何歳まで生きたい?

一年前のクリスマスどうしていた?と問われても手帳を手繰らなければ思い出せないほど、それは過去になった。

独りで吉祥寺にいた。東京のことだからきっとイルミネーションが綺麗で、カップルが飽和していたに違いない。カレー屋をハシゴした。カレーが好きだよと言ったら、当時好きだった人が店をオススメしてくれたから。

好きな人の好きな街、好きな店、好きな空気。好きなメニューまで教えてくれた。好きな人の好きなものに包まれていた。好きな人だけがそこにいなかった。

けれどもあれがどういう好きだったのか、当時も今もわからない。あるとき先輩がLoveの訳語を知っているか、と聞いてきた。唖然とした。辞書によると、愛、恋愛、慕情、性交、慈しみ、敬愛、愛着…。

それは、敬愛なんじゃないか。そうかもしれない。あるいは、それがいいのかもしれない。それは、人間が神に対して感じる情と似通っている。



私はその人と出会った日時も場所も鮮明に覚えている。一種の魔法であるかのように、後に関わることになる相手とのどうでもいいような初対面は私の中でよく記憶されるのだ。第一印象は、変な人だなと思った。それから、私は学部の専攻をコイントスで決めた変人だが、こんな興味深い人がいるなら正解だったのかもしれない、と微小の喜びを感じた。

その人とは専攻が同じだから、講義の度に会った。おまけに、後に私の卒論担当となる教授の、少人数の演習クラスも同じだった。数ヶ月経って最初の出会いが風化される頃、私はその人を誘った。なんとなく呼吸が合った。でもそれだけにしておきたかった。相手が魅力的であればあるほど、直視したくなかった。私は以前の失恋の痛手から回復していなかった。誰かを好きになるなんて禁じておきたかった。

けれどもその人に会う度に嬉しい。会いたいと思う。この症状はまずい。夏休み直前、初めて二人で飲みに行った。私は成人する一週間前に初めて煙草を吸った。好きな人に渡されたから。その人が煙草を吸うなんて全く予想していなかった。そのとき判明したが、彼女は私と同学年だが三歳年上だった。私が目標とし続けている、ドイツ留学を経験済みだった。

そして、私は振られると同時に惚れた。どうしようもない。彼女は世間話の延長のようにさらりと告げた。
「私はシスでヘテロ」
その人は自分が女性であり、男性を好きになると宣言してしまった。さらには年上男性が好きだとも言った。

私の性別は女であり、年下だった。何も敵うはずがないのは最初から承知だった。それでも、そうしたセクシュアリティやジェンダーといった、当時私が命がけで考え込んでいた問題について造詣が深く、よく考えている人であると知って、本格的に惹かれてしまった。



彼女とは一友人として接近し尽くせる限り近づいたように思う。それ以上行き場がなかった。様々な話をした。カフェや喫茶店で一緒にコーヒーを飲み、煙草を吸った。コーヒーも煙草もほとんど無縁だった私はその人によって変えられた。時には一緒に授業をサボってそうしていた。お互いに代返し合うこともあった。出席カードに彼女の名前を書けることを光栄に思う反面、代返を頼まれた日には彼女は大学に来ないという意味だから焦ったくもあった。おかげで彼女の学籍番号まで空で書けるようになった。

何歳まで生きたい?と私は無邪気な風に聞いた。その回答にはとことん驚いた。
「125歳」
彼女はそんな数字を挙げた。全く意味がわからない。1、2、5とゲシュタルト崩壊して、どうにか理由を尋ねたけれど、理由らしい理由は存在しなかったと思う。大隈重信が人生125歳説とやらを唱えているようだけれど、その数字と同じだ。

私はてっきり彼女が夭逝することに美徳を感じる人かと思っていた。彼女は以前通常の会話の中で、息を吐くようにすっと「絶望」という単語を口にした。絶望、を既知の言葉として咀嚼できるとは一体、彼女はどんな人生を経てきたのだろう。

確かに彼女は、柳のような人だった。柔軟だけれど、芯がある。決して死なないように見える。大学の講義の総体には無頓着であるように映ったけれど、興味のある分野には他大学のゼミにも潜って熱心に勉強しているようだし、大学だって入り直して今私と同じ場にいるのだ。

彼女は尊い存在だった。私は長く生きることがないにしても、彼女は125歳まで人生を全うして欲しいと思った。そうなる頃には私のことなど完全に忘れてしまっているだろう。どんな境地だろう。近くにいるのに、遠かった。私は三年経っても、彼女のようには生きられないだろう。



ドイツ留学をするに至って、「好きだから」の一存でそれが叶う状況ではなかったので、私は散々悩まされた。私は経験者である彼女にも色々尋ねた。無事にドイツ留学の通知を受け取った時には、親より他の友人より真っ先に、彼女に知らせた。おめでとう、さみしい、遊ぼう。求めていた言葉が全て返ってきた。

それと同じ頃、もはや私は彼女にそれ以上近づけなくもなっていた。既婚者の愛人になるかもしれない。要するにそんな状況が、彼女の前に差し出されているらしかった。未知の単語が目前で繰り出された。慰謝料だのセックスだの、退けたい憎々しい現実的問題が、情報として転がってきた。

彼女も辛いに違いなかっただろうけれど、既婚者の愛人になるかもしれない同性の友人、にすっかり心奪われていた私も気が狂いそうだった。それなのに、彼女は私と会う時どんな苦しい顔も見せなかった。相変わらずしたたかに見えた。私はひとりで破滅しかけている自分がますます不憫だった。

適切な距離を見失った。学期が終わる日、私は彼女を喫煙所で見かけた。最後だと知って、彼女お手製の巻きタバコを貰った。初めてちゃんと、苦いと思えた。

運命的にそんなタイミングで、古本屋でゲーテの名言に触れた。
恋愛と情熱とは消え去ることがあっても、好意は永久に勝利を告げるだろう

何度も呟いた。それから次の学期では画策したわけでもないのに、一つも授業が被らなかった。自然消滅となった。好意だけが残った。

半年後、混み合った山手線で偶然再会した。以前のように挨拶を交わした。それから私は読み途中だったドイツ語の哲学書の訳が全然わからない箇所がある、と言って彼女に見てもらった。やっぱり彼女は私よりずっとドイツ語ができた。そのとき感じたものに名前を付けるなら、敬愛だった。もうそれだけだった。彼女は125歳まで生きるべき生命者だ。

今ようやくかつて彼女が過ごしたドイツの地にいる。尖って傷ついた跡が少しずつ是正されていく場所なのかもしれない。そうして自然に生きることを学びたいと思うのだ。


#エッセイ #小説 #セクシュアリティ #ドイツ #大学

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