サクラガマンカイダ
うわー満開だね。
1年に1度"満開"という言葉を使う季節が
やってきた。
満開はいつだろう。
あーまだ満開じゃないね。
満開は来週くらいかな。
桜の開花予測がはじまるくらいから
満開になるまでのほんの数週間で
人は普段使わぬ"満開"という言葉を
馬鹿のなんとか覚えのように
毎年毎年連呼する。
いやたまには散り際でえーやん?
何年かに1回は咲き始めでえーやん?
毎度毎度満開目指さんでえーやん?
満開じゃなくても、きれーやん?
皆が皆満開を求めるせいで
満開こそ美しい!!という変な正義が
堂々と中央突破できる季節。
それが"春"である。
あーまだ8分咲きやなぁ↓
あーまだ蕾があるなぁ↓
あーまだ半分くらいしか咲いてないなぁ↓
昨日雨やったから少し散ってもたなぁ↓
ちょっともー散り始めてるなぁ↓
あーもう満開じゃないなぁ↓
うわー桜満開やなー↑↑
いやこのテンションの違い何。
えーやん?
たまには満開じゃなくてもえーやん?
いろんな表情楽しんだらえーやん?
満開のときと満開じゃないときの
テンションに差がありすぎやん?
人は無意識に1つの正義を求めてしまう。
1つの正解。1つの答え。1つの美しさ。
そしてそんな本当はないかもしれない答えを
みんなで共有し快に浸る。
満開が1番美しいという1つの解を
春になる度、国民総出で確認し
共有という名の宴を行う。
それが日本のお花見という伝統行事。
そんな宴を繰り返していくうちに
満開の桜が美しいという虚像は
いつしか実像となった。
そんな元虚像に世に溢れているはずだけど
口太郎は今の所それを"満開の桜"にしか
見出せていない若輩者のようだ。
さあ、あなたにとっての元虚像は
どこにお潜みだろうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?