見出し画像

「ハードコア=哲学」概論

自分のなかに根をおろすものこそ、その本質というのはとらえずらい。ハードコアについて書いてみてはじめて気がついたこと、つながったことがたくさんある。自分でも驚いている。正直、ハードコアについて考えすぎて、夢にハードコアキッズだった頃の風景が出てきた。忘れていたわけではない、でも意識的に思い出す事のなかった記憶が書くことによって呼び起こされている。「書く分裂反応」は確かに起きている。

昨日は、ヒップホップの呪術的ビートとハードコアの野生の思考について書いた。毎回、どこに行き着くのかを想定しないままに掘りすすめているが、僕はこの着地点にとてもしっくりきている。
ヒップホップとハードコアが僕にとって重要なものであるということは直感的にわかっていた。このふたつを並べて考えてみたことなんてなかったけど、どちらかといえばヒップホップが思考性で、ハードコアが身体性に近いようなものだと認識していていたと思う。でも、真逆だった。僕にとってヒップホップが身体性であり、ハードコアが思考性だった。そのふたつは、それぞれ呪術と野生を媒介にして結合する。これまで自分におおきな影響をあたえているふたつの思想が自分のなかでしっかりとつながり、より立体的な空間を生み出しつつある。そんな感覚だ。

ハードコアが思考性だという発見は、とてもおもしろい。ハードコアは自分のなかにある「ハードコア=硬い核」を分裂させ原子の力を外側に放出する。僕は自然科学のことはさっぱりわからない。でも「原子の力」は「原始の力」であると勝手に解釈する。「書く分裂反応」によって「原始の力」が放出される。これが僕の次元におけるハードコア的「野生の思考」だ。そう、ハードコアとは哲学なのだ。

ここにむすびつく、忘れていたわけではない記憶がある。
2000年代後半に今はなき京都のWHOOPEE'Sというライブハウスでみた降神(おりがみ)というヒップホップグループのライブ。(余談ではあるが、このWHOOPEE'Sというライブハウスが、まさに僕のハードコアとの出会いの場所だ。)彼らが曲間のフリースタイルのなかで「ハートにコアを、ヘビーなメンタルを」というパンチラインを放った。正直、前後の文脈は忘れてしまったけれど、ハードコアとヘビーメタルのことをそう表現した。僕はその言葉をとても気にいった。ハードコアとはハートにコアを持つこと。

あのときは、ただなんとなく「いいフレーズだな」と感じていた言葉が、いまになってハードコアとは哲学だという僕の思考とむすびつく。ハートにコアの「コア」というのは哲学のこと。自分の心のなかに「自分なりの哲学を持つ」ことがハードコアの本質だ。降神は呪術のビートに乗せ「きみは哲学を持っているか?」という問いをステージの上から投げかけていたのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?