あまりに人間的な

初講義だった。というと盛り過ぎではあるけれど、単位に参入されるかもしれない語学以外の一般の授業では、初出陣だったわけだ。

先週取る予定はないが試しに行ってみたアリストテレスの講義は、教授のドイツ語の発音がよろしいので、時々潜ってもいいかなと思ったものだった。打って変わって、今日のは速かった。教授が設ける質問タイムに手が挙げられないのは、そもそも何も理解していないからだ。

それでも面白かった。講義名は『感情と虚構』だ。いや、エモーションとフィクションだから、情緒と創作かもしれない。

人はなぜ、作り話に感情を動かされるのか?

嘘の話が、リアルな感情を揺さぶるのはなぜ?本当に感じているのか?そもそも感情って何?

事実だと思っているの?想像力?
自分の身に起こり得るかもしれないから同情しちゃうのか?

あるいは、感動の源は、登場人物の死という中身ではなく、芸術作品の質や表現にあるのか?
別に誰も死ななくたって、詩的な表現に激動を受けることだってあるから。

そんな質問を次から次へと投げる。母国語で表記されたパワポだって、そんな高速消去されたら読み切れないと思うのだけど。

ただ面白かったのは、フィクションで描かれる「同情や痛みといったネガティブな感情」の方が、リアルな感情を煽りやすい、と言っていたことだ。

以前Twitterで見たことあるぞ。「身に起きた不幸を呟いた方が伸びる」ってツイート。大学教授の太鼓判が押されました。

それならば私は奇しくも、人間的な人間なのかもしれん。

#エッセイ #ドイツ

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