大阪都心の社寺めぐり-地域のお宝さがし-16御津八幡宮

祭 神:祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
所在地:〒542-0086 大阪市中央区西心斎橋2-10-7

■繁華街の原点から賑わいのパワーをもらおう!■

■由緒
当社は、仁徳天皇の頃、味原郷(天王寺区)八幡山にあった社殿が後世に移された(『摂津名所図会』、以下『図会』)、大仏殿建立に際し(天平時代末期)、宇佐八幡宮の神霊を都へ遷座する途中、上陸した三津の浜に建立された社殿が起源とする(『続南区史』)など、諸説ありますが、文禄年間(1592~96)の兵火により社殿・記録ともに焼失したため、創建の詳細は明らかではありません(『大阪府全志』)。

■社名は 三津八幡宮か御津八幡宮か
『図会』では、本文に「三津八幡宮」、図1には「御津八幡宮」と記されていますので、同書が刊行された寛政10年(1798)頃には「三津」や「御津」と表記されていたのでしょう。一方、明治中期の『浪華百事談』(以下『百事談』、注1)には、社名が「近年御津に改ら」れたとありますが、具体的な年月の記載がありません。同書の記載内容は、幕末から明治初期の事柄と思われますので、当社が明治5年(1872)に郷社に列せられたことを考慮すると、「近年」とは明治5年頃ではないかと推測されます。

図1

また同書には、当社がもと勅願所であった標石が境内にあると、格式の高さも伝えられています。勅願所とは、天皇や上皇の勅命により国家鎮護などを祈願する神社です。図1の、拝殿の右(西)側に「相生松勅願所」の記載と松と標石が確認されます。
注1)『浪華百事談』については、「15難波神社」参照。

■寛政の大火で焼失
となると、図1が描かれた時期が気になります。というのも、寛政3年10月10日の大火で、南堀江・北堀江・嶋之内は「不残焼失」し、社寺では八幡宮・三津寺も掲げられています(『大阪編年史13巻』)。とすると図1は、①火災以前の様相、②罹災後に再建された社殿の寛政10年頃の様相のどちらかと考えられますが、ご神木の「相生松」が、「寛政の末朽たり」(『摂陽奇観』)とあることから、大火後にご神木が枯れたことが分かります。
これらから、図1は大火以前の様相で、罹災後に大火以前と同様の社殿が再建され、それが戦前まで継続したのではないかと推測されます。

■現在の景観
当社は、昭和20年(1945)の大阪大空襲で本殿・拝殿などが焼失し、現在の社殿は昭和35年に再建されたものです。
図1と現社殿を比較すると、前者の鳥居は明神鳥居、現在は神明鳥居(図2)、鳥居を潜ると、正面の基壇上に、入母屋(いりもや)屋根の平(ひら)側に唐破風(からはふ)と千鳥破風(ちどりはふ)が設けられた拝殿、その後ろに流造り(ながれづくり)の本殿があります。

図2

現在の拝殿は、基壇上は入母屋屋根の平側に唐破風(図3)、その後ろに流造りの本殿が配されています(図4)。本殿の妻(つま)側をみると、中央部の長押・蟇股(かえるまた)・袖切り(そでぎり)が施された虹梁(こうりょう)・豕扠首(いのこさす)・懸魚(げぎょ)など、木造の形態がよく遵守されています(図5)。

図3

図4

図5

境内は狭くなっていますが、社殿の配置などは図1と共通しています。

■閑話休題■

●通りと筋
当社の所在地は、『図会』には島之内「木綿橋筋」、幕末には「嶋之内木綿橋筋佐のや橋通りの南」と記されています(『浪華の賑ひ』、以下『賑ひ』)。図6で、近代の佐野屋橋・木綿橋の位置が確認できます(『大阪市パノラマ地図』大正13年=1924)。また、木綿橋の東側には「八幡筋」の記載がみえますが、木綿橋筋は東西方向、佐野屋橋通りは南北方向です。船場では主たる道路である「通り」は東西方向、「筋」が南北方向となっていましたが、島之内では逆になっていることに注意が必要です。

図6

さらに『賑ひ』には、「当社の前の通りを八幡條と号し東西五丁許の間調度屋軒を烈ね新製古器を取交店の上下にかざりて商へり」とあり、木綿橋筋が八幡筋と称され、東西約550mにわたり、新品・古品を扱う道具屋が並んでいたことが分かります。さしずめ、現在の「道具屋筋」でしょうか。

●派手な夏祭り
当社の夏祭り(6月15日)は派手で、『図会』は、「名にしおふ嶋之内の女伶風流に粧ふて練りあるく両側の青楼よりハ妓婦の輩共に花を飾て互に艶をくらべ見に来る人もミなうかれて酒を勧め練り物すがたにて揚げづめの一夜妻とするも難波津の繁花なるべし」と、美しく装った芸者などが練り歩き、両側の遊郭の遊女は花を飾って美しさを競い、見物人は酒宴を楽しみ、芸者や遊女を連日揚げ続けることは難波津の賑わいとしています。また諸社の夏祭りについて、「女伶妓婦の輩いろいろに姿を優して・・(中略)・・錦繍を絡ひあるひハ女も男に変り若も老の風俗」などと、芸妓などが派手な服装をしたり、男装や若者や老人に変装するなどのコスプレを楽しんでいる様子が記されています(図7)。

図7

●繁華街のDNA
よく、御津八幡はアメリカ村(以下アメ村)の中にあるとか、なぜアメ村に神社が・・・・?などと聞きますが、江戸時代の島之内には遊里が形成され、商人町の船場に対し、「粋どころ」、「ミナミ」「江南」などと呼ばれる繁華街でした。昭和20年の空襲により周辺が業務地区に変貌しましたが、昭和35年に当社が復興され、その後にアメ村が発生・発展したことを考えると、この地には繁華街のDNAが残されており、それがアメ村を誕生させたといえるのではないでしょうか。その核の御津八幡宮は、「ミナミ」の原点だったのです。

【用語解説】
入母屋屋根:寄棟屋根と切妻屋根を合わせた屋根。
平:棟と平行な側。
唐破風:向拝などに設けられる、中央部が起(むく)り、両端部が反っている破風。
千鳥破風:屋根面に設けられた切妻の破風。
流造り:神社本殿の形式。切妻屋根、平入りの前面に庇を延ばしたもの。
蟇股:虹梁などの上に配される、かえるが股を広げたような形式の部材。
袖切り:虹梁左右端の薄く欠き取られた部分。
虹梁:社寺建築などに用いられる、中央部に起りをつけた梁。
豕扠首:棟木を支える合掌形の斜材。
懸魚:破風板がぶつかる拝(おが)みの下部や、その左右に設けられる装飾が施された板。

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植松清志

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