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大学受験に落ちたら人生終わりなのか

高校3年生の冬、2月の下旬はいつもより厳しい寒さだった気がする。

チャンスは1回しかない。それは進路相談した半年以上前から分かっていたことだったけど、そのチャンスをすっかり無駄にした自分がいた。第一志望の大学は不合格という結果だった。

秋の進路相談では、担任から第二志望にと東京のネームバリューのある私立大学の受験も勧められたが断った。もちろん、よりいい大学に入りたい気持ちはあったが不安だった。母から、受験する大学は自宅から通える範囲にしておきなさいと諭されたのだ。

「経済的に私立大学になると仕送りは厳しい。奨学金を借りるか、生活費はアルバイトで賄ってほしい。一人暮らしなら家事も自分でしなきゃいけないし、学業と両立できるの? 」

稼ぎ先もわからないうちから借金を背負うのも、必死に働き、時間を惜しんで勉強するのも、弱音をはかずにやり通せるのか? 4年間も。普段家の手伝いもろくにしてない今の状況で、未来の自分を信じる勇気はなかった。

ある日、地元の私立大学(仮)G大の受験説明会に出るため、放課後の講習を休みたいと教科担当の先生に申し出にいった。

「わかりました。・・・しかし、(仮)G大学・・・、トップのクラスにいる生徒がそこの受験説明会に参加する意味はありますか?」

きっと先生だって期待と情熱を持っていたからこその言葉だった。不愉快だったが、不思議にもマイナスには捉えなかった。そりゃそうだ。ずっとA判定のところなんだから。第二志望でもない。絶対に第一志望の大学に受かってやると意気込んでいた。

数か月後、その言葉は第一志望不合格という結果のショックをさらに深刻なものにさせていた。一般的に、受験時期の高校3年生はとても繊細で神経質なので扱いには注意が必要だが、自分も例外ではなかった。

高校生活を振り返ると、特に部活に打ち込むわけでもなかった。恋愛も遊びもおしゃれも、青春っぽいことってしただろうか。いや、勉強くらいしかしていなかった。特待生制度で入学した高校。期待に応えなければいけなかったのに努力が足りなかった。全部自分で決めたことだけど、結果が出ないなら受験勉強に意味なんてないだろう。少なくとも自分にとっては見いだせなかった。その時間でもっと楽しい、好きなことをすればよかった。

志望通りの進路が決まった人、後期試験に臨む人、浪人を決意する人いる中で自分は悩んでいた。周りはみな、国公立か有名私立、どちらもダメなら浪人するという選択で、地元の私立大学にいくという人はいなかったからだ。もちろん浪人する選択肢も考えたが、親はもちろん反対だったし、何よりまた同じ思いをするのは怖かった。その選択をする勇気と覚悟はないのに、メンツは保てると思うと浪人の人も羨ましかった。

数か月前のあの先生の言葉を思い出す。自分が今選ぼうとしている所は今までの自分の努力や周りのサポートに応えるには相応しくない大学なんだろう。
そしたら自分も何のために大変な思いをしながら勉強を頑張っていたのかわからない。合格に必要な努力が100としたら少なくみても80くらいは頑張っていたはずだ。勉強しかないのに自分と周りの期待を自分は裏切った。
虚しくて悲しくて苦しくて、泣きそうだった。

そんな憂鬱な2月下旬のある日の放課後、係の仕事でいつものようにみんなの課題プリントを回収し、教科担任の机に置きに職員室へいった時のことだった。いやな予感がした。

「やあ、ひかさん。」

古典の教科担任のK先生。陽気でぽっちゃりなおじいちゃん先生。授業でもやたら指名してくるし、寒い冗談を言っては相槌を求めてくるし、こうやって偶然出くわしても必ずといっていいほど絡んでくるので苦手だった。

「どうしたの!元気ないね!」

「ちょっと来なさい。」

さりげなく通り過ぎたのに、K先生が自分の机の前に呼びつけるのでしぶしぶもどる。

「受験は、どうだった?」

この受験生のセンシティブな空気をまったく配慮しないスタイル。

感情なく答える。

「(仮)T大落ちました。」 (※東大ではない)

「おぉ、そうだったか。ほかは?」

「あとは(仮)G大しか受けてなくて。そちらは、まぁ、受かりましたけど」

「おーー!!!!おめでとう!!!すごい!!よかったじゃない!!!」

「えっ、(仮)G大ですけど・・・」

「(仮)G大、いい大学じゃないですか!」

K先生が想定の20倍くらい褒め称えてきたので、驚きを通り越して不愉快だった。

「浪人しようか迷ってて・・・」

お祝いされているのがみっともない気がして、苦し紛れにそう返した。

しかし、自分のその言葉を皮切りに理由を話そうとしたはずが言葉よりもぼろぼろ涙ばかりがあふれてしまっていた。

過去も未来も不満で不安でしょうがない。選択肢はたくさんあるのに怖くて自分で選び受け入れる勇気がない。

K先生は私の子供みたいな言い分を、授業の時と変わらない穏やかな表情で聞いていた。そして、厳しく叱るわけでも同情するわけでもなく、ちょっとした秘密のコツを教えるような感じで優しくこう言った。

「ひかさん、あなたは、あなたなんですよ。」

「どこの大学にいったって、あなたはあなたでしょ。」

「頑張ってきたと思うなら、自分をいじめるのはやめなさい。(仮)G大にいっても変わらず、また頑張りなさい、ね!」

すごく当たり前のことを言われたのに、苦しかった気持ちがすっと消えた。
学歴で判断される見方はあるのは事実だし、学歴の高い人が優秀であることに変わりはない。ただ、そのボーダーラインだけで人生の何もかもが決まるわけではない。

100頑張ることができなくても、80頑張ることができたなら80分の力は身についているはずで、その経験はきっと何かの力になる。「あなたはあなた」という言葉は、努力が足りなかった自分を許し、再び歩き出す勇気と挽回のチャンスを与えてくれた気がした。


K先生の言葉で、その後は真っ当な気持ちで(仮)G大に進学する決意ができた。入学してからも、K先生の言葉は力になった。周りに流されることなく、ぼんやりとだが目標をもって過ごすことができた。結果、首席でこそなかったが、次の年から2年連続で成績優秀者で表彰されたり、色々挑戦してみたりとで、まぁK先生にやれって言われた分くらいは頑張ることできたかなと思っている。

高校の時のハイパー偏ったクソ真面目さは抜けて、ほどよくさぼり、適当さも覚えて(結局いいのかわからない)、友人にも恵まれた。高校の時目指した理想の人生とは違うが、私は私だ。ほかの何かと比べて過去の自分を責めるようなことはもうない。とにかく、まぁまぁ幸せだと思える日々を送ることができている。ありがとう。K先生。

また記事見にきてもらえると嬉しいです!!