたね。性別変更を受け入れてもらえるようなリベラルな環境に身を置く、というのも性別移行では大事なことでもありますよ。さらに風向きが肯定の側に動いていましたから、なおさらこっちが恥ずかしがっちゃいけないんです。「さも当然な」顔をしてするしかないんです。

それでも「カミングアウトが恥ずかしい」と思うのは、仕方のないことです。ゲイなら「そんなのタダの個人の性的自由の問題だから、カミングアウトなんてそもそもする意味も何もない!」と思う方の方がリアルだと思うんですがね....しかし、性別を変える場合には「周囲に性別の扱いを変えて欲しい」とお願いする立場ですから、埋没だって家族などの多少のカミングアウトは必要です。

いやね、なぜ「トランスのカミングアウトに恥ずかしさを感じるのか?」というのは、結構考察すべき話だと思うんですよ。ある意味、それが

今まで「オトコ」しようとしていましたけど、できません!辞めます!

という「敗北宣言」みたいな面もありますからね。余計なプライドは捨ててかからないといけないんです。ここでちゃんと「敗北」を認めないと、受け入れ側の周囲の女性たちも信用してくれないでしょう。「自分が女であることをしっかりと受け入れる」ことの告白と宣誓かしら? でも私はもともと「女、ダダ漏れ」だったようで、「男してるのが気の毒な感じだった」と同情されてたとか、見知ってるだけの方が「何となく女性だと思ってた....逆にびっくり」とか、気負った分スカされたみたいな妙な気持になりました。いやでもそんな「男のプライド」、捨てても惜しくはありませんでしたからね....
男性の友人の方がショックを受けがちですね。やはり自分から望んで「オトコから成り下がりたい奴がいる!」というのが、ショックなのかしら.....去勢恐怖を誘っちゃう?(苦笑)男の方がジェンダーの揺れには鈍感というか、そもそも私を「ゲイか、なんか?」と大雑把な観念でナメて見ている部分がありますからね。カムアウトの後に妙にナレナレしい扱いをしたがる方も、いたのよ。まあ、「扱い方に迷っているのよね」と好意的には解釈しましたけど。

性別移行の場合にはさほどではありませんが、公の場で「性」に対する話をすること自体が、公私混同した「恥ずかしいこと」という感覚は、やはりありますね。そういう話題自体が嫌い、という方もいないわけではありません。私も性愛に無関心な「アセクシャル」だから、この「話題が嫌い」という感覚はわかります。性別変更の場合には自分のジェンダーの話で、性指向(男女どちらが好き:セクシュアリティ)の話ではありませんから「性の話題」とは若干ニュアンスがズレたところもありますからいいんですが。そもそも「女になってオトコにモーションかけよう!」なんてキャラじゃありませんや(苦笑)。
逆に言うと、ゲイの方のカミングアウトの方が、「性的な関係とは無関係なところに、あえてセクシャリティを持ち込む」という侵犯的な側面があるようにも感じます.....そういうあたりで、マジメにカムアウトしたいゲイの方の想いに反して、ご迷惑に感じる方も、いるんじゃないでしょうか。

6.  結論

こうやって振り返ってみると、「恥ずかしい」という感覚は、主観的で反省的な自意識の問題というか、「自己省察の病」みたいな部分があるようにも思います。「恥ずかしい」と自分で思う人こそが、実は外からみれば「恥ずかしくない」。逆に「自分は恥ずかしくない!」とガンバる方のほうが、客観的には「こいつ、恥ずかしい奴..」というような逆説的な事態の方が、現実にはずっと頻繁なようにも思うんです。

ですから結論。性転換を「恥ずかしい」と思うあなたは、すばらしく健全な自意識の持ち主です。しかし、周囲はそんなこと、まずまったく気にしてはいないのですよ。あなたが「したい」と思うことは、何も恥ずかしい「行為」ではないのですから。

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