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一つの言葉でひとくくりにされるのが怖い

2019年6月に書いたっぽい文章が下書きにあったので公開します。なんかもったいないので。

人が一番恐れるものを?
自分が理解出来ぬものだ。自分が理解出来ないと、勝手に推測する。
-----「小説家を見つけたら」

人生が進む、というか、結婚とか妊娠とか出産とか、そういう人生が大きく動きそうなことが、年齢を重ねるたびにどんどん怖くなっていて「えっ、本当に”あの”結婚をしたんですか……?」みたいな気持ちになってしまう。「人生で結構な決断が必要とされる”あの”結婚を……?」みたいな。

もともと変化が嫌いで、高校のときも半年くらい「いや、まだ高校生じゃないし」みたいな顔していたし、大学のときも「まだ高校の人と連絡取れるし」とか思ってたし、社会人になってからも「働いてるけど、心根は社会に染まってないし」と何かに反抗してきた。半年くらいしてようやく、「JKイエーイ!」とか「わたしは社会人でーす!」と胸を張って言えるくらいになるんだけど。

恋人と同棲をはじめたときも、「変化はストレスになるから徐々に!徐々にね!ストレスが積み重なると発作来るから!ね!」と言って週1~2日の宿泊からはじめたし、今もまだ週4日くらいしか行けてないので、「まだ同棲じゃありません!居候みたいなものです!」と言い張っている。
たぶん、自分の心の中に「”あの”同棲をしているんですか!?二人で生活を共にする!?実家を出て!?」みたいな気持ちがあるからだと思う。もうすでに1年経つけど、「あの同棲とは違うんです!毎日はいないんです!だから同棲じゃありません!」という気持ちで生きている。胸を張って「同棲してます」と言える日が果たしてくるんだろうか。

わたしがこうやって考えてしまうのは、おそらく、”妊娠”、”出産”、”結婚”みたいなものから連想して、何か言われるのが怖いんだと思う。
「同棲したから次は結婚だね」とか「結婚したから幸せだね」とか、「妊娠できてよかったね」とかそういうの。
同棲したから絶対結婚するとは限らないし、結婚したから幸せじゃないかもしれないし、妊娠してよくなかった場合もあるかもしれない。そういった負の可能性を疑ってしまう。個人の感覚はそれぞれ違う。決めつけて何か言いたくない。

これはちょっと違うけど、男とか女とか年齢とか学歴とか、そういうので決めつけるのも怖くなってきている。
わたしの両親はわりと古い人間(60代と70代)なので、「男なのに情けない」「女の子なのに、こんな服を着てるから痴漢に遭うんだ」「同性が好きなんて、もったいない」「大学卒業してるのにコイツは何も知らない」とか、ネットだったら一発で炎上することをバンバン言う。
そういうのを聞きながら、「男だからと言って、みんな強いわけでもない」とか「服じゃなくて痴漢が悪いんだよ」「同性が好きで何がもったいないの?」「大学で学んだのは違う分野かもよ」と反発している。まあ両親は明確な悪気があって言ったわけじゃないから、「まあ確かに」「そうかもしれない」と黙る。
彼らは、言葉に対する固定観念があって、それに対して予想外のことがあったから「男だから強くあるはずなのに、こいつは弱い。俺には理解できない。きっと情けないやつなんだ」と思って口にするだけなんだと思う。自分勝手な推測。想像力の欠如。

これも少し違うけど、前、興味本位で婚活パーティーのサイトを見ていたら「収入~万以上!身長~cm以上!学歴~以上!」「ハイステータス!」みたいな宣伝文句がたくさん並んでいて、怖くなった。「え、それってどんな人ですかね?」みたいな。ステータスと結婚するの?人間じゃなくて??
まあでも、この言葉をもとに自分と合う人を探すから、入り口としては間違っていないんだろうけど、赤の他人にこれから旦那さんになるかもしれない人を「ハイステータスですよ!」と言われるとちょっと「はあ……」という気持ちになってしまう。いや、ハイステータスな旦那がいることが嬉しい人もいると思うので、良いんですけども。

言葉は本当に重くて、一つの言葉にいろんな背景がある。性別やステータスで一括りにされるのが怖いし、自分がそうしてしまうのも怖い。人間は分かり合えないけれど、固定観念をぶつけてその人と接するのは本当に失礼だと思う。

最近は友だちも結婚や妊娠が増えてきて「おめでとう~!」と言う機会も増えているけど、一方で全然幸せじゃない結婚や妊娠もちらちらと見えるようになってきた。めちゃくちゃ苦労してようやくできた嬉しい妊娠もあるし、想定外の妊娠だってある。

だから、そういう話を聞くときは最後までちゃんと聞いてからにしよう、と心がけている。「結婚してこんな不満もあるけど概ね幸せ」とか「超ハッピーだけど、僻まれるからあんまり大声で言えないんだ」とかいろいろある。そういうのも全部汲み取って、理解して、寄り添って、ようやくその言葉の背景が見えてくる。

言葉が持つ意味は一つじゃない。だから、人は言葉を必死に紡いで誰かに伝えようと努力する。それゆえ、一つの言葉で安易に連想して、ひとくくりにするのが怖い。

応援があると人は強くなる。例外なくわたしもそのはずです。