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30代最後の旅⑥~愛とはなにか~

Netflixで映画を観ながら、あるいは料理をしながら愛について考えた

タスマニア島での生活の一部に「Netflixで映画を観る」という時間が大いにあった。それは基本働き終わって食事もシャワーも終え、ゆったりとした静かな夜の時間。もしくは日曜の午後。
観た映画、ドラマを少し書き連ねると…「風立ちぬ」「First Love初恋」「Red dog」「Stand by Me」「Eat Pray Love」「LA FAMILLE BELIER」「耳をすませば」「ハウルの動く城」「カルテット」「Le Petit Nicolas」「Les Vacances du petit Nicolas」「Rabbit Proof Fence」など。

家族愛や恋人との愛、信じる人への愛、友情などポップなものから深いものまで、色々な愛のかたちがある。ドラマ、カルテットの中で「愛してるけど、好きじゃない」という台詞があって、
その台詞についてあーだこーだと話したりなんだりしているうちに、あるとき、「もう一度結婚したいと思う?」と問われた。たしかあれは、巨大なpumpkinをカットしているときだったと思う。

「わたし、愛って信じてないんだよね」

ふと。本当にふと。なんにも考えずに口をついて出た言葉だった。今思うと、かなしい言葉だなと思う。愛自体を全て否定してるわけではない。ただ、わたし自身がそのときどきのパートナーに対して「愛」を感じていたか?と問われるとどうも怪しい。「あ・・・・い??んー・・・・」といった感じ。

じゃあ愛って何だろう・・・??

わたしにとって愛って、ただそこに在る(ある・いる)だけで満たされるものというか、ものすごく大事だな、いてくれてありがとうという気持ちが常に溢れている状態、な気がする。これ、「常に」というのが難しいんだと思う。それから、どんな状況下でも、その人を信じられる力。それがわたしにとっての「愛」かも。

っていうことはだよ、日本に戻ってきて2か月経った今、このNOTEを書くことで、きづいた。

「わたし、愛って信じてないんだよね」=わたしは、手放しで誰かを信じること、その勇気をもう持てないなと思っているのだ。


「愛」を信じていないというか、手放しで誰かを信じるってことを、すでに諦めてしまっているということなんだ。

あー、でもそれってすごく腑に落ちる。
昔から用心深かったし、好きなひとに好きということも苦手だった。
言われて嬉しい言葉も、いつかさよならするときには辛く苦しむ言葉に代わるからと、恋の始まりから終わりを考えるような人だった。

けど、大人になるにつれてその用心深さを解除してきたつもりだった。好きな人には好きと言えるようになってきたし、さよならのときに辛くなるかもしれないけれど、嬉しい言葉を素直に嬉しいと思えるようになってきたと思っていたけれど、やはり、深手を負うことを恐れていたんだ。

30代最後の旅。タスマニア島で「愛」について考えたことによって、「手放しで誰かを信じるってことを、すでに諦めてしまっている」自分に気づくことができた。そして、せっかく気づいたから、「諦めるのをやめる」ことにした。


だって、自分の人生の決定権はいつでも自分にあるから。
本当にできるかどうかはさておき、決意表明だけはしておく。
誰でもいつでも、思い立ったら吉日ということで♡

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