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結局のところ、e-ラーニングも資料配布も研修形態として同じではないか?

介護サービス事業では「法定研修」なるものがある。これは国から「この研修は介護職員に対して年1回以上行ってくださいね」という義務としての研修である。

サービス形態ごとに行うべきテーマは定まってるが、具体的な内容に決まりはないし研修時間も定めはない。言ってしまえば、5分だろうが1時間だろうが実施したことになる。

多くの介護事業所では一同に集まって開催している思われる。もしも参加できなかった職員へは、管理者や現場リーダーなどが個別に行うだろう。

また、昨今ではコロナ禍の影響もあり、e-ラーニングも研修として普及している。いつでもどこでも好きなときに受講できるので、時間調整をして一同に集まる必要はないことはメリットとして大きい。

しかし、どうやら資料配布だけでは研修として不十分らしい。例えば、職員が集まる時間がとれないため「今回は配布する資料を読んで研修とします」というのは研修として容認されにくいようだ。

何だか曖昧な物言いなのは、行政による定期現地調査である運営指導(旧 実地指導)において、そのときの担当者ごとに解釈が微妙に異なるからだ。

その結果として、一同に集まって研修をしたほうが安牌だろうという話になってしまうわけだ。

だが、個人的な考えを述べるならば、e-ラーニングは良いのに、資料配布は駄目という理屈が分からない。どちらも個人学習として同じではないか。

これはおそらく、e-ラーニングならば実施記録がサーバに残るし、受講後に確認問題なども行う仕様のため研修のカタチを成しているという理屈なのだろう。

しかし、e-ラーニングも資料配布も、個人が適当に流して受けるならば結果として理解や修得レベルは変わらない。

何が言いたいのかというと、義務による国がe-ラーニングを研修として容認しているのは、単純に「研修としてそれっぽい」という理由であって、確実な理解度まで求めていないという話である。

そもそも、研修とは”学習”であり、言ってしまえば ”勉強” である。
勉強とは、元来は仕事のためではなく本人のためにある。何なら義務でも何でもない。

仕事においては知識や技術の修得が必要なことから職場で研修という形をもって強制的に勉強を促すわけだが、わざわざ国から「職員にこの研修をしなさい」と言われる筋合いはないはずだ。

しかし、介護サービス事業は介護保険制度という国のお膝元で行っているビジネスであるし、義務である研修テーマはどれも意義があるので反発する理由はない。但し、研修(勉強)に向き合うのは、結局のところ職場ではなく介護職員たちであることには変わりはない。

となると、今後も介護で働くならば、講義でもe-ラーニングでも、そして資料配布であったとしても、どのような研修形態であったとしても全てを自分の身になることとして向き合うべきである。

義務としての研修を職場で開催しない限り、自分では勉強しないというのはプロフェッショナルの姿勢ではないだろう。

何も「資料配布も研修として認めてくれ」と言いたい訳でない。
しかし、研修をしないと勉強しない介護職が多い事実も伺える。

そのため、私は講義やe-ラーニングはあっても、それとは別に資料配布などをして自己学習をする機会をもったほうが良いと考えている。

これは別に自己学習しないことを責めているわけでない。
どちらかと言えば「どうやって勉強すればいいのか分からない」「知りたいことはあるけれど、その情報がどこにあるのか見当がつかない」という人たちが多いことが自己学習しない要因になっていることへの配慮だ。

実際、介護現場での問題を解決しようと色々調べようとするものの、それまで勉強という勉強をしてこなかったり、Web上で検索して調べるという習慣がないことから悩んでしまう人は少なくない。

そこに対して、上から目線ではなく「こういう資料があるよ」「もっと知りたいならば詳しい情報を教えるよ」と手を差し伸べることで自己学習につなげることも必要だと思う。

そういう意味では、資料配布というのも意義のある取り組みだと思う。


――― 勉強は義務ではない。外部から強制されるものではない。

また、「これをやったから確実に理解できる」なんて方法もない。

すべては試行錯誤しながら自己学習したことが身になる。

一方で「どうしたら良いのか分からない」という人は学習意欲があるため、周囲に知恵を借りることを推奨する。

知らない情報も知っている情報も、とりあえず手を伸ばせば何かが掴めることは間違いない。それは例え研修という形であっても同様である。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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