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ひきこもりと罪 時代の変化への反省

新しい贈与論 - NEW GIFT THEORY - 

「新しい贈与論」(一般社団法人新しい贈与論)については、代表理事の桂大介さんのTwitter(X)でよく拝見していました。サイトに説明と特徴が書いてありますが、結いや講、もやいのようなイメージはありながらも、相互関係の助け合いを外に開いていく形が、その新しさであり、コミュニティの醸成軸になっているところに興味がありました。

職員から、「新しい贈与論さまよりご寄付がありました」という話を受けて、「え?」と思いました。たくさんの方々による議論・熟議の先に、育て上げネットは選ばれづらい認識があったからです。

ただ、とても気になったのは「テーマ」でした。新しい贈与論では、毎回さまざまなテーマを掲げられているのですが、僕らを選んでいただいた「テーマ」は何だったのだろう。「働く」?「若者」?「家族」?と想像したものの、何となくわからず、リリースが出ることを待ちました。

テーマは罪

まっさきにニュースリリースから今回のテーマを探したところ冒頭にありました。そこには「罪」とあります。

育て上げネットでは、少年院に収容されている、または、出院後につながった少年の更生自立を支えています。きっとその活動を知って、推薦してくださった会員さんがいらしたのだろうと。

目の前の少年のためにできることをやっていくというのはありますが、それと同じくらい少年院を一緒にめぐるスタディツアーや、少年院にいた経験のあるひとたちのインタビュー、研修・ウェビナーを通じた学びの機会を社内外に作っています。

矯正教育領域はかかわるきっかけがなかなかありませんので、そういうところをご評価、ご推薦いただけたのかな、と。それであれば「罪」というテーマに合致する部分が理解できますので。

しかし、全然違いました。

ひきこもりと罪

ニュースリリースを読み進めていくと、そこにある言葉の数々が「ひきこもり」について触れられていました。

推薦者の方がくださった文章の冒頭がこちらです。

今回の探求テーマ「罪」。その内側で出会ったのが「罪悪感」というキーワードとこの体験記*1でした。

「ひきこもるようになったのは大学を辞めたころでした。一番辛かったのは罪悪感をずっと抱えていたこと。「何もしていない自分」への不安や申し訳なさを感じるたび、家族と顔を合わせるのも嫌になりました。朝は出勤する人や学校に行く人たちの存在が罪悪感を強くするんです。どんどん、朝が来るのが怖くなって夜更かしが続くうち、昼夜逆転の生活を送るようになりました。しばらくはそんな状態でとにかく自分を責めて、責めて、どうにかしなければと思うのですが、どうしたらいいかわからない。」

新しい贈与論 ニュースリリース

ひきこもり領域の活動は、概ね40年から50年くらいの歴史があると考えています。詳細は省きますが、緘黙児童や登校拒否、不登校というキーワードを経て、学校教育段階を終えても社会とつながることができず、自宅や自室から出られなくなってしまったひとたちです。

言葉そのものは1990年代前後ですが、支援領域の始まりは1970年代くらいではないかと考えています。

推薦者が、罪の内側にある「罪悪感」を導き、ひきこもり経験のある若者の体験記を読んでくださいました。

例えば、朝になってもなかなか起きられず、隣室から聞こえる家族の生活音に胸が痛むとき。最初は小さかった「罪」の意識が負のループに取り込まれることで自己増幅され、いつのまにか自分の手には負えない存在になってしまうのではないのでしょうか。このひきこもり問題は、遠い他人事ではなく、自分たちに襲い掛かってもおかしくないと、この体験談を読む中で勝手ながらに考えてしまうのでした。

新しい贈与論 ニュースリリース

僕が出会った範囲において、「ひきこもり」状態だった若者たちは少なからず、親はきょうだいへの罪悪感を持っています。それを言葉にして伝えているかどうかは別で、ほとんどの場合、伝えていないと思います(後になって伝えることはあるかもしれません)。

それでも第三者である僕らと話すとき、それはイベントのときであったり、旅行に行った時の夜の時間だったりしますが、家族に申し訳ないと思い続けていたことや、どうしていいかわからず親にきつい言葉を投げかけてしまった、という話を聞きます。

もちろん、それは一定程度家族に理解があったからかもしれませんし、信頼関係の土台ができていたからかもしれません。全員がそうであるわけではありません。ただ、罪悪感を抱きながら、身動きができない自分を責め、家族に申し訳ないと思っている(た)若者もいます。

そういった罪悪感の部分に目をあてていただいたというところで、今回のご寄付について感謝だけでなく、理解が深まりました。

時代の変化への反省

推薦文に対する投票くださった方々のコメント、多様な視点で選んでくださった理由を読みました。本来なら嬉しさや、ありがたさが湧いてくるはずなのに、反省が率先して出てきます。

理由は明確でした。「ひきこもり」状態の若者を支援していくにあたって、当事者やご家族、関係者をのぞいて、共感していただくことや、ましてや寄付で支えていただけることを、半ばあきらめるところからものごと考えていたからです。

いまはだいぶ変わってきたところはありますが、40年以上前から、僕がNPOを立ち上げてから20年前からでも、ひきこもりは「自己責任」や「自己選択」であり、それを許容している家族の問題という認識が根強いです。

また、年齢も青年期ともなれば、幼少期とは異なり、自分の意志と選択、自分の力で何とかできるでしょ、と言われがちでした。そのため広く寄付を募ることに、たくさんの力を注げないことが当たり前になっていました。

むしろ、ひきこもり状態から抜け出し、すぐに、または、いつかは働きたいという希望を持って育て上げネットに来る若者と一緒に過ごすなかで、幸せに働けるようになった先々に、いつか応援してくれたらいいな、くらいでした。実際に、そういう方もいらっしゃいます。

寄付を募るのが現金や郵便振替、銀行引き落としから、ネットで簡単になったとか。SNSのおかげで情報が広がりやすくなったとか。海外にも届けられるとか。NPOや寄付を取りまく社会環境の変化はありますが、それよりも、僕自身が時代の変化、今回のニュースリリースでコメントくださっている方々がいらっしゃったことや、現にいらっしゃることへの変化を認識できていなかったことは、大きな反省として心に残りました。

新しい贈与論のみなさまには感謝いたします。また、いただいたご寄付は大切に使わせていただきます。

今回は3団体の推薦があったということです。矢田明子さんのCommunity Nurse Companyさんは、とても素晴らしいご活動をされています。

また、法テラス(日本司法支援センター)は、僕らも若者や子どもたちに何かあったときに頼れる公共性のある支援機関として、よくご紹介させていただいております。

どちらも寄付などを受け付けられているのかはわかりませんが、「ひと」を大切にしていく想いを持った企業・施設だと思っておりますので、多くの方々に知っていただければと思います。

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