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【一切皆苦】「ダメ出し」されたときの適切な受け止め方

■ ダメ出しに対する反応は様々


職員からの申し出や提案に対して「ダメ出し」をする場面がある。
これは管理職や指導する立場の方であれば経験があると思う。

ダメ出しを他の言葉で言えば、「NGを出す」「却下する」などの言い回しが挙げられる。実際に伝えるときも「う~ん、これだと承認できないな」とか「こんなんじゃOKできないよ!」「もう少し練り直してみて」といった様々な言い方になる。

一方、ダメ出しに対して、申し出や提案をしてきた職員の反応も様々だ。
「そうですか、やり直してきます」とあっさりした人もいれば、「具体的にどこが悪いですか?」と聞いてくる人もいる。

「厳しすぎじゃないですか?」とか「頑張ったのに一体どこがダメなんですか!」と喰ってかかってくる人もいる。明らかに面白くない顔をして「・・・はい、わかりました」と引き下がる人もいる。

最近のあまりにダメ出しをしていると、「こんだけダメ出しされると、もう嫌になります」「あなたとは価値観が合わないと思います」と言って、最終的に「辞めます」と言ってくる人もいる。

このように言うと「最近の若者は~」というお決まりのフレーズが出てくると思われるだろうが、これは中高年でもある反応だ。

これは感情的になりやすいといった性格的な要素とか、その人のメンタルが弱いとかいう話ではなく、単純に「ダメ出しされることに慣れていない」と思っている。「失敗」への捉え方に近いかもしれない。


■ 仕事の9割はダメ出し


上司と部下の日常のやり取りとして、上司から部下へダメ出しする場面はイメージできると思う。

「この企画じゃ駄目だ」「まだまだ勉強不足だ」「さっきの客先での話し方は何だ」「これは経費じゃ落ちない」「あの件はどうなった?」・・・漫画やドラマの台詞のようだが、管理や指導する立場になると時々口にする。

別に部下に対してマウントとりたいとか、部下をいじめてやろうとか考えているわけではない。確かにそういう(かわいそうな)タイプの上司もいるだろうが、そのほとんどは役割や配慮のもとに行っている。

面倒くさくても、嫌われても、疲れているときでも、上司は仕事の1つとして部下にダメ出しを行っている。

一方、部下は自分なりに頑張っていても、それなりに勉強しても、自信をもってうまくやったと思っても、上司へ報連相をちゃんとしていると思っても、ダメ出しされるときはダメ出しされる。
変な言い方だが、ダメ出しを受けることも仕事のうちなのだ。

つまり、仕事というのはダメ出しが当たり前に起こると考えたほうが良い。
むしろ「仕事の9割はダメ出し」と言っても過言ではない。


■ 人格否定しているわけではない


上記で、ダメ出しが続いた結果「辞めます」と言ってきた人の話をお伝えしたが、この手のタイプはダメ出しによって人格否定されたと考えてしまうのだと思われる。

しかし、ダメ出しとは何も人格否定しているわけではない。

確かに口調が乱暴な上司だと「こんな仕事するなら、やめちまえ!」「お前の代わりなんて、いくらでもいる」なんて言葉を浴びせてくることもあるかもしれない。言われた側はそれを人格否定と受け止めてもおかしくはない。

だが、仕事をすること、仕事を任せられることは、否定的なことを言われることもあるということでもある。

そもそも仕事をするということは、顧客の困っていることや期待に応えることであって、そこで顧客の意向と異なるとNGや却下をされるのは当然のことだ。しかしそれは、人格否定ではなく顧客のニーズに合ってなかっただけと考えて、練り直してリトライするだろう。

それは上司からのダメ出しも同様である。上司は会社の方針に沿って部署をまとめていくにあたり、方針や手順などを汲んで役割分担をする。そこに意図を理解しなかったり、全体の調和をとらない者がいるとストップをかける。それに対して調整をかける1つの対応としてダメ出しをする。

しかしここで、顧客からのNGや却下は仕方ないと思えるのに、上司からのダメ出しは感情的になってしまう。そこには人間関係や価値感の相違もあるだろうが、給料という対価をもらう過程としての忍耐は必要である。

むしろ、これが個人経営であるならば、顧客からのダメ出し・NG・却下を直接受けることになるわけだから、そこで不満そうな顔をして「じゃあ、他の業者に行ってください!」なんて態度をとろうものなら、その先はたかが知れるだろう。

再三お伝えするが、ダメ出しとはあくまで仕事の一環なのだ。
ダメ出しは、仕事の目標達成のプロセスとも言える。


■ 「一切皆苦」という教え


それでもダメ出しに慣れない方に1つの考え方を提示したい。

仏教には「一切皆苦」という教えがある。

読み方は「いっさいかいく」であり、意味としては「生きるうえで起こる全てのものは苦しみである」ということであり、ざっくり言えば「死ぬまで苦しみしかない」ということである。

だからと言って死ねという意味ではない。この教えから得られる意図は「世の中のことは自分が思った通りにならない」ということから、自分の価値感や考えを無理を押し通そうとするよりも、うまくいかない前提で考えることで力まずに生きることができる・・・という苦しみの緩和である。

見方を変えれば、大抵のことは思い通りにならない中で、たまにうまくいったら「ラッキー!」「今日は宴だぜ!」くらいに思えば良いという話だ。

上司からダメ出しされることも、ダメ出しが続いたとしても「まあ、頑張って提案してもダメ出しされることはあるある」と思えば良いのだ。
そのうえで自己研鑽と改善を重ねたり、周囲に相談することなど続けているうちに上司から「よくなってきたじゃん」「最近調子いいね」などという言葉を貰えるようになる。

いきなりOKを狙わず、一切皆苦の教えのもとで卑屈にならずにトライし続ければ、ときどきボーナスポイントが発生すると思おう。


■ ダメ出しに慣れる


何だか偉そうなことを書いているが、それは私が職員にダメ出しをする立場にあるからではない。

というか、どんな立場であってもダメ出しはくらう。
職員の仕事ぶりやクレームなど顧客からダメ出しされることもあるし、税理士さんや融資いただく銀行さんに試算表や今後の方針を伝えると「ちょっと詰めが甘いですね」「もう少し数字の根拠を持ちましょう」とリテイクを食らうこともある。

介護サービス事業として行政書類は多々あり、各担当課から書類の修正要請なんて定期的にある。介護職員処遇改善加算という実績報告なんて、数字が合っているのに指摘を受ける。承認されても何が良かったのか分からない。

このように、上司だろうが部下だろうが、経営者だろうが政治家だろうが、一般人だろうが有名人だろうが、誰もがダメ出しを受けるのだ。

そこで「嗚呼、ダメ出しを受けた」「NGが続いてへこむ」「嫌いだから却下ばかりするに違いない」なんていちいち反応していては身が持たない。

そこで、ダメ出しに慣れるという耐性が重要だ。
ダメ出しに対しての防御力を上げるのだ。

これはダメ出しに鈍感になるという意味ではなく、上記で幾度もお伝えしたように「ダメ出しは当たり前」「ダメ出し前提」という考えのもとに、相手に申し出や提案をすることだ。

そこで思考のフレームを広げた1つの考え方として「一切皆苦」を思い出していただければ幸いである。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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