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「やりたいことはある?」ー 自分が聞かれて困ることを、認知症の高齢者に問いかけていないか?

■ ”望み”を聞かれても、すぐに答えられない


介護サービスを提供するにあたり、高齢者本人やご家族の意向を伺う。

そして客観的に見た課題点も含めて介護支援計画を作成する。

介護は困っている点を解消することも大切だが、同時に本人たちの”望み”に寄り添う姿勢も大切である。

とは言え、この”望み” というものは意外に厄介である。他人からストレートに「何を希望されますか?」なんて聞いたところで、すぐに見つかるものではない。

そもそも、この手の質問を急に問われたところで、命や生活を脅かされる環境にある場合は別として、すぐに答えることができる人は少ないと思う。

「やりたいことはありますか?」
「何か欲しい物はありますか?」
「何か好きことはありますか?」

・・・こんな質問をされて、すぐに回答できる高齢者はいない。しかし、意外にこのような問いかけをする介護従事者を結構見かける。

同じ質問をされたら、自分たちだって困窮するはずなのに・・・。


■ 認知症の方にとっては混乱させることも


最近でも運営している施設の介護職員が、暇そうにしている利用者に対して「暇そうだね、何かする?」と話しかけているのを見かけた。ちなみに、その利用者は認知症が進みかけている高齢者である。

職 員「暇そうだね、何かする?」

利用者「何をすればいいか分からない」

職 員「何かやりたいことはないの?」

利用者「やりたいこと・・・分からない」

職 員「何か1つくらいあるでしょう」

利用者「う~ん・・・」


このようなやり取りが続くにつれ、徐々にこの利用者は下を向いてしまった。職員は職員で困った顔をしていた。

――― お互いの言わんとすることはご理解いただけるだろう。それはおそらく客観的に見れば双方を見て仕方ないと思える。

認知症は過去の記憶は健在であることが多いので、職員としては昔やっていたことを引き出そうとしたかったのかもしれない。
しかし、認知症の方からすると「今」「現在」における「やりたこと」を問われたとしても混乱するだけである。

しかも、「やりたいことは何か?」なんて以前に、認知症の症状として「自分は今ここに何のためにいるのか」「何も分からなくなっている自分」などの不安があることもある。

自分の状況に対して不安なのに、”望み”なんて考えは及ぶはずがない。


■ "望み”とは潜在的なもの


誤解のないようにお伝えすると、高齢者には希望や欲求がないという意味ではない。認知症の有無に限らず、高齢者だってちゃんと”望み”はある。

そして”望み”の内容は、高齢者に限らず誰もが同じものである。

夢中になれることをやりたい
得意なことをやりたい
誰かの役に立てることをしたい
誰かに評価されることをしたい

これらは単独あるいは複合的に交わることで”望み”となる。
しかし、他人から急に問われて「これが自分の”望み”です!」「これが私がやりたいことです!」と、ポンっと言える人はいないだろう。

しかし、誰もが生きていく中で「これをやっていると時間が過ぎるのが早い」「自分は当たり前にできることが、周囲から注目される」「あの人のようになりたい」「自分のスキルを社会の役に立てたい」と思うことがある。

それは明確な意向や行動として表れないことが多く、そのほとんどの”望み”は、奥底にある潜在的な欲求として、自分の中のどこかにぷかぷか浮かんでいる。

そのような潜在的な”望み”に対して、いきなり「やりたいことは何?」「好きなことは何?」とストレートに聞かれて答えられないのは普通のことだ。

それは高齢者だけでなく、介護をする側だって同様だ。


■ 潜在的な欲求を顕在化するために


では、(認知症であることも加味して)高齢者に対して”望み”を聞くことはやらないほうが良いのだろうか?

もしそのように考えるならば、少し早計である。上記でもお伝えしたように高齢者であって”望み”、つまり希望や欲求というものはある。

単純に「やりたいことはある?」「好きなことは何?」「欲しい物はある?」などとストレートに聞いたところで、潜在的な”欲求”が言葉として返ってくることは稀であるという話だ。

例えば、いきなり自宅に訪問営業に来たセールスマンが「あなたのお困りごとは何ですか?」と聞かれたところで、すぐに出てこないだろう。せいぜい「今、この状況に困っています」と言うくらいだ。

――― となると、ストレートに”望み”を聞くのではなく、別な聞き方をすればいいという考え方となるわけだが、それも少しポイントがズレている。

もちろん、聞き方を変えるなどのアプロ―チを試行錯誤する姿勢は良いことである。しかし、それ以前に考えるべきことがある。

それは「なぜ、相手の”望み”を知ろうとするのか?」ということだ。

上記の介護職員と利用者とのやり取りで言えば、利用者が暇そうにしていることから職員が「やりたいことはある?」と声をかけたわけだが、その理由はなんだろうか?

その理由として「利用者にやりがいを持ってほしい」「メリハリある生活をしてほしい」「やりたいことで笑顔にしたい」「自己実現の機会を与えたい」など色々あるだろう。

決して「やりたいことをやらせれば良い」という安直な考えではないはずだ。それだと、目的と手段が入れ替わってしまう。

相手の意向を聞きつつ、介護のプロとしては”望み”の先にある目的に向けて、潜在的な”望み”を探るようなコミュニケーションをすることが大切だ。


――― 本記事では潜在的な”望み”を得るための方法は書かない。書けないこともないが、それはマーケティングなどの分野になるので本記事の趣旨とは異なってしまうことから割愛する。

また、認知症であろうがそうでなかろうが、高齢者の潜在的な”望み”を顕在化することはテクニックよりも先に、相手への興味が大切であろう。

まずは「やりたいことはある?」と聞く前に、目の前の高齢者がどのように生きてきたのかを、日々少しずつお話しながら聞いてみてはいかがだろう。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめたか方へも、感謝。

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