此岸と彼岸と単眼の牛のはなし


シャワー中、彼岸と此岸について考えてた。
明確な境界っていうのは目に見えないけど明らかに違う世界だし、誰にもすぐ近くにある世界で(よく隣り合わせっていうアレ)で、そういう曖昧だけど確かな境界は自分の中にもある。

例えば私の肉体はいっつもきちんと現実を生きてるけど、頭の中は自分の素肌から3センチ外側をふわふわ歩いてる感じがしてる。
説明するの難しいけど、うちの猫の瞳孔の周りに不均等にギザギザしてキラキラした線が走ってて、常に現実逃避したい私の思考はいつも猫の目のギザギザみたいな線を引きながら身体の周りをくるくる回ってる。

そんなことを考えながら昨夜、寝てる娘の隣でスマホいじってたら突然娘がバチっと目を開けて「ぎゃー!」って、ほんとうに「ぎゃーっ!」って叫んで、明らかに何かと目があったでしょって叫び声あげてお布団で顔を隠してた。
何かいたの?夢を見たの?って聞いてもずっと首を横にふるだけで私も怖くなって彼に電話したら「夢と現実がわからなくなってるだけだよ」って言われた。

その時はなるほどって自分を落ち着かせて、お彼岸が近いからかなって考えて、いつもみたいに彼と通話を繋ぎながら寝た。

その晩見た夢が、私が全身真っ赤に爛れてて、学校のトイレに行く夢だった。
職員室とひと続きになってる広いトイレはとにかく暗くて不潔で、私はなんか全身真っ赤だからとかいう理由でひとりで用を足すのも一苦労。
横にはたぶん友達がいて、その友達と同級生のお葬式行こうってなってた。

粛々とお葬式を終えて帰るとき、お迎えにきたのが眉間に一本のツノとぎょろぎょろした目玉がひとつある大きな黒い牛で、これに乗って帰るんだよって促された。
で、私がその牛に跨ろうとしたときハッキリ名前を呼ばれてそこでパッと目が覚めた。

電話の向こうで彼が私を呼んでて、それからしばらく寝ぼけながら話をして、そういえばお盆の時はキュウリの馬で死者を此岸に呼んで、ナスの牛に乗せて彼岸へ帰すんだってそんなことを思ってた。

あの牛に乗ってたらどうなってたのかなって、今朝ふと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?