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【インタビュー】“みりんのまち”で人々に愛されるこだわりの空間が生まれるまで(古舎カフェ灯環)

若い世代を中心に人口が急増している千葉県流山市。この地域は、江戸時代に水運業とみりんの醸造で発展したという歴史的な一面を持つ。

特に流山本町は、明治時代からの時代を感じさせる建築物がいくつか現存している。そして、このエリアにある「古舎カフェ灯環」は趣がある建物と流山名産のみりんを使ったスイーツで有名だ。

流山市の「古民家再生プロジェクト」の助成を受けオープンしたこの店は、開業から10年が経った現在も地元住民などの客足が絶えることがない。

(昔ながらの良さを感じさせる店構え)

このカフェではみりんスイーツ以外にも、糀を使った身体に優しいランチプレートを提供している。また、店内に展示されているのは笠間焼・益子焼といった陶器に加え、様々な作家による雑貨などの手仕事作品だ。

去年の秋に流山に引っ越してきたばかりの私(久我山タカヒロ)も、偶然店の前を通りかかったのをきっかけにこの店に魅力を感じた客の一人である。

そして、店主の秋元由美子さんは笑顔が温かく、親しみやすい印象を感じさせる。彼女は、この店を開業するまで飲食業に身を置いたことがなく、独自に料理やギャラリー展示のこだわりを磨き上げてきた。

そんな秋元さんはこの店の空間づくりについてどのような想いを持っているのだろうか。話を聞いた。


こだわりが凝縮された居心地よい空間

江戸時代に栄えた流山本町は、戊辰戦争で敗走した新選組の近藤勇が自首直前に陣営を設けたり、俳人・小林一茶が頻繁に訪れたりと歴史的名所を持つ。「古舎カフェ灯環」は、現在住宅地と化したこのエリアの一角にある。

以前は米穀店の倉庫として使われていたという建物の引き戸を開けて中に入ると、天井が高く、開放感のある空間が客を迎え入れてくれる。また、店内の太い梁や板張りの壁、天然木のテーブルが空間の温かさを醸し出している。

(米穀店の倉庫だった物件の造りを生かした店内)

店内で目を引くのは手仕事作品などが並ぶギャラリースペースだ。展示されている商品は、オーガニックのハーブティーに始まり、羊毛フェルトのコースターや優しい風合いのリネン服までバラエティーに富んでいる。
(※展示品は一定期間ごとに入れ替わります。)

(手仕事作品が並ぶギャラリースペース)

ランチプレートやスイーツはすべて秋元さんの手作り。流山市の観光部署の企画で開発したという「ほっこり♥みりんdeスィートポテト」は、煮切ったみりんの上品な甘さと優しい味わいが人気の看板メニューだ。

(みりんシロップを使った「ほっこり♥みりんdeスィートポテト」)

また、料理には秋元さんが長年愛好する笠間焼や益子焼の器が使われている。日常生活になじむデザインの器は、秋元さんが自ら現地に足を運んで集めたもの。この店の温かさに彩りを添えている。

このカフェは「手仕事のぬくもりと天然素材の心地良さ」をコンセプトとする秋元さんのこだわりが凝縮された空間であり、独特の居心地のよさを感じさせる。

秋元さんのどのような想いが「手仕事と天然素材」へのこだわりを生んだのか、そして、そのこだわりをどのように形にしてきたのか。自身を「感性の人」と表現する秋元さんのもとを繰り返し訪れ、彼女が思い描く世界を一緒になって言葉にしようと話を聞いた。

“テレビや雑誌の世界”も「できっこない」で終わらせたくなかった

秋元さんが灯環を開業したのは2012年。

それまで生活のそばにはいつもカフェがあったと話す彼女は、子どもの頃から喫茶店好きの母親に様々な店によく連れて行ってもらったという。この時の体験がのちの彼女の中にも息づき、学生時代には茨城や埼玉、栃木にまでドライブを兼ねてカフェめぐりを楽しむようになった。

そんな経験を重ねる中でいつしか彼女は、カフェという空間にあこがれを持ち、2歳のころから育った流山の地で自分のカフェを開きたいという夢を抱くようになった。

足を運んだ数多くの店の中でも彼女が特に影響を受けたのが、陶器で有名な栃木県益子町にある、とあるカフェだ。クリエイティブな雰囲気に満ちあふれた店内の空間。そこに並ぶ作品たちからはいまにも作家の息遣いが伝わってきそうだった。

(豊かな自然と焼き物で有名な益子町 ※写真はフリー素材を使用)

その店は1998年にオープンして以来、町をスタイリッシュな場所へと一変させる大きな要因になったとも言われている。秋元さんは店が揃える雑貨の数々に触れ、手仕事の魅力を感じた。

「最初にこのお店に行ったときに衝撃を受けました。店には益子焼をはじめとして衣食住すべてに関わる雑貨が並んでいたのですが、どれも洗練されている感じがしましたし、建物は味わいがある“シャビーな感じ”だけれども、丁寧に作り込まれていた上品さもあって。とにかく、私にとって“これだ!“という空間でした」

秋元さんは当時、すでに結婚・出産を経験し、子どもが小さかったこともあり、カフェを持つという夢はからほど遠いステージにいた。しかし、この間、彼女は料理の雑誌やテレビ番組からインスピレーションを得て、ホームパーティーなどで手作りの料理を友人にふるまうことで、自分の夢を思い描いていた。

この時秋元さんが作った料理は、ハンバーグや鶏のから揚げといった身近な品からキッシュやケーキに至るものまで様々。回を重ねるごとに、家庭で出るような一般的なメニューでも器や盛りつけにこだわり、見た目にも楽しんでもらおうと意識するようになった。

友人たちはお手製の料理を喜んでくれながらも、手が込みすぎていているのではないかと思っていたかもしれない。しかし、彼女にはある想いがあった。

「友人の中には、『こんなに自分で作るくらいなら外に食べに行くよ』と言って料理を褒めてくれた人間もいたので、少しやりすぎだと感じられていたかもしれません。ただ私としては、例えば料理のレシピのように、テレビや雑誌といった一見『現実離れしている世界』で紹介されるものであっても、『できっこない』で終わらせたくなくて。そういった世界のものを自分の手で形にしたい、といつも思っていました」

友人を料理でもてなす場面を自ら積極的に設けることで、秋元さんは料理に対する感性を高めていった。さらに、2003年以降は子育てやご主人が始めたコンビニ経営のサポートに回らなければならなくなったものの、合間を見つけ、コーヒーの講座に通い始める。

そんな中、2010年に秋元さんの夢が大きく前進する転機が訪れた。それは、市が流山本町地区などで取り組んだ古民家再生事業という観光プロジェクトの第一号として、当時築120年の建物を利用した「寺田園茶舗万華鏡ギャラリー・見世蔵」が開業したことだった。
(※現在は建物をそのまま残し、2階部分を「流山万華鏡ギャラリー&ミュージアム」、1階部分をカフェとしてリニューアル。)

秋元さんはこのギャラリーのイベントに度々出店し、提供したコーヒーが好評を得た。さらに、当時ご主人のコンビニのフランチャイズ契約が満了に近づいていたことも重なり、同年の年末には、市に「ツーリズム推進事業制度」を利用した古民家カフェの開業を相談。

この「ツーリズム推進事業制度」は、空きがある古民家を利用して店を開業する業者に対し、流山市が店舗の賃料や改装費の一部を負担するという施策だ。

翌2011年には東日本大震災が発生。秋元さんは開業の話が立ち消えになるものと思った。しかし、彼女の予想に反し市は開業に前向きで、同年の5月にはある物件を紹介してもらうに至った。

夢の実現を目前にしボロボロの蔵も“宝石”に

市に紹介された物件は、明治31年(1898年)築の老舗寝具店が所有する土蔵造りの蔵だった。その蔵は、以前隣接する建物で火災が発生した際にもらい火に遭った影響から、窓が朽ち、土壁が剥がれるなどまるで“廃墟”のような状態と化していた。

(左の写真が改装後、右が改装前)

建物を改装し、一からカフェを開業するには好ましいと言い難い物件だった。それでも、改装費をすべて秋元さんの負担とする分、家主が賃料を安く融通してくれるという厚意を見せてくれたこともあり、彼女はこの場所を選んだ。

「ボロボロだった蔵を改装するとなると、家一軒建つほどの資金が必要だということが分かりました。改修には市からの援助が適用されるとはいえ上限がありますし、銀行から受ける融資の額も小さくないです。いざ物件の契約を前にすると、さすがに怖くなったこともありました。それでも、長年思い描いていたカフェとギャラリーを開くのにぴったりだったこの物件は、私には宝石に見えました」

秋元さんは1年3ヶ月かけて計画を具体化し、2012年8月には改装を開始。その3ヶ月後の同年11月に「蔵のカフェ+ギャラリー灯環」をオープンした。

メニューはすべて秋元さんの手作りで、食材、特に野菜は主に地元のものを使用。季節や彩りにこだわった。また器は、過去に目にして以来魅力を感じて度々訪れていた益子や笠間の作家のもの、コーヒーカップは長年自身でコレクションしてきたものを使った。

(開業当時の「蔵のカフェ+ギャラリー灯環」)

開業当初は集客に苦労したものの、その数年後にはオリジナルのみりんスイーツを中心に店がメディアで取り上げられたり、また、改修した建物が国の有形文化財に登録されたりしたことも相まって、徐々に客足が安定してきた。

そして開業5年目、のちに転機となるある出来事があった。糀を使った暮らしを取り上げた本に、灯環が紹介されたのだ。これをきっかけに秋元さんは、料理の旨みを引き出す天然素材である糀の可能性に出遭うことになる。

「私の店ではせっかく流山のみりんをPRしているので、みりんの原料である糀を一度しっかり学び、料理にうまく生かすことができたら、『手仕事のぬくもりと天然素材の心地良さ』というコンセプトにさらに近づき、心も身体も豊かになれるメニューを生み出せるのではないかと感じました」

糀マイスターの資格を取得して以降、メニューに自家製の糀調味料を用いることで、ただ「おいしい」という満足感だけでなく、身体へのやさしさがより感じられるようになった。そして、この変化がお客様の共感を呼び、ランチプレートは店のこだわりを表す象徴と化した。

(色とりどりの品が詰まった「季節野菜と糀のごはんプレート」)

さらに同年、オープン5周年の記念企画として、笠間や益子の作家の器を一堂に並べる展示会を開催。それを機に作家たちとのつながりが広がり、展示・販売する作品の数を増やすことができた。

このように灯環は、秋元さんが理想とする空間へと変化を重ねた。そして今、彼女はこれまでとは異なったアプローチで自らの想いを形にしようと試みている。

長年カフェとともに生きてきた秋元さんの新たな店づくり

開業から10年目を迎えた2022年秋、秋元さんは契約上の事情から、店舗を近隣の物件に移転すること余儀なくされた。移転先に決めたのは以前米穀店が使用していた倉庫だった。

昭和38年(1963年)に建てられ、地域ともに高度経済成長期を歩んだこの場所は、ここ10年間空き物件になっていた。そこにカフェとしての新たな命を吹き込んだのが秋元さんだった。

当時の倉庫の造りの良さが生きるよう屋内の高い梁や板張りの壁をそのまま残し、キッチン周りは自然の良さを生かす土壁にした。また、店舗の設計や壁の土塗りを常連客に手伝ってもらうなど、秋元さんのこだわりに賛同した人々のサポートを得て、翌2023年1月には移転先での営業を始めた。

(現在の店は常連客の協力を得ながら改装作業を進めた)

さらに、この移転を機に秋元さんはそれまでのやり方を見直し、「ゆとり重視の店づくり」に取り組んだ。

というのも、以前は自身のこだわりをできる限り感じてもらうことに集中しながらも、店が賑やかになりすぎ、お客様に窮屈な印象を与えてしまうこともあった。そのため、時に秋元さんが理想とする落ちついた雰囲気を整えることが難しいと感じていた。

こういった経緯から、店内が満席の時、以前はお客様に店の前で待っていただくよう声をかけていたのを、現在は状況を見ながら待っていただくようにした。さらに、未就学児の入店についても苦渋の決断で制限するなど、現在はお客様がゆったりとくつろげる空間を作り出せるよう心がけている。

また、これにより秋元さん自身にも精神的な余裕が生まれ、店の軸となる日々のメニュー提供やギャラリースペースの展示会、時折のイベントをそれまで以上に丁寧に行うことに集中できるようになった。

(自らこだわって集めた焼き物に囲まれる秋元さん)

最後に、自身が理想とする店づくりについて、秋元さんはこのように想いを付け加えた。

「お客様には、この店であたたかくて心地よい、ゆったりした時間を過ごしていただきたいと思います。現代では、多忙な生活に振り回されてしまい、便利で簡単に手に入るものを求めがちになってしまうこともあります。しかし、たとえ世の中の環境が変わっても、この店で『手仕事のぬくもりと天然素材のあたたかさ』を感じていただけるよう、人が人として変わらずホッとできるものを提供しつづけたい。それが長年カフェとともに生き、カフェに支えてもらった私が作りたいお店です」

(※お店の情報は下記ホームページをご覧ください!)

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