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とはいえ日記は書きたいものだ

この前、納豆チャーハンがわかった。
本当は「納豆チャーハンを見切った」と言いたいぐらいなんだけど、この世のどこかにいるであろう納豆炒飯ガチ勢の何かに触れそうなので自重する。

コツは「よく炒めること」とレシピに書いてあったら、本当によく炒めること。要するにプロの言っていることに忠実にすればよい。
パラパラで臭みも抑えられ、旨みと味が凝縮された美味い納豆チャーハンになるよ。


この夏、次男が7歳になり、長男はもうすぐ9歳になる。

「ラズベリーは小さいからストロベリーの妹なんじゃない?」というのは、いろんなベリーのジャムに関する話をしていた時に出た長男のメルヘン発言で、身体はむくむくと大きくなり、割り算に果敢に取り組んだりはしているがまだまだかわいいものだ。
「お母さん、割り算は掛け算なんだね」と言った時は天才かと思ったけれど。


次男は変わらず男児のお見本のようなアホとバカとムダを煮詰めて濾しもせずにそのままぶちまけたような日々を満喫している。
そんな中でもどんどんと絵を描くのが上手くなり、社会の仕組みや生き物を取り巻く環境に関する話を神妙に聞く時間もある。

子が急激に成長しているぞと手応えある日々だ。

うちの会社に新しいえらい人がやってきた。
まだ社員を個別に認識してもらえてない時期なのに、私は髪型を大幅にチェンジした。

それまでは伸びかけのクルクルパーマだったのを「ストレートのおかっぱ短いまっすぐ前髪と派手なインナーカラー付き」にしたのだ。イメチェンというより仮装・変装に近い。

草間彌生、コシノジュンコなどその道を極めた(極道てことか)大先輩方の面影を感じる、と評されながら、自分では大いに気に入っているので、新しい偉い人にも早いとこ「あの人はああいう人だから仕方ない」と諸々見た目については不問にしてもらえるようになりたい。
(別に今、何か言われるわけではないんですけど、こんな社員いたか?とギョッとされた可能性はある)


東京に来た時に友人が餞別としてくれた手鍋がダメになった。取手がグルンと回るようになってしまい打つ手なし。
柳宗理のミルクパンを持ってトーキョーで一人暮らしを始めるというミーハーさがずいぶん心強かった逸品なので少し寂しいなぁと、不燃ゴミに出さずコンロに置きっぱなしにしていたら、夫が「あれはもうダメだから新しいのを買った方がいい」と言ってきた。
もう完全にダメなのがバレたか。
でもそこそこいいお値段するんだよな…と思っていたら通販ですぐにポチッとしてくれた。イェーイ。

「蓋はまだ使えるから蓋つきのじゃなくていいから」と声をかけると、うっかり蓋だけを買いそうになっていて危なかったと。
蓋だけがもう一個来たらシンバルみたいにバシャンバシャンするしかないな、と言うと大いにウケたので気分がよかった。


今日へぇ、と思ったのは私はカタカナの「シロ」という文字列を見るとやきとんのシロのあの、じゅわっと弾ける脂と香ばしい焼き色、それにビールな〜と連想してお腹と咽喉が臨戦体制になるが、子らは「(色の)白」や「城」と読むだけでなんのスイッチも入らないということ。
当たり前だけど、なんかへぇ〜。

大人だけ知っていてズルいオレにも食べさせろと次男に非難された。

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