想定する時間の幅が器の大きさなのかもしれない
万物は流転するっていうけれど、そのとおり、固い岩だって、ちょっと時間軸を変えて見たら、本当はぐにゃぐにゃなんだ。想像力の時間幅が狭い人間には、静止して見えるだけのこと。『赤目姫の潮解』
どんなにはっきりとそこにあるように見えるものであっても、何千年というスパンで見ると、どろどろでぐにゃぐにゃです。
もし僕たちが5000年ほど未来にタイムスリップしたら、地形だってだいぶ違ってくるし、星座の位置も変わってくるでしょう。人類が文明を保っているかも怪しいものです。
日常においてみなさんどれくらいの時間スパンで物事を処理しているでしょうか?
あなたの最近、僕の昔
人によって、見ている時間幅は異なります。
年配の方が言う「最近」はここ十数年のことであり、中学生の言う「昔」は5年前くらいだったりします。
「もうすぐ着く」があと一時間ほどのことなのか数分後のことなのかは相手が来るまではわかりません。
「君の未来に期待している」と言って投資してくれる人がどれくらいの時間幅で考えているかはけっこう重大です。ある日いきなり「君は期待外れだった」と言われてしまうかも。
恋人とは1ヶ月に1回くらいLINEのやりとりができればいいかなと思っている人が毎日やりとりしたい人と付き合うと大変だろうと察せられます。
専門分野によっても思考の時間幅は違いますよね。
考古学者や天文学者は広い方でしょうし、経営学の専門家や心理学は比較的狭そうです。
時間幅と期待
人に何かを与える時、どれくらいの時間幅で考えられるか(つまり、どれくらい待てるか)はその人の器が出ますよね。
息子の成績が悪い時や反抗期が来た時、
「私のお金と愛情をどうしてくれるんだ!」
と言う親がいたら、僕は思考の時間幅が狭い人だなと感じると思います。
一般に、教育はかなりの長期スパンでメリットを期待するものでしょう。
福山雅治の『生きてる生きてく』という歌がありまして、その中に
こんな僕の人生のいいことやダメなことが
100年先で頑張ってる遺伝子に
役に立てますように
いまを生きてる
そうだ僕は僕だけで出来てるわけじゃない
100年1000年前の遺伝子に
誉めてもらえるように いまを生きてる
この生命で いまを生きてる
今日も生きてく
って部分があります。すごく時間幅が広い。
福山雅治、器のでっかい男だなあ、と思いました。
誰かの「今」が時間も空間も遠く離れた僕を生かしている。それを想うと、自分がすでにたくさんのことを与えられていると感じられる。
自分の「今」が空間的にも時間的にも遠くの誰かにちょっとだけ影響している。それを想像するだけで力がみなぎってくる。
こういう感覚ってゆたかで愉快だよね、とそんな風に感じられる歌い方をしています。ぜひ聞いてみたください。
時間幅と想像力
思考の時間幅は想像力に寄るところが大いにあると思います。
人は、放っておけば目の前の衝動に足元を掬われる生き物です。
信仰など強制的に時間幅を広げて考えさせる仕組み(来世とか前世とか、最後の審判の下る日とか)がなければ、ほとんどの人は自分の人生の幅でしか物事を考えなくなるのではないでしょうか。
別に信仰がなくても、想像力を駆使して(地質学者や福山雅治のように)長い時間幅で考えることは可能です。
とはいえ、自分の意思だけで広く考えるというのは苦手とする人が多い印象。
時間幅とどんでん返し
ここまで、思考の時間幅が長いことが優れているかのように話してきましたが、ひっくり返します。
カーネギーの言うように「今日一日の区切りで生きる」ことは重要です。
先ほど述べたように、
人は放っておけば目の前の衝動に足元を掬われる生き物です。
つまり、長期的な理想より短期的な欲望の誘惑に負けやすい。
であるなら、長期的に考えてしたほうがいい行動を見つけたら、そのあとは今日一日の区切りで考えるのも手です。
「今日だけは」と思えば多少の負荷にも耐えられるでしょう。
「今日だけは」自分を愛そうとか、
「今日だけは」人に優しい言葉だけをかけるようにしようとか、そういう振る舞いが結局長期的な理想を実現するんだと思います。
ついでに、「今日だけは」の精神でほんの少し想像力を使う機会を日々仕掛けていけばいいんじゃないかと思います。
「今日だけは」出会う人出会う人の過去と未来を、先祖や子孫の代まで含めて想像してみるとか、読んだ文章の作者がどの部分を書くのに手こずっただろうか想像するとか。
その積み重ねが優しさや寛容さや謙虚さにつながっていく、はず。
別に想像を膨らませる対象はなんでもいいのではないでしょうか。想像力を養って長期的に考えられるようにするのが目的なんですから。
あえて言うなら、自分がどんな悲惨な死に方をするか想像するよりは、自分が誰によって生かされているかに想像を広げるほうが健康的な気はします。
最後に
時間幅を意識するだけで立ち所に薄まっていく悩みというのはたくさんあります。
たとえば、物をなくして悩むのは、物を手に入れてから今という時間幅で考えているからです。
もっと広い時間幅で考えるなら、それはもともとなかった物であり、いつかまた巡り巡って戻ってくるかもしれない物なのです(これを屁理屈という)。
あるいは、自分には何の取り柄もないという大学生の悩みも、生まれた時から見ればできることが山のように増えているし、大して苦もなく続けられることがあるならこれから何十年もかけて少しずつ上手くなっていけばいいと考えられればだいぶ見え方が変わってくるでしょう。
時間幅を自在に変えて捉えるだけで、もう少し冷静に考える準備ができます。落ち着いて考えると対処しなくていい問題だったことに気づいたりもします。
この記事によって、みなさんの悩みが何パーセントか軽くなることを祈っています。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
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