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「インスタント瞑想」によって漠然とした不安が和らいだ話

ちょっと前までめちゃくちゃ
YouTubeジャンキーだった。

朝の身支度の時も
料理をするときも、移動中も

何かをするときは必ず
BGM的な感じでYouTubeを

或いは何かしらの音楽なりを
流していないと落ち着かなかった。

限られた時間を濃密に楽しみたいと思っていたので
無音で家事や食事をするのはもったいないし、

動画や音楽を楽しみながら、

同時に生活に必要な作業もできるので
とても効率がいいと思っていた。

しかしこういった過剰に空白の時間を埋めようとする行為が
幸福感や安心感を感じるための
心のスペースすら埋めてしまっていた。

それに気づいたのは瞑想の習慣を
生活に取り入れてからだった。

瞑想やマインドフルネスが目的とするのは
感覚を研ぎ澄ませて呼吸や体温を感じ、

”今この瞬間”に集中すること、
今この瞬間に在ろうとすることだ。

今この瞬間に在ろうとすることで
心の安らぎや頭の中のリセットができる
という効果がある。

1日5分程度の瞑想を習慣として続けていた時のこと、

「瞑想の時間」や「マインドフルネス」の時間
というのをわざわざ設けなくても
普段の生活で十分に体感できるのではと思った。

朝の身支度の時も料理をするときも、
その行為そのものに意識を向けて味わう。

包丁を握るその手の感覚に意識を向けたり
お湯が沸くときのじんわりとした熱を感じたり、

YouTubeを流す代わりに
行為そのものを丁寧に行い、
その瞬間をじっくり味わう。

腰を落ち着けてじっくりと瞑想することに比べて
インスタントな感じがするが

瞑想やマインドフルネスが目指すところの
”今この瞬間”に集中する行為に他ならない。

流石に日常の全ての行動をそうやって行うことは難しいが
生活の一部の行動をマインドフルネス的に行うことで

余計な不安や頭がモヤモヤした状態が
リセットされ落ち着いた心でいることができる。

実際にしばらく試してみると、

掃除をする時も料理をする時も食事をするときも
YouTubeや音楽を流していないと気が済まない
ということがなくなった。

日常生活の一部をマインドフルネス的に行うことで
妙に心が落ち着くし心地よい。
喜びや幸福感に対する感度が上がるような感覚がある。

そして副作用的に、

ダラダラと動画やSNSを見て
気づいたら時間があっという間に過ぎている
ということもかなり減った。

思えば常に音楽や動画を流していたのは
そうしている間は考え事をしなくて済むからだった。

何か意識を向ける先がないと
まるで思考が好き勝手暴れるかのように

漠然とした不安やありもしない心配ごと、
意味のない後悔が半自動的に頭の中に流れてくる。

そういうのをシャットアウトしたいがために
動画や音楽でかき消していたのだと思う。

何事もかき消したり力づくで押さえつけようとすると
かえって強く反発されるものであり、

そういう習慣を続けていたときは
漠然とした不安というものがますます強くなっていく気がした。

もちろん今でも不安や心配事が現れることはあるが

それを増幅させることなく
落ち着いて向き合い、解消できるようになった。

不安な感情に距離を置きスペースをとる感覚(?)
に近いのかもしれない。

瞑想を習慣としてやっていこうとしてた時は
確かに心は落ち着くが
毎日の義務のようになると意外と続かなかった。

その点、この「インスタント瞑想」は
わざわざ時間と場所を確保する必要がない。

あくまでも日常生活の一部の行動を
意識を向けて行うというだけだ。

続けようとか継続しなきゃとか考える必要もなく
普段の生活の延長である。

そうやって意識を向けて過ごした時間は
味わい深く充実感があり、

心が落ち着いた状態の時は
ひらめきや発見、気づきが活発だ。

もちろんYouTubeや音楽は楽しいが、

これからもこういう奥深い時間の楽しみ方も
両方味わえるようでありたい。

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