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30代最後の旅①~inタスマニア島~

人には必ず転機があると思う。

そして転機には大きく2つあると思う。
「ああ、あのときがわたしのひとつの転機だったなあ」と振り返ったときにわかるタイプのものと、
「ああ、確実に今このときがわたしの転機になるだろうな」とその最中にわかるタイプのものだ。

今回のタスマニア島の旅は確実に後者だった。

ひょんなことから、タスマニア島に行くことになった。自分の選択なので、なったというべきかどうか、言葉選びは難しいけれど。
きっかけは去年の11月。
5年も会っていなかった、そして連絡もとっていなかった友だちから、「フランス人と結婚して、今オーストラリアに住んでるんだけど、新婚旅行も兼ねて日本に来ていて、もし今も以前住んでいたところにいるのなら、会わない?」とのお誘いが来たのだ。
わたしは二つ返事で、「会いたい!」と仕事終わりに二人に合流。
全く英語を話せないわたしと、全く日本語が話せないフランス人の間で5年ぶりに会う彼女は、とても自然体でそこにいた。
会っていなかった5年の間に起こった二人のこと(ここでいう二人はわたしと友だち)をかいつまんで話ながら、わたしの今の仕事が3月末で終わることを何気なしに話したとき、「え、じゃあタスマニア島に来なよ!」と自然な流れで言われ、わたしも自然に「え、本当に行こうかな!」と口をついていた。そのときまでタスマニア島は南米だとなぜか思ってたし、なんだか聞いたことある島だなくらいの認識でしかなかったのに、いざ誘ってもらうと、俄然わくわくしてくるわたし。
だけどここまでは会話の流れというか、よくある会話のキャッチボールというか、、、大体70~90%の確率で実現化せずに流れてしまう会話だと思う。会が終わって、駅でHugをして(本当にHugするのね、と感心)「これ以降の旅もたのしんで気をつけて帰ってね。またね」と別れる。いつもだったら、ここで久しぶりに繋がった糸が切れてしまうのがパターン。(なぜならわたしは連絡ベタだから)

ただいつもと違うのは、家に帰る途中も、辿り着いてからも、翌日も、その後1週間以上、わたしの頭の中は「タスマニア島に行く」という可能性について考え続けているということ。
何がいつもと違うのか。それはやはりコロナがあって。
自由に旅することができない世界になって。こんなことが現実世界に起こりうるんだ!?ということを体験して。この数年とても歯がゆい思いをしたことが走馬灯のように蘇ってきたからだと思う。そうしてひたひたとわたしの心を動かそうとしてくるのを感じた。だからこそ、全く思ってもみなかった方向から、目の前に転がってきたボールを蹴ってみようと強く思ったのだ。

まさか自分の人生に「タスマニア島に一人で行く」というオプションが存在するなんて思ってもみなかった。だから人生はおもしろい^^


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