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虚無日の対策、映画鑑賞。プラダを着た悪魔の感想。

こんにちは、ことよみです。

久しぶりに日記を書こうと思います。

最近の生活ですが、調子がいい日と良くない日がはっきりしてきたように思います。
今日は調子がいい日で、朝ごはんに、ホットケーキを粉を調合するところから初めて作りました。そして、珈琲もマキネッタを3年ぶりくらいに使って、カフェラテと自家製ホットケーキという、ここ一年くらいで一番丁寧なんじゃないかと思える朝食を頂いてきました。

こんなに動ける朝は久しぶりなのですが、ここまでいかなくても、朝から調子が悪くないなという日がちょこちょこでてきています。
まあ、毎日日記を書いていた先月ほどではないですが。

逆に、朝からなんだかしんどくて、虚無感と鬱々とした気分が漂い、午前中にもう今日は終わりでいいかななんて考えている日もあります。

こうした落ちている日は、もう何もする気が起きず、集中力も皆無でどうしようもありません。

なので最近はそうした日をどうやり過ごすかを考えています。

そして昨日は多少落ちている日だったのですが、落ちた日の対策として考えた一案として、頑張って映画を見てみることにしました。
映画であれば、面白いと思えるように作ってあるし、2時間程度の時間をそこに費やすことが出来ます。
そうした考えで映画を鑑賞するのは制作者に申し訳ない気持ちもあるのですが、見られないよりかは良かろうと言い聞かせ、深く考えないようにして見ることにしました。

昨日見たのは、「プラダを着た悪魔」です。
Netflixで最近配信されたので、有名だし、せっかくなら聞いたことのある作品を見てみようと思い、選びました。

見た感想ですが、仕事というものへの向き合い方を考えさせられました。
最高なものを作る、というのは大切なことですが、そのもの自体へのリスペクトを忘れてはいけないなと、まず思いました。
良い雑誌を作るために、ドライに冷静に物事を判断する姿勢は素晴らしいと思う反面、モノへの扱いの雑さから、そのもの自体への愛を感じることは出来ず、そうしたものづくりには賛同できないと感じました。
日々考えごとをしたり調べたりしている中で、中庸という概念がよく出てきます。それがバランスであったり、分水嶺であったり、天秤であったりと表現は変わってきますが、どれも偏りすぎはよろしくないと言います。
この考え方には私も賛成で、どこかに偏ってどこかがおろそかになっていくのは、そのうち調子を崩してしまうだろうと思います。
映画の中でも、それは恋愛や家族の関係に見られました。
これはある意味、突き抜けるためには何かを犠牲にする必要があるという話なのかもしれません。

2者のバランスを考えるときに、両端に何を置くかを考えがちですが、私は、中心の軸に何を置くのかが一番重要だと感じています。
例えば、仕事と生活を両端に置いたときに、中心の軸には何があるでしょうか。ここに貯金といったものがあれば、仕事側が重くなるでしょう。ではこれが、暮らすこと、になればどうなるでしょうか、人によっては、仕事よりも生活に傾くかもしれません。
また、中心に暮らすことを置いたとき、両端には何が置かれるでしょうか、人によって答えは様々だと思いますが、引っ越すことを考えているとしたら、都会か田舎か、通勤はバスか電車か、などと両端に置かれるものが変わってくるかと思います。
話が逸れてきたので戻しますが、映画の中では、この中心の軸に最高の雑誌を作る、があったように思います。そうなれば天秤はより働く方に傾くのは必然でしょう。主人公は、徐々にこの中心の軸が悪魔と同じ、最高の雑誌を作る方に無意識に寄って行ったのだと思います。終盤にそれに気が付き、自身の軸を取り戻すべく電話を捨てたシーンには少し笑えました。

私は、小さい頃から仕事よりも生活、暮らしの側に興味がありました。なので、この映画の登場人物のような暮らしや仕事観に共感することは出来ませんでした。ですが、なにかに熱中するその姿勢には憧れるものがあったように思います。
いままであまりなにかに本気になれたことがない私ですが、いつか、そうした本気で向き合えるものに出会えたらいいなと思える、そんな映画だったように思います。

本日もお読みいただきありがとうございます。

皆様の日々が暖かいものになりますように。

それでは。

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