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「探す」は仕事ではない

「保存したデータが見つからない」

「さっきおいた書類がどこかに行ってしまった」

「部長、どこにいるか分かる?」

・・・このような風景は、どこの職場でも見られる、珍しくも何ともない、何気ない日常である。

―――が、仕事という観点で言えば非効率というか合理性に欠ける。

上記は、いわゆる「探す」という行為である。

このような「探す」という行為も含めて仕事だと思ってい人は少なくない。
いや、自覚すらしていないかもしれない。

もしも、「探す」という行為が仕事の中で発生するのは当然だとか、仕方ないとか、”あるある” だとか思っているならば、それは大きな誤解である。

そもそも、仕事と言うのは価値を生み出す行為である。仕事との価値とは、広義で言えば社会における課題や期待に応えることである。

しかし、冒頭のような「探す」という行為をしている間、一切の価値は発生していない。誰の課題も解決する行為にもなっていないし、誰の期待にも応えていない。

つまり、「探す」と言う行為は仕事になっていないということだ。

言い換えると、業務中に冒頭のような「探す」という行為をしている人たちは仕事をしていないため、雇用契約における賃金に見合った時間を過ごしていないということになる。

仮に「探す」という行為に価値があるとしたら、それはテーマや目的に沿った「調査」という名目になる。そして、調査した結果として仕事としての価値に結び付くため意義がある。

そうでなく、紛失したも物を探したり、その場で関わる必要のある人物を探すといった意味での「探す」という行為は、仕事としてのプロセスではない。

事業プランがあったとして、その中に「書類を探す」「上司を探す」なんて工程が含まれていたら馬鹿にされるに違いない。

そのくらい、冒頭のような「探す」という行為は、仕事において無駄なことであり、なるべく避けるべき・改善すべきことだと思ったほうが良い。

――― 私が関わっている介護の仕事で言えば、介護施設において洗濯が済んだを利用者の衣類やタオルなどを畳んでいるとき、それが誰の私物か分からないときがある。名前が書いていなかったり、名前は書いていても文字が見えなかったりすることがある。

そのようなとき、洗濯物を畳んでいる施設職員が別の職員に対して「このシャツは誰のか分かる?」といった問いかけをする。
そして「うーん、誰のだろう・・・あ、●●さん丁度よかった。これ誰のか分かる?」などと、洗濯物が誰のか判別するまで、職員内で話が広がる。

こういった風景は介護施設でよく見られるわけだが、残念ながら仕事の定義から言えば、残念ながら仕事をしているとは言えない。

もっと言えば、洗濯物の持ち主が分からない職員の「探す」という無価値な行為に対して、別な仕事をしていた他職員も巻き込んでいるわけだから、全体からすれば「探す」に対して複数の職員が仕事をしていない結果になる

それに気づかないものだから、その衣類やタオルが誰の物か判明したあとに何の対策もせずに、数日後にまた同じやり取りをすることになる。それを指摘したところで「介護施設ではよくある話」として終わってしまう。


――— このような話をすると、「探している間に思わぬ発見がある」とか「人を探して見つけることでコミュニケーションがある」みたいな考えをする人がおられるが・・・辛辣なことを言う無価値である。

「探す」という行為の先にあるものが、個人の「見つかって良かった」で終わるだけならば、それは仕事における価値ではないと気づいたほうが良いと思う。

「そこまで批判するならば、どうすればいいのか?」と言われるかもしれないが、それは明白である。

データの保存先が分からない、デスク上で書類を紛失する、職場の上司や同僚を同じ建物で探すことがある、書き物があるのに文房具が手元にない・・・仕事中にこのような場面が多いならば、これらを「探さないようにする」という工夫が必要である。

データは使用頻度に応じた保存場所にしたり、ファイル名を分かりやすくして検索すればすぐ抽出できるようにする。

デスク上は作業中以外の書類やファイルを置かず、必要最低限に留めておき、作業が終わるごとに片付けておく。

職場内では、行き先を周囲に告げて離籍したり、社内システムなどで外出やミーティング予定など共有できるようにしておく。

文房具について個人的な考えを言えば、職場にある共通の物を使うよりも個人でお気に入りの筆記用具を用意したほうが身につけておきやすいし、紛失もしにくい。

介護施設における衣類やタオルの持ち主が分からなくなるならば、現在ではアイロンしなくても貼り付けできる名前プレートなどを用いて、すぐに誰の物か判別できる工夫はたくさんある。
あるいは、よほどお気に入りでない限りは、施設内で用いるタオルやリネン関係はどの利用者も共通にしてしまう、といった考え方もある。


――― 調査などの探すことそのものが価値に直結しないならば、それ以外の「探す」という工程はなるべく排除すべきである。

無価値な「探す」を排除していった先として、本当に価値ある仕事に時間とエネルギーを注いでいただければ幸いである。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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