見出し画像

バガヴァッド・ギーター第3章41節

ゆえにバラタの最も優れた子孫、アルジュナよ
まず最初に自らの感覚を抑制して
この罪(欲)という大敵を拘束し
知識と自己の悟りを破壊する者を抹殺せよ。
バガヴァッド・ギーター第3章41節

サッチャ先生のバガヴァッド・ギータークラスです!

肉体の欲望…あれが食べたい、飲みたい、眠りたいなど。
マインド(エゴ)の欲望…有名になりたい、幸せな結婚がしたいなどなど。
なぜ、マインドの欲望が生まれるのか?
「わたしは神から離れて存在している」という思い込みからくる。
そうすると、「自分は不完全、足りない」という思いが生まれて、
自分を満たしてくれるなにかを外へ求めてゆく。
「これが手に入らなきゃ!これを叶えなきゃ!」と
焼けつくような強い思いを感じる。

英語の訳だと、「抹殺」ではなくてもっとやわらかい「こちらのほうへ導いてあげる」みたいな訳になっているそうで、

欲望を殺すとかなくすとかそういう感じではなくて、ちがう道へ導いてあげる。

マインドや感覚をコントロールすること、は
考えを止めるではなくて
マインドや感覚がどこに向いているか?見守っていること。
観察していること。
考えを止めようとしているわけではなくて、
その考えを信じなくていいよ、と
過去や未来へ思いをはせて今の自分は足りないという「幻想」を
幻想だと自覚している状態。
そうするとそこから(エゴから)湧いてくる欲望や感情に、そこまで囚われなくなる。

自分に仕えると不幸に、他者に仕えると幸せになる

自分が不完全だと思っていると、自分に仕えることしか考えられなくなる。

目覚めると、自分はもう充分に満たされているから、他の生命体に仕えたいと思う。
自分がすでに満たされてハッピーなんだから、他の生命体にもハッピーになってほしいと、自然と思う

自分に仕えることばかりしていると不幸に
他者に仕えることをすると幸せに

自分の心がマインド(エゴ)のほうを向いていくと不満足感が出てくる。
そうすると、あれしたいこれほしい、こうなったら私は幸せになるんじゃないか…と
「情欲」とは自分の意識が自分の外へ向いて生まれる。

質問
「自分に仕えると不幸になる、というのはどれくらいの範囲のことでしょうか?」

他の人を幸せにして自分をほっぽっておくということじゃない。
他者との境界線や、個人の境界線は大事。
「ほかの人を守る前に、まず自分を守らなければいけない。」
それができてはじめて他者に仕えることができる。
プラブパーダがよく仰っていたのが、
「一番大切なのは自分の健康」
その次にサダナ(修練)
その次に、余力があれば他者に仕える。

自分のめんどうを自分で見てあげなくてはサダナはできない。
サダナができなければ他者に仕えることはできない。

自分の持っているものしか与えられない。
だから、サダナをして自分を整えること、がまず必須。
そしてサダナをするためには「健康」が必須!

感想
自分の幸せのことばかり考えているとき、「自分は不満足だ」と感じているから、幸せじゃなかった。
そして頑張って外から欲しいものを手にしても、
なにか虚しさが残った。

最近父が入院して、家のことや会社のことなどを少しお手伝いする機会があった。
父とは特別仲がいいわけでもなくて、年に数回会うくらい。
小さい頃の悲しい思い出とか、大したことはないけど自分の中にわだかまりが残っていた。
「もっとこうしてほしかった」
「なんであのときあんな風に」
=愛してほしかった、愛されたかった

父の病気が分かり、自営業だったのであれこれ残された手続きや片づけに走り回っている間に
そのわだかまりはとけてなくなった。
「父に愛されたい」
から
「父に何かしてあげたい」=愛したい
に変わったら、
過去の傷も自分が不幸だと思っていた小さな自分も
いなくなった。
そして片づけたり自分にできることをやっている時間、なんだか満たされていた。

自分に仕えると不幸に
他者に仕えると幸せに

クラスでのこの言葉をきいて
自分の体験を通しても実感したことを思い出した。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?