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「この人はできない」と最初から決めつけていないか?

■ その評価は適切か?


「この人は仕事ができない」
「この人は理解力がない」

自分に対して、他人がこのような評価をしているとしたらいかがだろう?
―― 決して良い気持ちはしないはずだ。ひどく落ち込むことだろう。

そこで相手の評価を見直してもらおうと頑張るものの、相手の評価がすぐに変わることはなかなかない。人間という生き物は、他人に対して抱いた最初の印象を簡単に変えることはできない。

もちろん、相手の印象を上書きすることはできる。しかし、それはじっくりと時間をかけて信頼や信用を重ねての地道な結果である。短期間で印象を変えるには、よほど大きない出来事がない限りは起こりえない。

すると、何とか低評価を挽回しようとするモチベーションも失われ、しだいに「仕事ができない」「理解力がない」と評価している相手とは距離を置くようになる。

とは言え、実際に相手が評価するように「仕事ができない」「理解力がない」のかは分からない。

言われた側にその自覚があるならば、仕事で成果を出したりスキルを伸ばせばよいだけだが、この手の話になると評価をする側と評価される側の印象は異なることが多い。

そのため、お互いに「この人とは話にならない」となってしまう。ときには「どうして分かってくれないの!?」という揉め事になることもある。


■ 評価と言う名の”決めつけ”


この手の話における問題というか起点は何なのかと言うと、評価する側が「他人のあり方を決めつけしている」ということである。

しかも、その決めつけは割と初期段階からの話である。

「仕事ができない」というのは一見すると評価であるが、実はそれ以前から「この人は何だか仕事ができなさそう」と決めつけしていることがある。
すると、少しのミスが重なったときに「ああ、やっぱりこの人は仕事ができないのか」という認識になる。ミスをしない人なんていないのに、だ。

また、「理解力がない」というのも、相手に対して「この人は頭が悪そうだな」「勉強してないのだろうな」という決めつけが伺える。

そのため、ちょっと話が噛み合わないと「ああ、もういい」「あなたに分かってもらおうと思った自分が悪かった」と突き放す。

そうして「やっぱりあの人は理解力に欠ける」とそれ以降のコミュニケーションをとろうとしなくなる。

この相手への決めつけは、一度か二度うまくいかなかったから「この人は無理だな」と決めつけることも同様である。


■ 介護における高齢者への決めつけ


これは私が身を置く介護サービス事業においても、たまに見かける。

それは介護従事者が利用者(高齢者)に対して「この方は細かい作業なんて無理だろう」「〇〇さんには言っていることを理解できないだろう」といった決めつけである。

これも具体的に言葉にしなくても、傍から見ていると「この介護スタッフは、利用者のことを低く見積もっているな」と分かる。つまり、利用者のことを”あなどっている” わけだ。

すると「こちらでやっておきますね」と必要以上に介助をして自立支援を阻害したり、利用者の自尊心を損ねるような結果になる。

しかし、あなどることなかれ。確かに高齢者は心身や理解力が衰えているが、やはり長年を生きてきた実績がある。

平和な現代では考えられないほどの悲惨な時代を生きてきた。
そこから日本と言う国を経済大国に発展させてきた。

そこから現在に至るまえでの経験や智慧は、決して低く見積もることはできない。「この人は何もできないだろう」と思う介護従事者は、スキルや経験があったとしても三流以下だと思う。

決めつけで何もやらせないのは、それはプロの介護者ではない。
本人ができると言うならば、とことん付き合うことも必要である。


――― 「仕事ができない」「理解力がない」と言いたくなるときはあるだろう。しかし、そのような評価を下せるほど、自分という存在は立派なのか?

私も他人の仕事ぶりや言動を受けて、ついついこのようなことを思ってしまうことがあるが、私だってすべての仕事に対応できるわけでないので、確実に「こいつ仕事できねーな」とか「理解できねーのかよ」などと思われることがあるに違いない。

他人に対して「決めつけ」の評価なんて意味がないと思うし、実際に異なっていたら失礼にあたる。

そう考えると、他人に対して「この人はできない」という決めつけをするくらないならば、まずは自分のあり方を見直すことの方が先決ではないか。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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