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福島探訪

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福島の全復興拠点を徒歩で探索して回る中、発見したことや考えておくべきことのnoteをまとめました📚 写真アーカイブ >>> https://kishimoto-takumi.s… もっと読む
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フォトエッセー 「帰還困難区域探訪 1」

フォトエッセー 「帰還困難区域探訪 1」

 がらがらの車両には山手線で見るのと同じような車窓がしつらえてあり、6月のカラリとした日差しが通路に差し伸びている。

 思い立って乗り込んだ常磐線は、震災を経たのち2020年に開通していた。後になって知ったのだから、この時には寒村のローカル路線くらいにしか思っていなくって、これがいつも乗る中央線や総武線と同じ新宿を通っているのかと驚きさえしていた。

 目的地の葛尾村までは、うんと時間があった。

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飯舘村を知る

飯舘村を知る

■ まえがき

昨年6月より復興拠点での解除が発表される毎に、現地へ赴き徒歩で区域内を視察してきた。

葛尾村・大熊町・双葉町・浪江町・富岡町の5町村を巡り、今年8月に飯館村の長泥地区を訪れ、全復興拠点の視察を終えた。約1年半に渡り復興拠点とその周辺を実際に目にし、昨年11月には福島第一原子力発電へ入構、放射線被害の大元も視察することができた。

ここでは、それまでに巡った復興拠点での体験・第一原

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帰還困難区域 - 残った場所で

帰還困難区域 - 残った場所で

帰還困難区域で 3連休ができて、その数週間前に福島の葛尾で「帰還困難区域」が解除された。

 帰還困難区域とは年間の被ばく線量が一定値以上のエリアを指し、住居や立ち入りの制限を課せられる。ウェブニュースやソーシャルメディアでかつての住居者の声を聞くところによると、ようやく戻れるという安堵、加え、被ばく線や地域の再興などの不安が入り混じった複雑な心境のようだった。

 2011年の東日本大震災から1

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【Photo Essay】語り継ぐこと

【Photo Essay】語り継ぐこと

- 大野駅二度目に福島を訪れた日は、早くも蝉の鳴き声とどこか心地良い湿気に覆われていた。

東京からJR上野東京ラインに乗り水戸、次いで常磐線からいわき、大野までと電車に揺られる。6月の福島はまだ耐えうる暑さで、前回の行き先だった葛尾は山林、浪江は海風からの恩恵にそれぞれあずかり、心ゆくまで散策できた。
ただ月の数が一つ繰り上がっただけで、その暑さは油断ならないものになる。今回の目的も帰還困難区域

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双葉町を知る

双葉町を知る

- 双葉郡双葉町2022年8月30日午前0時、福島県双葉郡の双葉町にて帰還困難区域指定が解除される。帰還困難区域においては、2022年から立て続けに住民が指定解除令が発表されていて、福島県葛尾村、大熊町に続き、ここ双葉町(一部)が3例目となる。[※]

ところが『放射線量が未だ極めて高い』『地域のインフラやサプライチェーンの整備が不完全』などと、事実かどうか釈然としない情報がウェブ上で交錯している

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わたしは原発の何を知っているか

わたしは原発の何を知っているか

I. はじめに

2011年3月11日の東日本大震災から11年が経過した、この2022年。
葛尾村を皮切りに、次々と福島県内の帰還困難区域内で避難解除令が解除された。今まで一時帰宅は許可されていたものの、居住するにはまだ放射線の危険性があったが、高まる解除要請と減退する放射線量により、葛尾、大熊、双葉の3地域一部で住民の帰還及び居住が可能となった。
実際には、まだ、放射線量を危惧する声や、失われた

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ニ都の総和

ニ都の総和

福島の帰還困難区域の総面積は、東京23区の半分に相当するという。

帰還困難区域でのフィールドワークはまだ1年弱だが、集中的に復興が進められている地域は東京の住宅街と見比べてそう変わりがないという感想を持った。

住まいが、教育の場が、スーパーが、会社が、数は少なくまばらではあるが確かに点在している。以前の街の姿を鮮明に描ける現地の方々からすれば、到底そんなふうには思えないだろう。実際には、避難指

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