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辛い経験は「本当の気持ち」を見つけ出すチャンスであり、「なりたい自分」に近づく原動力となる。


今日は、今まで何度か書いたことがある「仕事が辛かった20代のこと」を書いてみました。

前に書いたことと、被る部分もありますが、その時より「深掘りをした内容」になっています。

ものすごく辛い時期、「あること」を自分に問い続けてきたから、本来の私を取り戻すことができ、今は「なりたい自分」に近づくことができていると思います。

暗い言葉や荒ぶった言葉が並んでいたり、3000文字超えの長文になっているため、読みたい方だけ読んでくださいね。

それでは、どうぞ~





怖い、辛い、苦しい、痛い、限界、悔しい、辞めたい、死にたい…死にたい…

これは、私が高卒で社会人になり、そこから4年半、心のなかにずっとあったもの。


働き始めて見えてくる、会社や同僚の

矛盾、冷たさ、汚さ、陰口、嫌み、愚痴、悪循環、非常識、無責任、裏の顔、長時間労働…

まるで、どろどろで悪臭が漂う排水口のような職場だった。


入社して1ヶ月後、とある部署に配属が決まった。そこは、業務の流れの中で1番重要な部署。

常にピリピリ、バタバタしていて、ものすごく神経と体力を使う仕事だった。

どんなに繁忙期でも、普段と同じ時間までに、何本もの仕事を仕上げなければいけなかった。

ゆっくりトイレをすることも、水分補給をする余裕もない。帰るまで気が休まる瞬間がない、苦しい苦しい空間だった。


「ピリッとした空気感があって入りづらい、話しかけづらい」と噂をされ、皆から配属されたくないと思われていた、嫌われ部署だった。


そんなところに、配属された新入社員は私だけ。他の同期の子は、他の部署に数人ずつ。

なんで私ひとりが、こんなところに。心細かった、怖かった。動悸、腹痛、止まらない脇汗に、ひとりで苦しんだ。

他の部署で楽しそうにしている同期が、羨ましかった。

落ち着いていて、しっかりしているイメージを持たれてしまう私にとって、あっという間に打ち解け、可愛がられるタイプの同期が羨ましかった。


私は、嫌われ部署で地道に仕事を覚え、できることを増やしていったが…会社のめちゃくちゃな考え、信頼できない同僚、自分らしさを出せない雰囲気に、ものすごく苦しんだ。

人生で1番辛かった…
ほぼ毎日、家で静かに泣いていた。


1年が経つ頃に、我慢の限界が来た。

そんな時に東日本大震災が起き、私の心はポッキリ折れた。もう無理だ…限界だ…


じっくり考え、勇気を出して、上司に「辞めること」を伝えた。今まで我慢していた気持ちが溢れ、話すことも怖くて、涙が止まらなかった。

しかし「その考えは甘すぎる。もうちょっと考えてみて」と、上司に言われた。

私のことを考えてくれた、愛のある言葉だったのかもしれないが、その時の私には、大きな斧で切り裂かれるような、辛い言葉だった。


そこから、私は会社に行けなくなった。
自然と涙が流れてくる日々が続いた。

1か月が経った頃、あの上司から電話がかかってきた。話し合った結果、私は復帰をした。

「怖い…怖い…怖い、行きたくない」の気持ちしかなかったが、前に進むために、私は行動した。


復帰から1年が経つ頃に、高卒の新入社員さんが入ってきた。

この時、私の辛い経験を活かすことが出来たような気がする。


しんどそうな子がいたら、「◯◯ちゃん、大丈夫?何かあったら言ってね」と声をかけたり、雑談をし、気分転換できる瞬間を作るように心がけた。

また、そういう子には「頑張れ」とは言わないことを決めていた。

辛い思いをしながら必死に頑張っている人にとって、「頑張れ」は「辛さが増す言葉」になることを、私は痛切に感じていたからだ。


後輩を育てる時期が来た時は、仕事を教えたら、遠くから見守る。

ミスをしたら、怒ったり責めたりしない。

同じことを繰り返さないように、「次に繋がる言葉」をシンプルに伝えて、あっさり終わらせる。


しかし、まだまだ未熟な私に、後輩を育てながら、自分の仕事をこなすことは、辛さと辞めたい気持ちが大きくなるだけだった。


復帰から3年半後…私はその職場を辞めた。


辞めてから、ちょっとずつ…ちょっとずつ、本来の私を取り戻していきながら、初めての販売業に挑戦した。

接客をさせていただくのは、とても楽しかった。

しかし、店長のピリピリオーラと長時間の愚痴、社長の最低な本性が見えてきて…「この店は、早いうちに潰れるな」と思い、数か月で辞めることを決めた。


辞める直前に、社長と話す機会があった。

その時、私の病気に対して「治すためにもっと勉強しないとダメだぞ」と、突然偉そうに責めてきた。


「10年以上(当時)、この病気と真剣に向き合っている私に何を言っているんだ、チミ(君)は」と頭にきたが…

「あぁ、この人は私の病気について詳しくない人だな。人を見下し、弱い者いじめがご趣味の、くそ人間だな」と思い、どこまで本性を出してくるのか、冷静に最後まで話を聞くことにした。

そいつは、私のことをボロクソに言い、私の考えを全否定。「こいつは、最上級のくそ人間だな」と、私は思った。



今の私なら…

いや~さすがですね!
人の病気に対してそんなふうに言えるなんて!
自分が病気になった時、そんな言われ方をしたら、どう思うのか考えれないんですね!
あ、そもそもそういう頭を持っていないのか!(にっこり)

前に辞めた子に対しても、病気のことを責めて泣かせたらしいじゃないですか!
あなたって、辞める人を気持ちよく送り出そうという気持ちは、ないんですね~

従業員を、使い捨ての物のように扱っていると、あなたもそのうち捨てられますよ。

他にも、言いたいことがあるんですけど~
女は妊娠したら使えない。ってどういう意味ですか?私のように頭が終わってる人間でも分かるように、じっくり説明してくれます?♡♡♡

あと、お客様からいただいた年会費、あなたがピー(自粛)してること知ってますよ。
海外出張と言って、他の店舗の年下女性と不倫旅行してるの知ってますよ。

良い歳して(70代)、なかなかのカスですね~!
よっ!カス社長!(にっこり)

 と、言ってしまいそうだ。笑
暴言失礼いたしました🙇



私が辞めてから1年後…この店は潰れた。笑



そのあとは、また違う業種に挑戦した。

そこでは、挨拶や仕事態度が悪く、クセつよな人間性の、40~60代の先輩方が数名いた。

その方々に対して「まじ無理。だいっ嫌い」と思っていたが、今までの職場よりは多少マシかなと思い、結婚するまで続けた。


今までの仕事について、とても長くなってしまったが…


私は辛い時期に「本当は、どうしたいのか」を、自分に何度も問い続けてきた。

どんなに辛くても、本当の気持ちを見失わないように。

それを繰り返し「こうしたい、こうなりたい」に近づくため、行動し続けたから「なりたい自分」に、だいぶ近づくことができたと思う。


もし、今辛い思いをしている方がいたら「本当は、どうしたいのか」と、自分に聞いてみてほしい。

その気持ちに対して「こんなふうに思っちゃダメだ」と自分を責めたり、悪だと思ってほしくない。

「家族や友人が◯◯だから」「私は◯◯だから」と、理由もつけないでほしい。

こういうことをするのは「本当の気持ちが分からない」という人に、多く見られる行動。


シンプルに「逃げたい、辞めたい、行きたくない…」それで、良い。

真っ直ぐな気持ちが、1番素敵だと思う。

どんなこともクソ真面目に頑張るより、クソ真面目に自分の心の声を聞いて、がっつり休んだ方が、今後のためにもなる。

私は、ものすごく辛い時、仮病で休んだことだって何度もある笑!人を傷つける嘘は良くないが、自分や誰かのためを想った「温かい嘘」は、良いと思う。


前の記事と同じ写真になってしまうが、「なりたい自分」に近づくことができた、今の私の姿はこれだ。




左は冨永愛さん。

この写真の意味は、前の記事を読んでいただけると
ご理解いただけると思います🙇




今は、人の目を気にしすぎない、我慢しすぎない、気を遣いすぎない、ネガティブに捉えない、誰かを羨ましいとは思わない、死にたいとは思わない…

心から笑い、心から楽しみ、心から幸せを感じ、
のびのび真っ直ぐ生きているのが、今の私。

あの頃の「こうなりたい」が、10年以上かかって、ようやく形になった。


なりたい自分に近づくことができたが、ここがゴールではない。

私はこれからも、前に進んでいく。

自分のため。家族のため。
辛い思いをしている人のために。



とても長くなりましたが、最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!

それでは、またね~🌟



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