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変わりゆく街に君との思い出を重ねることなんかしない

去年の2月に書いたやつです。

下北沢を歩いていると、閉店するお店が相次いでいるのに驚く。駅前にはタピオカ屋が乱立し、若い女の子たちがキャッキャと立ち止まって話している。街には新しくておしゃれなお店が増え、古参の店は閉店セールをしている。

進化の途中にあるこの街に、わたしがどうこう言う資格はないが、やっぱりちょっと変な感じがする。

中学生の時からこの街に通い、この街を経由していろんな街へ行き、今もここにいる。通い始めてから10年以上経っているのだから、変化は仕方ないと思うが、なんとなく、違和感がふわふわと立ち込めている。

下北沢ってこんなだったか?

わたしが初めて友だちに連れてきてもらった下北沢は、雑多としていて、迷路みたいで、意味不明で、ちょっと怖かった。駅前食品街を通り抜け、南口から本多ビルに入り、ヴィレッジヴァンガードで遊び、プリクラを撮って、ゲームをした。あの雑多な感じが、今全然ない。というか、街にいる人も全然違う。なんで、自由が丘とか代官山に行くみたいなファッションの人が下北沢にいるんだ?

再開発のことや、街が新しくなることに関しては「まあ時代の流れ的に仕方ないのかな」という気持ちもあったし、踏切がなくなって行き来がスムーズになったり、駅構内がきれいになったのはすごく嬉しい。まあ、それによっておしゃれなお店ができて、おしゃれな人が来るのは仕方のないことなのかな、とも思う。

これからどんな街になるんだろうか、と楽しみにしていた。「文化祭みたいな街だから、街が新しくなったら、新しい校舎での文化祭みたいになるのかな」と言っていた。そう期待していた。

でも、下北沢の線路跡地イベントに行ったとき、ものすごい違和感があった。なんだろうか。まぎれもなく”下北沢っぽい”のに、めちゃくちゃ違和感があるのだ。例えて言うなら、「仲のいいサブカルな先輩が、整形しておしゃれな人になっちゃった」みたいな違和感と寂しさがあった。

外側だけ変わると思っていたら、中身も変わっちゃった、みたいな感じだ。下北沢に感じていた”強さ”みたいなものがなかった。「俺はこうする!」みたいな我の強さが作り出す熱量があったはずなのに、おしゃれシティボーイのふわふわ街計画みたいだった。「温泉施設作ります!」というのも、「今流行っているからね!」みたいな感じで嫌気がさした。

けど、一人のユーザーとしてこれはもう受け止めるしかできないのかなと思う。できたらできたで「温泉うれし~」とか言いながら入る気がする。

もうあの日の下北沢はないと受け止めるしかない。変わりゆく街に君との思い出を重ねることなんかしない。

応援があると人は強くなる。例外なくわたしもそのはずです。