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法人化しました

創業104年の看板を背負ったベンチャー企業

令和5年1月5日、私たち桐染は株式会社桐染と社名を改め法人化しました。これも偏にお取引先様、個人のお客様方、桐染に関わってくださる皆様方のお陰です。

法人化するタイミングは毎年考えていたのですが、様々な条件が重なったのが大きな後押しだったのですが、1番は私の覚悟が決まったから、というのが理由です。

税金対策の面ではもう少し前に法人化していた方が、結果良かったかもしれません。でもこれから染色業を生涯の生業にしていこうという覚悟が固まってきたのがちょうど昨年でした。もしかしたらいけるかも、大丈夫かも、と。逆に今まで法人じゃなかったの?と思っている方もいるかと思うので、ざっくりと弊社のヒストリーをお話ししますと、明治後期〜撚糸業を始めてから、初代山崎清四郎が染色業を開始。これが1919年の事でした。その後2代目山崎貞治が婿養子に入り、1950年代に有限会社山崎染色へと法人化しました。その後3代目山崎晃の代の頃、2代目の他界と共に法人解散。ざっくばらんに言えば倒産しました。倒産はしたけど自己破産はしていません。自己破産するのとしないのとでは、雲泥の差があると私は個人的には思っています。。

その後2014年〜3代目が個人事業へと切り替えて1人で染色業を続けてきました。

2018年に4代目の私平本が半Uターン。自社の技術を生かした商品企画などを開始。父と私の2人の個人事業で財布を分けて活動してきました。2019年には外に働きに出ていた母も工場に戻り、少しづつ仕事が回復し、現在に至るといった具合になります。

私が工場に戻った頃は、世の中で繊維業は斜光産業となっていました。何も昔からジリ貧な仕事だったわけではありません。この話をすると長くなるので割愛しますが、繊維が儲からなくなったのはここ10年前後の話で、昔はそれなりに皆稼げていた業種です。服を着ていない人はいないのだから、斜光産業になるのは本当はおかしな話だとも思います。

法人化した今現在、104年の歴史の中で今が1番の底辺。そう思っています。

100年どうにかこうにか事業は続けてきたけれど、100年続く取引先はありません。今現在も新規の取引先さんが半分以上をしめています。

なので私は染色に対してベンチャー感が強い。回り回って、これから新規開拓して行かなくてはいけない業種でもあります。これまでとは違う、歴史や技術は継承するけど、染屋としてのあり方は変えていく。そんな思いで染色業をメインにした会社を作りました。

関わってくれる方、そしてうちで働く家族やスタッフみんなが笑顔になれる事を目標に頑張っていきたいと思っています。

改めまして、今後ともよろしくお願い致します。


<今年のnoteの更新について>

Noteの投稿すっかり久しぶり(1年ぶり)になってしまいました。忙しかったというのが正直なところですが、忙しいを言い訳にしちゃダメですね。

意外とこのnoteの記事を読んでくださっている方が近くにもいる様で、「note読んでるよ!」「投稿楽しみにしてるよ」と、暖かなお声がけも思わぬ方から頂きます。恥ずかしい部分もありますが、出来る限りここではざっくばらんに「本音」で話していきたいとは思っています。

あと、これまでは1ヶ月後に有料に切り替えていたのですが、今後は投稿初日から一部を有料とさせていただきます。

内容ももう少しディープな話までしてみたり、染色技術についても深く話していければと思っていますので、興味のある方だけ有料エリアはお読み頂ければと思います。

今年はnoteの更新頑張ります。

毎月15日更新にしてきたのですが、今後は投稿時期は決めずに書きたいことがあったときに不定期に更新していきたいと思っています。こちらも併せて今後ともよろしくお願い致します。



<コロナ禍での祖父の代からの取引先の変化>

法人化してみて、様々な「お金」が出ていきますね。想定外の支出や書類の作成もあって法人化してからの方があたふたしています。不思議な事にまだあたふたしています。いつ終わるのでしょうか。。。

法人化して何か大きく変わった所はないのですが、工房全体の事を広く視野を持って考えられる様になってきている様に感じます。今は家族だけの小さな組織ですが、一つのチームとして歩んでいっている、そんな気がしています。染め代の価格についても今後しっかり見直さないといけないかもしれません。

特に祖父の代から続く取引先さんは価格上げるのが難しいだろうと思うのですが、、、今から交渉するの嫌だな、、と心臓がギュッとなるのですが、相手の利益の為に自社がジリ貧では元も子もないので、ご理解いただける様に話してみたいと思っています。怒鳴られたら嫌だな、、、、でも頑張ります。

染め代の価格ついては、もちろん光熱費の高騰や染料など資材の高騰も影響しています。

染屋は燃料代がものすごくかかるので、これまでの父の財務計算をしてみると売上が伸びているのにほとんどが燃料代に消えています。計算してみると単純に採算があっていないのです。

燃料代は1、5倍に膨れ上がっているのだから、染め代もその分上げてもらわないとやればやるだけ損、そんなおかしな状況になってしまうのです。

そんな影響もあってか昨年〜今年にかけて、桐生市内の染屋さんが次々に工場をたたんでいます。

こんなにやめてしまうなんて、、と噂を聞く度に残念に思います。

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