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【インタビュー】”キラキラした夢“を選べなかったあの時から20年を経て…3千人のツアー客をサポートしてきたママ添乗員の旅路

「違う道を歩んだことを後悔したくないと思って必死でやっていました」

旅行客が楽しく安全な時間を過ごせるよう、全国各地、はたまた世界各地を飛び回る添乗員。華やかなイメージを持たれがちなこの仕事には、「ただ旅行が好きだから」という純粋な動機で飛び込む人々が珍しくない。

大学4年生の時にドイツ留学を控えていた私(インタビュアーの久我山タカヒロ)も、このような理由から半年間だけ添乗員の世界を経験した。

しかし、この時私が所属していた添乗員派遣会社の先輩・カナさん(41)の動機はこれと異なっていた。

ムードメーカーとして事務所や旅行先を問わず、元気を振りまくカナさん。そんな様子とは裏腹に、彼女が仕事に対して特別な想いを秘め添乗業務を続けていたことを、私は知り合ってから15年の時を経た今まで知らなかった。

添乗業務を始めた頃の彼女の原動力は、過去に抱いていたある夢を断念してしまったことへの心残りの念だった。しかし、そんな彼女は、休職期間を経た現在、これまでとは異なった楽しみをモチベーションに仕事を続けている。

彼女はどうして思い描いた道を進めなかった自分を受け入れられるようになったのか。そして、今、自分の道にどのような希望を託しているのか。彼女に話を聞いた。


「自分自身が悔しい」実現目前で逃してしまった夢

添乗歴11年のカナさんは、東京で2児の子どもを育てる合間に添乗業務に携わっている。

添乗員の主な業務は、旅行会社が企画・販売するパッケージ旅行に付き添い、そのスケジュール管理や必要費用の精算などを行うことだ。旅行会社の社員が添乗業務を行う場合もあれば、彼女のように専門の派遣会社から旅行会社に派遣され、添乗員として働く場合もある。

彼女の活躍の場は国内外を問わない。これまで訪れた旅行先は国内47都道府県に加え海外20か国、ツアーに同行した旅行客はのべ3千人に上る。彼女が登録している派遣会社「メイアイクリエイト」の社内のみならず、同社の顧客となる旅行会社の社員からの信頼も厚い。

そんな彼女が添乗員としてのキャリアをスタートさせたのは22歳の時。ある夢をあきらめた代わりに選んだのがこの仕事だった。

この“ある夢”とはアメリカの大学への進学だった。カナさんが留学という夢を抱くようになった発端は、小学校5年生で始めた英会話教室にまで遡る。

それまでカナさんは家の外では内気で、友だちと仲良くなりたくても自分の気持ちを素直に発することができなかった。そんなもどかしい自分を変えるチャンスになったのが英会話だった。

(兄弟で撮影。左が小学生のカナさん)

当時英語は全く分からなかったものの、小学校とは違う仲間たちと一緒だったこともあり、講師からの英語の問いかけに誰よりも積極的に反応した。そして講師から褒められる度に、彼女は英語でコミュニケーションをする楽しさを感じていった。このような体験を重ねていくうちに、いつしか彼女は小学校で人見知りを克服できるようになった。

英会話により引っ込み思案だった性格を一変させた彼女は、いつかは海外に留学したいという思いを抱くようになった。そんな思いを実現すべく、彼女は地元・鹿児島にある短期大学の英語科に進学した。短大卒業後にアメリカの大学への編入を目指したのだ。

(鹿児島市内が見渡せる短大の校舎から撮影)

そして、短大2年生の春には米・ウィスコンシン州立大学・広告科を進学先として準備を進め、短大からの推薦を得るのに必要な評定やTOEFLのスコアを得るに至った。あとは卒業に必要な単位を取得するだけだった。

ところが、短大生活も終わりが見てきた2年生の夏、彼女の中で留学への不安が生まれてきた。

「留学費用って安くないわけですよね。留学が近づくに連れて、本当に『自分が行っていいのかな』って気持ちが何度も頭をよぎって。夢を前にしてビビってしまいました」

当時留学には3百万円がかかると言われていた。両親には安心して海外に行きなさいと言われたが、年下の妹と弟が進学を控えていて、親が無理をしているのではないかと心配だった。また、高校や短大の同級生の中には、家族に負担をかけないように卒業後就職する人間が少なくなかった。

留学で高額な費用に見合うだけの成果を上げることができるのか。本当に留学が正しい選択なのか。家族に背中を押してもらいたいけど気を遣って相談できない。迷いは日に日に膨らんでていった。

そして悩みに悩んだある日、彼女は手続き目前で編入を取りやめてしまった。

「『なんで家族に相談できなかったんだろ』って自分自身が悔しかったですね。重力に逆らえないって感じで、数日間ベッドから起き上がれなくなってしまって」

高校の時から抱き続けてきた夢が消え去るとともに、留学のために積み重ねてきた努力もすべて意味がなくなってしまった。自暴自棄に陥った彼女は、それから数カ月間、夜通し外で遊ぶ生活を続けた。

「この時は、『アメリカに行っていたら、“アメリカの大学卒”というステータスを手に入れて、キラキラした人生を送れていたかもしれないのに』って思っていました」

新しい人生へ進もうともがくカナさんに暗い影を落としていたのは、自らの心の奥に潜むこのような思いだった。そして、自分に合った仕事を探すべく複数のアルバイトを掛け持ちするも、いたずらに日々が過ぎていった。

そんな中、22歳になった彼女が見つけた新たなる道は、添乗員としてのキャリアだった。自宅でなんとなく眺めていたタウンワークの一角にあった募集の記事が目に入ったのだ。

この時彼女には、留学を断念した時に母親が連れて行ってくれたイタリアのパッケージツアーの記憶がよみがえった。失意に沈むカナさんが旅先で目にしたのは、慣れないながらも旅行客を楽しませる女性の新人添乗員の姿だった。

(留学を断念した直後のイタリア旅行)

時たま旅程がスムーズにいかなかったことがありながらも、彼女はツアー客を笑顔にさせた。旅行客が戸惑うイカ墨パスタを率先して口に入れ、真っ黒になった歯を周囲に見せる彼女の姿に、思わずカナさんの表情も明るくなった。この時カナさんは知識やスキルが十分でなくとも、添乗員として通用することに気づいた。

「この仕事なら好きな英語を使って新しい世界に触れることができる」

タウンワークの記事を切り抜いた彼女は、添乗員として新たなキャリアを歩もうと早速募集先に連絡を入れた。

シンプルな言葉の中に覚悟が潜んでいたツアー客からの感謝

海外旅行の添乗に興味があったカナさんだったが、地元・鹿児島で勤務していた間は国内添乗に専念した。地方では海外添乗のチャンスに乏しかったこと以上に、ツアーに携わる以上は国内の観光地のことも十分に理解しておく必要があると考えたからだ。

そして47都道府県全てを経験した25歳の時、活躍の場を海外添乗に移すべく上京した。鹿児島時代の上司に紹介された添乗員の先輩のアドバイスをもとに、添乗員の派遣サービスを展開する「メイアイクリエイト」に登録した。

「上京後1本目の海外ツアーはトルコでした。自信はなかったんですが、お客さんに『また一緒にツアーに行きたいね』と褒めていただけて。現地ガイドさんとも仲良くなれてすごく楽しかったんです」

(上京後初めての海外ツアー先・トルコ)

これを皮切りに、彼女は次々に海外ツアーの経験を重ねていった。数ある海外ツアーの中でも、彼女が印象に残っているのがペルーへのツアーだ。

ペルーツアーは日本からのフライトが27時間にわたるのに加え、マチュピチュ遺跡に通じる標高3,400mの高地・クスコを通過するなど旅程がハードだ。それゆえ、ペルーツアーは高価格帯に分類されるものの、ヨーロッパのような有名な場所を回るものとは異なり、特別な思いを持って参加する客が多い傾向にある。

この時の参加者の一人には大病を患った中年男性がいた。彼はこのツアーを「人生最後の海外旅行」と位置付けていることを耳にし、カナさんは「今回は絶対に失敗できない」と自らを鼓舞した。

そしてカナさんは、ツアー中他の客の様子を見ながらも、彼が病気を気に掛けずに旅を楽しめるよう、投薬の時間を気にしたりに写真を撮ってあげたりするなどの気配りを積極的に行った。

(ペルーのマチュピチュ遺跡にて)

そんなカナさんの姿勢が彼に通じたのか、ツアーは何事もなく全ての行程を終えることができた。現地最終日の夜、日本食レストランでの夕食では参加者全員が笑顔で互いの労をねぎらった。この時、カナさんに彼から「本当に来てよかったよ。ありがとう」との言葉を受け取った。

「通常のツアーではお客さんからよく『また一緒に行こう』って言われるんですけど、その方からはその言葉はなかったんです。やっぱりその方は、人生最後のツアーだと覚悟していたんだと思います。それだけに、もらった感謝の言葉はシンプルでもすごくうれしかったです」

カナさんが添乗員としてできることをやれたという充実感と、努力が報われたという実感を得た瞬間だった。

結婚後もご主人の支えもあって順調に添乗業務をこなしていたカナさん。しかし、添乗生活8年目の2011年、第一子を授かったタイミングでいったん休職することにした。

この時、カナさんはまだ添乗という仕事に心残りを感じていた。実際、彼女が添乗を経験した海外は20か国だった。大半の添乗員であれば30か国、ベテランになれば50か国にも上るという。

一方で、この休職期間は第二子出産後の2019年まで続いた。というのも、カナさんは長女だったこともあり、自分の気持ちを周囲に漏らすことに抵抗があった。それ故、自分の子どもとは言いたいことが言える関係になるまで、しっかりと向き合いたいと考えたのだ。

そんな母親としての彼女を後押しし、添乗の世界につなぎとめてくれていたのは所属先のメイアイクリエイトだった。添乗員が出発当日に行う起床連絡の確認業務を彼女に依頼した。本格的な添乗業務に就くのが難しい中でも、家庭の無理なく携われる仕事を依頼してくれたのだった。

「光が差した」転機のインバウンドツアー

そして休職から7年が経ったある時、彼女に新たな転機が訪れた。それは、訪日外国人旅行客を対象とした“インバウンドツアー”だった。

前年には訪日外国人旅行者数は500万人を上回ったことを背景に、メイアイクリエイトでもインバウンドツアーへの派遣案件が増加。休職中のカナさんにも声がかかったのだった。

「これだってちっちゃい光が差した気がして、インバウンドの楽しさにはまっていきました」

このツアーは日帰りだったため、子育てを続けつつの復帰を考えていたカナさんには絶好の機会だった。ツアーのスケジュールは、新宿駅を朝8時に出発し、富士山を望むことができる忍野八海や箱根を周遊し、当日夕方に戻ってくるというもの。加えて、ツアー前後に求められる事務作業もわずかだった。この程度なら家を空けても問題ない。

また多くのインバウンドツアーでは、国家資格である全国通訳案内士の資格をもった人間が旅行者に同行する。しかし、今回のツアーの特徴は自由散策の時間が多く組み込まれていて、この資格を持っていない彼女でも添乗可能だった。

「インバウンドでいろんな文化や価値観を知ることができて、視野が広がった気がします。海外からのお客様は、日本人以上に自分で旅の楽しみを見つけることが上手な方が多く、また、気になったことは何でも伝えてくれるので、新しい学びが多くありがたいですね」

この周遊ツアーでトイレの場所を案内した時、カナさんはフランス人旅行客から「トイレの話題は恥ずかしいからみんなの前で話さないでほしい。我々は子どもじゃないんだから」と言われた。

きめ細かなサポートを好む日本人客とは対照的に、その場その場で自らのニーズを満たすサポートを望む外国人客。カナさんはこの違いに戸惑いながらも、外国人客相手の場合だと、観光地を楽しんでもらうことにより集中できると気づき、添乗業務の新たな魅力を見出していった。

「海外からのお客様はリアクションが大きく、本当に日本を楽しんでくださっている様子がこちらにも伝わってくるので、一緒にいて誇らしく、嬉しい気分になります。」

国内あるいは海外のどちらかに専念する添乗員が少なくない一方、カナさんは国内添乗と海外添乗の両方を経験していた。そのため、外国人観光客に対しては、自分が熟知する国内の観光地の良さを紹介すると同時に、外国人目線で知っておきたい観光施設でのマナーや旅のヒントも意識して伝えることができる。

インバウンドでは彼女がこれまで添乗員として重ねてきた経験が生かされたのだった。

また、インバウンド以外にもカナさんは添乗業務を続ける新しいモチベーションを得た。それは、2人の娘たちだ。

「添乗から帰ってきたあとに、ツアーの話をすると子どもたちが目をキラキラさせて聞いてくれます。なので、『子どもたちの期待を裏切らないに仕事をしなきゃ』って思うようになりました」

添乗中は離れてしまう子どもたちは2人とも、母の仕事に対し尊敬の目を注いでくれるようになった。今年2月に添乗したハワイでは、業務の合間を見てワイキキビーチなどの様子をLINEのビデオ通話でつないだ。

(子どもたちとのLINE通話でつないだハワイ)

実際に英語が飛び交う現地の様子を目にした子どもたちは「テレビで見る様子とは違う」と目を輝かせ、「将来自分の力でハワイに行く」と宣言した。

添乗業務から戻ってきたあとのお土産話は、親子のやりとりの定番となった。その結果、上の子どもはキャビンアテンダント、下の子どもはパイロットになりカナさんの仕事をサポートしたいと言ってくれるまでになった。

(上の写真は夜遅く添乗から帰宅したカナさんに長女がくれた置き手紙。下は添乗の多忙さがピークを迎えた時、これから仕事に向かおうとするカナさんに次女がくれた手紙)

「自分の中の軸を大事にして頑張れば新しい道が開けてくる」

復帰後インバウンドに添乗の楽しさを見出したカナさんは、今後、インバウンドに活躍の場を築こうと考えている。

そのために必要なのが全国通訳案内士という国家資格である。この資格は、訪日外国人を日本各地に案内し、文化や習慣、伝統などを外国語で案内するためのものだ。以前カナさんが携わった周遊ツアーは自由散策がメインだったが、長期間に国内の観光地を案内して回るタイプのツアーではこの資格が求められる。

カナさんは、添乗員だけでなくガイドとして外国人客と長い時間を過ごすことができれば、日帰りツアーでは伝えられない日本の魅力を伝えられ、自分自身も仕事を楽しむことができると考えている。

「アメリカの大学に入らなかったことも、全国通訳案内士としての仕事に就くことができたら気持ちの中で相殺できそうな気がしています」

“米大学卒”という肩書きのある“キラキラした生活“。添乗員としてのキャリアをスタートさせた当初、夢をあきらめたことでそのステータスを得られなかったという苦い経験が負のモチベーションと化し彼女を動かしていた。

ところが、今は違う。彼女が添乗業務を続ける原動力はプロとして外国人客に日本の良さを伝えたいという新たな目標や、彼女の子どもたちにある。

「たとえ目指していた道と違う進路を歩むことになっても、自分の中の軸を大切にしてコツコツと頑張れば必ず自分にとって魅力的な道は開けてくると思います」

これからも彼女の旅は続く。

(※カナさんが登録している添乗員派遣会社「メイアイクリエイト」のURLはコチラ。添乗員のお仕事に興味がある方は、ぜひサイトをのぞいてみてください!)


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